見出し画像

現実?本物??

| 最近考えること

最近、よく考えることがある.
限りなく自然な森の中にも、ゴミが落ちていたり、人間臭いものがあったり、とにかくケミカルな物が混じっている.
情報だってそうだ.
常に通信可能な媒体を身につけいる我々は、情報に過敏になり嫌でも流動的に目に入ってくる.
そんな中、どれが正しい情報であるかなど正確に判断しようがない.
では、全てが正しい情報であればよいのか.
そんななかで娯楽なんて生まれないし、クソつまらないといって皆、鉄の板を使わなくなるだろう.
ここまで既に、大きく論理が飛躍しているが、更なる飛躍をさせてもらう.
皆さんも、シュレディンガーの猫はご存知であろう.
量子力学の話はよくわからないが、簡単に説明するなら以下であろう.
猫を私たち観測者が認識できない箱の中に入れたとする.そして、その箱を開けない限り、箱の中にいる猫の生死を認識することはできないのである。
観測者が観ている間は猫の生死は認識可能であるが、箱の中での変化は認識しようがないのだ.
ひねくれた考え方だが、この中に一緒にカメラを入れたとしよう.
しかし、これも同じでカメラという観察者がいるため上記と同じになる.
もしかすると、私たちが見ているからモノはそこにあり、誰も見ていなければそこには存在していないモノだってあるかもしれない.
この話は、本物?偽物?みたいな考えと繋がる部分がある.
例えば、ARメガネ着用が主流になった時、メガネを通しそこにあたかも存在していると思い込んでいても、着けてない人からすればなにも存在していない.
(そこにあるけど存在していないみたいな絵.
書いてみた↓↓↓↓↓)

幽霊だって、見える人がいるらしいが、見えない人には見えていない.
嘘だって、皆が信じればそれは真実ではないが偽物ではない.
高級なモノも、より洗礼された偽物を素人が信じていれば、誰かが教えない限り、ホンモノとなる.
みたいな、事を考えていた.

| コロナを通して

上記と少し重なるから書いておこう.
若者の間で、ワクチン副作用の噂をよく目にするようになった.
やはり情報に過敏になっている若者が多いのか、打たないと言う者も少なからずいる.
そもそも、ワクチンを打つ限りなんらかのリスクは存在しているものであるし、嘘か本当かもわからない副作用に怯えることも浅はかであるように感じる.
車という現代の足を手に入れるため、日々私たちは事故というリスクを背負って生きている.
電車も同じであろう.
また、アメリカのデータを見ても、直接的にワクチン接種で死亡した事例はないとされている.
話が戻るが、シュレディンガーの猫から考えたことの先がある.
仮に、金属剥き出しのおもちゃの猫がいるとする.
おもちゃは半分が金属だが、もう半分は本物と同じ毛皮を被っている.
あたりまえだが、半分しか見ていない者には本物か偽物かの区別はつけられないであろう.
情報も同じである.
Twitterなどのより偏ったコミュニティのなかで、半分も見えていない情報など、真偽の余地もないのだ.
娯楽目的ならよい.
だが、そこに左右されるのはおかしな話であろう.
ググるというワードのように、わからないことは検索するというのも、場合によっては、違和感を感じてきた.
一旦止まり考える過程も何か大切であると感じているのだ.

長々と書いたが、私はこんなことを最近考えて生きている.
記録したくなったから書いてみた.

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?