見出し画像

ワタクシ流☆絵解き館その263・青木繁の絵に共振する与謝野晶子の詩篇

文芸雑誌「明星」は、与謝野鉄幹が中心となって明治33年に創刊した雑誌である。藤島武二に表紙の絵を依頼していたことが象徴しているように、浪漫主義の画家を積極的に認めていて、その紹介も雑誌の主要項目だった。

青木繁もそのうちの一人で、明治37 (1904 ) 年の白馬会で公開され話題になった「海の幸」の、その後青木が画筆を加える前の映像を、明治38 (1905) 年3月の「明星/第4号」で、いち早く世に紹介している。( 下の挿図 )。この映像によって「海の幸」を知った当時の青年たちは多かった。
この「明星」に集った文学者の作品と、浪漫主義の画家たちの芸術の関わり合い方について次の論考は、大いに参考になる。

ラファエル前派 ( 以下 P.R.B と記述 ) の日本への紹介は、この小泉八雲の他、島村抱月、上田敏、蒲原有明、夏目漱石などの文学者によってなされ、それが美術の世界に伝播し、藤島武二、青木繁、村山槐多、竹久夢二などに影響を与えたのであった。このことは、P.R.B  の影響が、西欧においては美術界から文学界へともたらされたのに対して、日本では文学界から美術界へというように、ちょうど逆の現象となて現われていたことを示している。
               (中略)
明治浪漫主義が最盛期を迎える三十年代の、具体的なモデルとして直接の刺激を与えたのが、英国における第二波のロマン主義というべきこの P.R.B であった。彼らが理想とした(詩は絵のごとく、絵は詩のごとく)という理念は、青木繁や藤島武二がかかわった「明星」や『白樺」、与謝野晶子の詩集の挿絵などにも見ることができる。

【テーマ討論I・ロマン主義の詩学lその受容と逸脱】
立命館大学・福田知子 —ロマン主義の曙「明治浪漫主義」より引用
明治38 (1905) 年3月  雑誌「明星/第4号」表紙
明治38 (1905) 年3月  雑誌「明星/第4号」目次 ( 部分 ) より
囲み線挿入は筆者による
明治38 (1905) 年3月  雑誌「明星/第4号」掲載の青木繁「海の幸」図版 
まだ青木が中央の人物を白面に塗る前と推定される 完成後最も早い時期の画像
明治38 (1905) 年3月  雑誌「明星/第4号」掲載の青木繁「海の幸」図版部分
明治37 (1904)年 青木繁「海の幸」部分 アーティゾン美術館蔵   重要文化財
顔を白面にしたことが、元からの芸術的ショックをさらに高めたと言える
明治37 (1904)年 青木繁「海の幸」全図 アーティゾン美術館蔵   重要文化財 

文学者たちの活動が、明治浪漫派の絵画作品を誘引したという上に引用した論考を進めることになるが、私は青木繁の「海の幸」「わだつみのいろこの宮」の二作品は、今度は文学者たちを大いに刺激し、さまざまな作品を着想させたと思っている。
今回紹介する与謝野晶子の詩「曙光」「五月の海」「太陽出現」もまた、青木の「海の幸」から晶子が受け取った印象が、詩句の中にこもっていると感じられる。与謝野晶子は、「海の幸」「わだつみのいろこの宮」ともに、白馬会展と東京府勧業博覧会美術展出品時に見ている。

なお、下の図版「運命」「輪転」は、展覧会出品作ではなく私蔵されていたものなので、晶子は実物は見ていない。青木のこの二作品は、「海の幸」創作以前の作品で、「海の幸」「わだつみのいろこの宮」の絵画エッセンスがすでに萌芽しているという見解を、過去の記事で述べて来たので、参考として挙げた。
与謝野晶子は、「海の幸」からのインスピレーションを三つの詩にアレンジメントしているようだし、その展開により生まれた詩句は、まるで晶子は「運命」「輪転」を知っていて、なぞらえて作ったかのような感覚を覚えさせる詩であるからだ。
青木と晶子は、おのがじしの営みながら、相似た詩情を以て、同じ観念の海を遊弋していたという気がする。

青木繁「運命」油彩 1904年 東京国立近代美術館蔵
青木繁 「輪転」 1903年 アーティゾン美術館蔵

   

  曙光

               与謝野晶子

 今、暁の
 太陽の会釈に、
 金色 ( こんじき ) の笑ひ
 天の隅隅に降り注ぐ。

 彼かれは目覚めたり、
 光る鶴嘴 ( つるはし )
 幅びろき胸、
 うしろに靡く
 空色の髪、
 わが青年は
 悠揚として立ち上がる。

 裸体なる彼が
 冒険の旅は
 太陽のみ知りて、
 空より見て羨めり。

 青年の行手には、
 蒼茫たる
 無辺の大地、
 その上に、遥かに長く
 濃き紫の一線
 縦に、前へ、
 路の如く横たはるは、
 唯、彼の歩み行く
 孤独の影のみ。

 今、暁の
 太陽のみ
 光の手を伸べて
 彼を見送る。

1929(昭和4)年1月20日刊 実業之日本社「晶子詩篇全集」より
    

 五月の海

                  与謝野晶子

 おお、海が高まる、高まる。
 若い、やさしい五月の胸、
 群青色の海が高まる。
 金岡 ( かなをか ) の金泥の厚さ、
 光悦の線の太さ、
 寫樂 ( しやらく ) の神経のきびきびしさ、
 其等を一つに融かして
 音楽のやうに海が高まる。

 さうして、その先に
 美しい海の乳首と見える
 まんまるい一点の紅い帆。
 それを中心に
 今、海は一段と緊張し、
 高まる、高まる、高まる。
 おお、若い命が高まる。
 わたしと一所に海が高まる。

1929(昭和4)年1月20日刊 実業之日本社「晶子詩篇全集」より    

 太陽出現 

               与謝野晶子

 薄暗がりの地平に
 大火の祭。
 空が焦げる、
 海が燃える。

 珊瑚紅から
 黄金の光へ、
 眩ゆくも変りゆく
 焔 ( ほのほ ) の舞。

 曙の雲間から
 子供らしい円い頬
 真赤に染めて笑ふ
 地上の山山。

 今、焔は一ひと揺れし、
 世界に降らす金粉。
 不死鳥 ( フエニクス ) の羽ばたきだ。
 太陽が現れる。

1929(昭和4)年1月20日刊 実業之日本社「晶子詩篇全集」より

                                                               令和6年4月       瀬戸風  凪
                                                                                                      setokaze nagi


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?