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俳句のいさらゐ ⊸⊸⊸ 松尾芭蕉『奥の細道』その二。

『奥の細道』は、自然観照の中に、人生の機微や人の心の核心が漉きこまれていて、何度読み直しても、新しい気づきをもたらしてくれる。引き続き、芭蕉の生み出す小宇宙を味わってみたい。
標題の「いさらゐ」はちいさな泉のこと。にじみ出て来る思いを、そんな古語に喩えてみた。

暑き日とはむせ返る暑熱と理解できる。最上川の川風が、その暑熱を海へ運んでいて、河口ばかりは暑さが和らいで爽快だ、という気持ちであると読む句なのだろう。最上川の下流の裾や、大きな風景を遮るものがない河口の広がりが見えて来る。
そして モガミ という響きに芭蕉が強く惹かれているのを感じる。モガミとは、最上のもの、これ以上のものはないということだ。まさにその名のとおりではないかと、芭蕉は大きく頷いている。『奥の細道』では、「五月雨をあつめてはやし最上川」と、二つの句で、最上川の名を使っているのだ。

さらにこの句には、裏に敷かれている句意がある。
暑き日とは、今日一日の出来事全てと読める。たいへんに感動の大きかった今日という日が、今はやくも暮れてゆこうとしている、その一日の場面の数々の記憶が、日本海の茫洋とした海気の中に吸い込まれてゆき、今日もまたこうして過ぎてゆくのだなあ、どんなに楽しい時間も止めようもなく⋯⋯ゆくときを惜しむそんな思いを言っているのだろう。
だから、この読み方をしたときには、最上川が涼しさを連れて来たという因果関係に、歌の本質を見る必要はない。「暑き日を海に入れたり」で句はいったん意味の上からも切れる。「最上川」はただ詠嘆の吐息である。「ああモガミガワよ、はるかな旅をしてきて、今ここに見るモガミガワよ」という余情である。
俗揺だが優れた歌詞を持つ歌に、森繁久彌作の『知床旅情』がある。歌詞をじっくり味わえば、底流には同じ思いがあるのがわかる。
「飲んで騒いで丘に登れば」「旅の情けか飲むほどにさまよい」
映画撮影で知床長期ロケの旅人であった彼にとっては、知床は、いわば痴れ処 ( シレトコ ) であった。詩人森繁久彌もまたシレトコという地名の言霊に魅せられている。

突飛な連想を述べよう。ゴッホの下に掲げた絵は、夕日を描いていると見たい。日没間近のざわめきのとき。この絵は川のほとりであるが、「暑き日を海に入れたり」の情感が重なって浮かんで来る。
ゴッホもまた旅人でしかない眼で、一日の終わりを惜しんで見つめている。場所はアルル、葡萄畑の光景である。ゴッホも胸の内で ( アルルよ、何と美しいアルルよ ) と詠嘆しているのが絵から伝わって来る。

油彩 プーシキン美術館蔵

親しらず子しらず・犬もどり・駒返 (こまがえし) などの北国の難路を経て、やっと早稲の香のする田野へ出、ほっと一息ついている安らかさと、あまりの暑さに、ここから先は平易な行路を選択し、通ってゆかないことに決めたために、想像の中に終わる歌枕の景勝有磯海への未練を対比させて置いている。
このひとつ前の宿、市振での句「ひとつやに遊女も寝たり萩と月」も、「遊女」と「萩と月」の組み合わせを対比して置いていた。
「遊女」によって表現したのは、宿の客の中に遊女がいるという、感動の定まる処を追い求めて来た雅趣から見れば、逆のベクトルと言える生身の男につきまとうざわざわした俗念であろう。「萩と月」は、幽玄の、儚さの極みであるような道具立て。そのぶつかり合いに面白さを出している。

この句の「わせの香や」は、さすがに名に聞こえた難所を越える厳しさに内心は辟易して、人里の匂いに安堵している本心であり、一方、体力面で無理だろうとは思いつつ、それでもなお、ここからひょいと右に歩みを取りさえすれば、歌枕の風景をこの目で確かめて、自分なりの句ができるかもしれないのに、という忸怩たる思いが「分入右は有磯海」と表現され、両者の葛藤が現れている。
この気持ちは、現代の旅においてもよく経験するところだ。行こうと思えば、タクシーでも、レンタカーでも利用できる現代にあっても、行かずにすませて、あとであのとき見ておけばどうだっただろうなどと、ずいぶん経っても思い返したりする。
江戸時代の旅人には、寄らずに過ぎる断念の重さいかばかりであったか。
( えーい、こんなに心が残るなら、この気持ちを句にしてやろう ) と踏ん切りをつけたとも見えてきて、芭蕉に親しみを覚える。

句柄としては、「荒海や佐渡によこたふ天の川」と同じく、建国神話の世界を想像させる幽遠さがある。「古事記」「日本書紀」にいう豊芦原の瑞穂の国と、「万葉集」にいう波打ち寄せる大和島ねを同時に想起させている。
自分の人生を面白おかしく眺めた句、「草の戸も住替る代ぞひなの家」を発句とした『奥の細道』の旅も、旅の日々を重ねるほどに、句柄が厚く大きくなってゆくのがわかる。
芭蕉は具体的な歌人としては西行や能因法師を慕って来たのであったが、その詠みぶりは、柿本人麻呂の歌を下に敷くような趣になって来ている。人麻呂の歌を幾首か引く。

荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を
名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は
あかねさす日は照らせれどぬば玉の夜渡る月の隠らく惜しも

                令和5年3月              瀬戸風  凪
                                                                                                  setokaze  nagi


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