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俳句のいさらゐ ☮♓☮ 松尾芭蕉『奥の細道』その二十九。「月清し遊行の持てる砂の上」

この俳句で最もクローズアップされているのは何か、という問いを投げかければ、見方によりいくつか上がって来るはずだ。
 ■1.月( 月光 )そのもの
 ■2.   砂を運ぶ遊行の姿
 ■3.砂そのもの
どれが正解でどれが間違いということはない。全てが渾然として一句を成している。最大公約と言えるものをあえて示せば、上空の月、あるいは盛られた砂に照っている地上の月光、とは言えるだろうが‥‥。

では、私の考えは‥‥。
この俳句の詠まれた気比神宮が鎮座する敦賀は、白砂青松の風景を代表すると言ってもいい気比の松原のある処だ。海が近い。俳句の前文にはこうある。

社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥渟をかはかせて、参詣往来の煩なし。
古例今にたえず、神前に真砂を荷ひ給ふ。

松尾芭蕉『奥の細道』敦賀の章より

この参詣往来の道が作られた当時(西暦1300年頃)、気比神宮近くまで入り江であったという。上の文にいう運ばれた真砂は、言うまでもなく浜の白砂である。
つまり芭蕉は、故事をしのび、神前への捧げ物と言っていい松並木が青くけぶる浜の白砂に、深遠な思いを抱き、浜の白砂を照らす月光の幻想を、神前に積まれた真砂を照らす月光に重ねていると思うのだ。
目をつむれば、心は白砂青松の波打ち際に佇んで、月の光を浴びている感覚に芭蕉は包まれている。

清し、の主体は何かという問いには、俳句の文言を追えば、月、それも遊行が持って来た砂の上の月、ということで、字面どうりに解釈すればそうなる。( 諸本の解説では、この解釈にとどまる )
しかしそれだけの解釈では、芭蕉の俳諧を狭くする。
俳句は、短い詞書一行が、俳句本体を大きく飾り、開いた花の裏側の露を見せることがある。それを読み取り味わわなければ、俳句を読んだとは言えない。『奥の細道』はことに、前文が俳句の中に包含されて、俳句本体が成りたっている。

「月清し」には、「遊行二世の上人」の徳行 ( とっこう ) 、並びにその業績を顕彰して来た代々の遊行の心根がきよらかであるという意味と、捧げ物となっている白砂を産する風土そのものがきよらか、という二重の意味が込められていると感じる。
そう考えれば、たとえば『萬葉集』で柿本人麻呂が代表するところの、国ほめの歌いぶりに通ずるものであり、眼前の嘱目吟であることを超えて、風土を寿ぐ詞藻と言えるだろう。

月の光を浴びながら、私は、この清らかな風土と、先人の遺徳に心を洗われているという芭蕉の澄んだ気持ちが読み取れることが、俳句に格調と滋味をもたらしているのだ。
土地に宿る神気、霊気が、わが身を今益しているという感覚を裏に潜めた詠みぶりは、『奥の細道』の他の俳句にも見られる。
それは地霊、精霊への頌詞 ( しょうし ) であり賀歌 ( がか ) であると言えるだろう。
『奥の細道』の芯となっているのが、芭蕉のこの精神なのである。例を挙げる。

あらたうと青葉若葉の日の光
有難や雪をかほらす南谷
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
山中や菊はたおらぬ湯の匂

                 令和6年7月          瀬戸風  凪
                                                                                                   setokaze  nagi

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