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賢治童話の 🚶‍♂️ 岸辺散歩 音韻を読む「風の又三郎」

🍃 又三郎 ― 仏様の化身として

宮澤賢治を取り上げたこの記事を読んでくれる人は、ストーリーなどは語らずもがなであろうから、前置きなしですぐに本論に入ろう。
現とも幻ともつかめない迷い径に入り込んだ嘉助 ( 又三郎を囲む児童のひとり ) の前に現われた、救済の使者としての又三郎の様子はこう描かれてい。る。

「鼠色の上着の上にガラスのマントを着ているのです。それから光るガラスの靴を履いているのです」

「又三郎の影はまた青く草に落ちています」

「又三郎は笑ひもしなければ、ものも云いません。たゞ小さな唇を強さうにきつと結んだまゝ、黙つてそれらを見てゐます」

宮澤賢治「風の又三郎」より

又三郎のこの姿から私にはある偶像が浮かぶ。それは、仏様 ( 仏像 ) である。
ガラスのマントを想像してみて、最も当てはまるのは、仏像の羅 ( うすもの ) の法衣である。さらには又三郎という少年に仏様を思う要素として、仏様の肉付きを思う。仏様の肉付は締まっていて、けれど熟す以前の果実のような豊かな張りを感じさせるが、それは少年の肉付きに喩えてもいい気がする。

たとえばイメージ喚起の術として、著名な仏像をいくつか思い浮かべてみる。京都千本釈迦堂の如意輪観音坐像、大阪府河内長野市 観心寺の如意輪観音坐像、奈良興福寺の阿修羅像などがいい。

京都千本釈迦堂 如意輪観音坐像 (鎌倉期)
大阪府河内長野市 観心寺 如意輪観音坐像 (国宝) (平安時代)

見方を変えよう。下に掲げた写真は、被爆地長崎で撮影されたとされる、取り上げられる機会の多い一葉である。

焼き場に立つ少年 ( 長崎 )   米軍カメラマン ジョー・オダネル氏撮影

私の感じ方を非難されるかもしれないと思いながらも、この少年が撮影された悲痛な背景を知った上で、あえて言うのだが、「又三郎は笑ひもしなければ、ものも云いません。たゞ小さな唇を強さうにきつと結んだまゝ、黙つてそれらを見てゐます」という又三郎の描写からは、私にはこの映像が浮かんで来る。
この写真の少年は、目の前で行われている遺体を焼く処理のすむのを実直に待っている。胸中を占めているのは、原爆によって弟を失った現実に無言で立つより他に処し方のない虚ろであろう。悲しみ、と一言で言い表せるような感情とはとても考えられない。
ここに親の姿はない。兄である少年が、弟を向こう岸に送る役目を負わされているのだ。私には、仏様の心が今少年に入り込んでいると見えて来る。不条理の悲しみは必ず、仏様の心が包んでいると思う。

🔖「度」「阿」と聞こえて来る韻 ( ひび ) き

「どつどど どどうど  どどうど どどう」という「ど」の音の連弾の響きが残るオノマトペでこの物語は始まる。風が押し寄せて来るイメージを表していると思われるこの擬音からは、「度」の字が浮かんで来る。
そして「度」の字もまた、仏教を連想させる。

というのは仏教にとって「度」は重要な意味を持つ漢字であるからだ。辞書を引くと「仏が悟りの境地に導くこと」を「度する」という。「度しがたい」「得度」「滅度」の度である。
般若心経に「度一切苦厄 <どいっさいくやく>」という経文がある。意味は、すべての苦厄から解かれる、ということで、つまり「度」は、彼岸(悟りの世界)にわたることを示す漢字である。

同じように、音の響きが仏教的な印象を持つ部分がある。下に引用した部分である。

風が来ると、芒の穂は細いたくさんの手をいっぱいのばして、忙しく振って、
、西さん、、東さん、、西さん、、南さん、、西さん。」なんて言っているようでした。

宮澤賢治「風の又三郎」より

芒の動きが、方角を名前のように呼んでいると解釈されているようだが、これは嘉助が何処かわからない場所に迷い込んだとき、芒のなびく様子をとらえた感覚なのだ。何を示しているのか不思議な描写だと思う。
この繰り返される「あ」が、私には「阿」に思えて来る。「阿」をネット辞書「コトバンク」で引くと以下のようにあった。「あー」と音を伸ばせば、「あー にしさん あー ひがしさん あー にしさん」と、お経のリズムのようだとも思う。嘉助は無言のお経を聴いたのだと感じられる。

「阿」
仏語。 ① 梵語の母音一二種の最初におかれる音 a にあてられる文字。 事物の始まり、根本を意味するとされる。 特に密教では、宇宙万物は元来不生にして不滅であるという真理、すなわち空(くう)を象徴するものと考え、阿字(の形、音、意味)を観ずることにより、真理を体得できるとして極めて重視する。
② 親しみを表して人の姓、名前などに付けて用いる語。

コトバンクより

また、少年たちが又三郎に向かって、投じたことばが次の部分である。

 すると、だれともなく、
「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」と叫んだものがありました。
 みんなもすぐ声をそろえて叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

宮澤賢治「風の又三郎」より

この「どっこどっこ」というオノマトペは、おそらく「どっかどっか」の音転方言として用いていると思うが、私は賢治の信仰した宗旨とは異なることは承知の上で、幼少期に触れていたという浄土真宗において使われる「無量寿経」の中の「独生独死(どくしょうどくし)独去独来(どっこどくらい)」の響きを感じとる。

🔖 西国浄土のまぼろし

現とも幻ともつかめない迷い径に入り込んだ嘉助が、又三郎の導きで脱出した後の光景描写はこうである。

  霧がふっと切れました。日の光がさっと流れて入りました。その太陽は、少し西の方に寄ってかかり、幾片かの蝋のような霧が、逃げおくれて仕方なしに光りました。
 草からは雫がきらきら落ち、すべての葉も茎も花も、今年の終わりの日の光を吸っています。
 はるかな西の碧い野原は、今泣きやんだようにまぶしく笑い、向こうの栗の木は青い後光を放ちました。

宮澤賢治「風の又三郎」より

ここには、明確に西方浄土のイメージが語られているのを認められるだろう。「風の又三郎」執筆以前の詩「オホーツク挽歌」にも、上の場面に類似するイメージが出ている。

 わびしい草穂やひかりのもや
 緑青は水平線までうららかに延び
 雲の累帯構造のつぎ目から
 一きれのぞく天の青
 強くもわたくしの胸は刺されてゐる
 それらの二つの青いいろは
 どちらもとし子のもつてゐた特性だ
 わたくしが樺太のひとのない海岸を
 ひとり歩いたり疲れて睡つたりしてゐるとき
 とし子はあの青いところのはてにゐて
 なにをしてゐるのかわからない

大正12年8月4日 宮澤賢治「オホ-ツク挽歌」より

                                                 令和6年3月                           瀬戸風  凪
                                                                                                       setokaze nagi


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