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031 褒めてくれることへの想い

何かと不安的な天気が続いていますね。前髪が湿気を吸ってしまい、天パにはつらい季節です。

今日は所用で大学へ向かっています。電車が少し退屈なので、昨日の出来事を残そうかなと。

大学進学って普通?

何度か言ってきたように、自分は地元の個別指導塾で昨年の12月頃からアルバイトをしている。

自分は、小中と公立で、高校はいわゆる進学校とかいうやつで、今ではそれなりに立派な大学に通わせてもらっている。

日本の大学進学率は伸びてきているようだ。

文部科学省『学校基本調査』によると、昨春2020年に卒業した高校生(全日制・定時制、中等教育学校後期課程)のうち55.4%が、現役で大学・短大に進学したそうだ。

この55.4%は過去最高らしいのだが、それでもおよそ2人に1人という割合だ。そう聞くと、驚くべき進学率とは思えない印象を受ける。

世間的には、大学進学は当たり前ではない。4年制の大学なんてことになれば、その当たり前さはもっと低下してくる。

だが、自分が今日まで辿ってきたライフコースでは、大学進学はなんら珍しいことではなく、むしろ当たり前の部類に入るライフイベントであった。

うちの塾は進学塾ではなく、レベルとしては学校の補修レベルも受け持つ。高校生たちの授業ももちろん持つことはあるのだが、彼らも、大学進学が当たり前な人たちばかりではない。

無論、「大学」と一言で言っても、自分が当たり前と思いこまされていた大学のレベルと、大学進学が当たり前ではないライフコースをたどってきた人が目指している大学は、偏差値の観点で差がある。スゴイのレベルももちろん違う。

世の中言ってしまえばすべて相対的

まあ、そんな塾バイトなのですが、受け持つ生徒のレベルが広ければ、採用される講師にももちろん差があっても構わない。

適材適所という言葉があるように、自分は勉強が苦手な子にどうすれば理解してもらえるかというワードチョイスがまだまだ足りない。

これで理解してもらえないならもう無理よ(笑) とマスクの下で笑いながらも絶望するときもある。

そういう子に対しては、同じく勉強が苦手だった自分を覚えており、どうすれば勉強苦手なりに理解ができたのかを体現できる先生のほうが、こういう生徒相手には向いている。

とある1つ上の男の先輩と、高校3年生英語を曜日違いで担当している。その生徒の志望校は、かの有名な上智大学で、うちの塾が扱えるレベルを正直超えている。校風を気に入ってくれたそうなので、そこは嬉しいのだが、それなりに厳しいところもある。

自分は、上智大学といえば、高校時代、全く眼中になかったり相まみえることのない存在というわけでもなかった。上智大学と聞けば、具体的にその受験レベルを把握することができる環境にいた。

だが、そのもう一人の担当してらっしゃる先輩は、決してそういうわけでもなかったらしい。担当であることに、たいへん肩身が狭い思いであるそうだ。

そんな先輩はよく自分を褒めてくれる。

自分が今一番重きを置いている場所が大学だとして、やはりこの大学という社会にいればいるほど、その中にいる人の考えってじわじわと均一化してくると思う。

当たり前、が徐々に形成されていく。

ある程度はなにか志を持ち、将来やものごとに対する考え方が似ている人が見つけやすいのが大学だなと思う。学部学科が同じ人は特にその傾向が強い。ぼやぼやっとした漠然な将来に向けて、ともに奮闘する。大人への過渡期をともに過ごす学友たち。

それなりに将来を意識できる素晴らしい大学だから、我々学生は影響されるのか。
それとも、もともと将来に対してそれなりに考えている個人が集まっているだけなのか。

因果関係はつかみづらい。

このままでいいのか、なにかするべきことがあるのではないか。大学にいるとふとこんなことに苛まれることがある。

そんなときに、

ぽっとその外に出てみて、外からの声を、評価を聞くことで、ふと社会全体に自分が戻された気がする。一気にグーグルアースのようにグッとマクロな視点から自分を見下ろしてくれる。まるで幽体離脱?

考えすぎだよ~もっと大学生楽しみな?などの声にふと目を覚まされ、あ、自分頑張ってるほうなんだ。と怠惰になるわけではないが、少しばかりの息抜きを与えてくれる。

この漠然とした将来に対するもやもやを、仲間とともに晴らしていきたいものだ。

〈今日のひとこと〉

このノート、何が一番難しいって、タイトルなんですよね~

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