見出し画像

【特別公開】連載「父の過労死」第2回 社会を変えていく人たち

雑誌『POSSE』では、父親の過労死を経験した1995年生まれの高橋優希さん(仮名)が、会社に過労死の責任を認めさせるまでの10年間の記録を連載しています。今回は『POSSE』vol.49(特集:ケアの市場化の果てに)に掲載された、連載第2回「社会を変えていく人たち」を特別公開いたします。

▼最新号のご購入はこちら!

▼クレジットカード払いで20%OFFとなる定期購読はこちら!


 父の過労死が起きてから6年が経過した2017年、当時22歳の大学生だった私は過労死の責任を追及するため、父が働いていた会社に対して裁判を起こしました。長い間、「父の過労死の責任を働いていた会社に取らせたい」という目的だけで裁判をしたいと考えてきましたが、社会を変えようと立ち上がっている同世代や過労死遺族との出会いのなかで「社会全体から過労死をなくしていく」という目的に変化していきます。

 連載第2回目の本稿では、団体交渉や裁判で企業と闘っていた同世代や過労死遺族から受けた影響、POSSEでの活動、そして、過労死裁判を提訴するまでの経緯について書きました。

立ち上がる同世代

 私が初めて参加した運動の現場は、ブラックバイトユニオンが取り組んでいた個別指導塾との団体交渉でした。個別指導塾業界では、授業前後の準備時間などに賃金を支払わない「コマ給」問題が常態化していました。大学一年生のアルバイト講師が、未払い賃金や法定通りに取ることのできない休憩についての改善要求をしていました。学生は交渉の場で、自分の親ほど年齢が離れているはずの企業の交渉担当者に対し、自分の言葉で、直接、労働環境の改善を訴えていました。不安や緊張も当然あったとは思いますが、私はそれ以上に、不誠実な企業に対しての怒りや労働環境を改善させたいという強い意志を感じました。団体交渉の場でおこなわれていたことは、企業に対してのお願いではなく、権利を実現するための闘いでした。最終的に、学生は自分の未払いにされていた賃金を取り戻しました。他の個別指導塾では学生が闘ったことで、全国の支店の未払い残業の改善という成果を勝ち取った例もあります。
 印象に残っている労働事件のもう一つは、飲食店でアルバイトをしていた大学生が店長から包丁で刺されたという内容の事件です。店舗の人手不足が深刻化していくと同時に、被害学生のAさんは4月もの間1日も休まずに連続勤務を強いられ、1日の勤務時間も昼の12時すぎから深夜の25時すぎまで、1日12時間程度働かされていました。殴る、首を絞める、20万円以上に及ぶ違法な自腹購入を強いるなど、店長の行動はエスカレートしていき、しまいには店舗にあった調理用包丁(刃渡15センチメートル)を持ち出して、勤務中のAさんの左胸を突き刺しました。そのような恐ろしい経験をしながらも、Aさんはバイトを辞める決心がつくまでの数日間、勤務中の音声を録音していました。Aさんはブラックバイトユニオンに加入し、働いていた飲食店に対して、ブラックバイトでは初となる民事訴訟と刑事告訴をおこないました。裁判の結果は和解となり、解決金の支払いや暴言や暴力、自腹購入に対する謝罪などが和解条項に組み込まれました。元店長と元従業員については、暴行罪などで罰金刑が確定しました。
 「包丁で刺される」という想像しがたい恐怖を経験したにもかかわらず、必死で証拠を残し、会社の違法行為を認めさせるという成果を出したAさんと私は同い年で、大学生でした。父の過労死裁判を始めることを考えていた私は、学生という立場であっても違法な企業と対等に闘える、成果を勝ち取ることができるという確信を持つことができました。
 私は2つの労働事件から「労働者と企業は対立している」「不当な事に対しては怒っていい」ということを当事者の行動を通じて学びました。学校では長い間、「協調性」や「規律を守る」ことの大切さばかりを教えられてきたように感じます。小中学生の頃から職業体験や会社見学、経営者の講演などに参加させられ、「働くことは素晴らしい」という価値観ばかりを植え付けられてきました。働いていて不当な出来事に遭遇した場合の権利行使の方法や法律は何一つとして教わってきませんでした。教わってきたのは受験競争や就活競争での勝ち方や他人の出し抜き方ばかりです。それが当たり前な社会を生きてきたので、同世代の学生が自分のためだけでなく企業と闘い、実際に社会を変えていく過程に携わっていくことは、私にとっては新鮮で大きな可能性を感じる経験となりました。

労使交渉以外の運動現場

 労使交渉以外では、生活保護申請同行や奨学金を社会問題化するための活動に参加しました。
 生活保護申請同行とは、役所への生活保護の申請にスタッフが同行し、相談者が適切に制度につながれるようにする支援です。本来であれば、生活保護は誰でも申請することができる制度です。しかし、生活保護費抑制のために、虚偽の説明をおこなって相談者を追い返したり、生活保護窓口そのものを塞ぐことで申請を拒否する自治体があります。申請を妨げる行為は申請権の侵害として違法であり、「水際作戦」と呼ばれています。水際作戦による餓死事件も頻繁に起きています。私が実際に同行した役所でも、相談者に対して高圧的な対応をする担当者や、水際作戦の違法性を指摘したことに対して逆ギレしてきた担当者が複数いました。私は大学で社会福祉について学んでいますが、教科書で学ぶ生活保護制度と実際の生活保護制度は大きな乖離がありました。生存権は自ずと守られるものではなく、継続的な支援が欠かせないことを知りました。
 奨学金問題では、日本学生支援機構が奨学金の返済が滞った人に対しておこなった裁判の実態調査を通じて社会問題化していきました。裁判所に行き、奨学金に関する裁判の判決文を書き写していくという作業をおこないました。調査で見えてきたことは、日本学生支援機構は病気で働けなくなった場合や仕事が低賃金で返済ができない場合でも、本人の生活状況を全く考慮することなく請求をおこなうということです。そして、本人に支払い能力がないと判断すると、即座に連帯保証人や保証人になっている家族や親戚にまで容赦なく取り立てをおこないます。一定の期間返済が滞った場合、元本や利子に延滞金が足された数百万円単位の金額が一括請求されることになります。海外では授業料が無料なことに加えて生活費のための給付型奨学金も支給される国がある一方で、日本ではほとんどが貸与型の「借金」となっており、しかもその過半数が有利子での貸し付けとなっています。奨学金返済のために、劣悪な環境のブラックバイトやブラック企業でも辞めることができない人なども大勢いるはずです。奨学金の調査や相談内容は後に今野晴貴『ブラック奨学金』(文春新書、2017年)という本にまとめられることになりました。地道な調査や相談活動の積み重ねが大きな社会発信につながっていきました。

社会問題としての過労死、労基署の限界

 過労死事件の報道や過労死裁判の傍聴を通じて、過労死は現在進行形で社会全体で起きているということが分かってきました。
 2016年に大きく報道された電通の事件では、入社わずか8ヶ月の当時24歳だった女性が過労自殺しました。月100時間前後の残業や上司からのパワハラが原因でした。
 グリーンディスプレイという会社では、月最大で134時間の残業をおこなっていた24歳の男性が過労事故死しました。約21時間仮眠なしの深夜勤務を終えた帰宅途中に運転していた原付バイクが電柱に衝突し亡くなりました。
 グリーンディスプレイの過労死裁判はPOSSEボランティアとして何度か傍聴支援に行きました。結果は、裁判所が会社の責任を認める内容での和解を勧告し、会社もそれを認めました。裁判所は会社側が「適切な通勤方法を指示するなど、事故を回避すべき義務を怠った」とグリーンディスプレイ社に責任があることを認めたうえで、「働き方改革」や電通での過労死事件に言及しながら「『過労死』に関する社会の関心が高まってきており、『過労死』の撲滅は、我が国において喫緊に解決すべき重要な課題」だとして、会社に賠償金の支払いと謝罪をするよう勧告しました。「過労死」や「過労自死」とは違い、「過労事故死」は裁判で争われたケースがほとんどなかったので、画期的な和解になりました。
 これらの事件を知り、自分と同世代でも過労死や過労自殺で亡くなっている人がいることに驚きました。私も職場でパワハラを経験し、「死にたい」と考えるほど追い込まれた経験があるので、他人事とは思えませんでした。他の過労死事件の報道や過労死関連の本も読み、過労死は父の会社だけでなく社会全体の普遍的な問題だということを少しずつ認識していきました。
 これまでの団体交渉の経験や過労死の学習から、「労働基準監督署が労働環境を改善してくれる」というのは幻想だと気づきました。まず、労働基準監督官の少なさです。全国に約3000人しかおらず、実際に現場で監督業務に従事するのはその半分の1500人程度になります。全国に400万ある企業を厳密に取り締まるのはほぼ不可能です。次に、罰則の弱さです。労働基準法違反の最も重い罰則は、強制労働(労働基準法第117条)をさせた場合の「1年以上10年以下の懲役又は20万以上300万円以下の罰金」となっています。過労自殺が起きた電通が労働基準法違反に対して支払った罰金はわずか50万円でした。人が亡くなったとしてもです。それに、罰金が増額されたとしても企業の資金力によっては痛くもかゆくもありません。また、労基署や警察などが自ら動いて職場で起きた違法行為を取り締まってくれるということは、監督官の少なさから考えてもほとんど期待できません。労働組合や弁護士が申告や刑事告訴などをおこなってから初めて機能し始めます。
 国に頼るのではなく、団体交渉や裁判などの手段を使い自分たちで下から変えていくことが大事なのではないかという考えに変わっていきました。

過労死遺族との出会い

 2017年に「過労死防止学会」という、過労死遺族や弁護士、専門家などが参加する、過労死をなくしていくためのシンポジウムに参加しました。私はそこで、社会全体から過労死をなくしたいと考えている過労死遺族と出会いました。過労死防止法の制定に携わった遺族や裁判を闘っている遺族、学校や職場で過労死防止啓発活動をしている遺族などが大勢いました。私が今まで目指していた、現行の法制度の枠組みの中でしか動くことができない労働基準監督官や、労働問題を金儲けの手段だと考えていた社労士とは違い、「過労死をなくしていく」という共通目的を持った過労死遺族が主体となって様々な成果を出している過労死運動に、私は希望を感じました。しかし、私には一つだけ懸念点がありました。それは、同世代の若者がその場に一人もいなかったことです。過労死運動を引き継ぎ、更に発展させていかなければ、数十年に渡る苦労の積み重ねが消えてしまうのではないかと不安になりました。私はその時、「自分がやらなくても、他の誰かが過労死問題に取り組むだろう」から「仲間を増やして、本気で社会から過労死をなくしていきたい」という考えに変わりました。

過労死遺族としてできること

 父の過労死や自分が経験した労働問題について、大学の授業でゲストスピーカーとして学生の前で話した経験があります。
 自分の経験を話すことに最初は不安しかありませんでした。世の中には当たり前のように「自己責任論」が蔓延していますし、過労死遺族には周りから「なんで仕事辞めなかったの」と心無い言葉を浴びせられた方もいます。授業の当日は、父の過労死や自分が経験した労働問題、これから自分が原告として過労死裁判を始めようとしていることについて、15分ほど話しました。後日、学生の感想が送られてきました。想像とは裏腹に、共感や裁判を始めることに対しての応援の言葉ばかりで私は驚きました。また、就職することに対しての不安、家族や周りの人の労働環境を心配する声も多くありました。感想の一部を紹介したいと思います。

「親戚にも過労死をしてしまった人がいたので、今日の話はとても距離を近く感じ、理解できた」
「過労死というのは私の中学の先生もなっているので知っていた。良い人だったので、仕事をしすぎたのだと思う」
「自分の父親も会社でパワハラにあって辞職したことがある。これから労働問題が減っていく世の中になっていくといいと思うし、自分も労働問題について勉強したい」
「日本は、過労死が他国に比べて多いと聞いていましたが、本人談を聞いてリアルに考えられました」
「ニュースや授業で過労死について聞いていましたが、実際にご体験された方の話をきいて、現実味を帯びました。裁判が少しでも良い結果になることを祈っております」
「私は過労死問題について興味があったので興味深かった。裁判を起こすという行動に驚きましたが、頑張って頂きたく思いました」
「今の自分自身はスポーツをしていて、身体も丈夫だから、過労死はしないだろうと思っていたが、話を聞いてとても身近なものだと感じた」

 私はこの経験から、父の過労死を過去の辛い出来事としてそのまま終わらせるのではなく、今後過労死をなくしていくために活かしていけるのではないかと思いました。私が他の過労死遺族から影響を受けたように、自分自身も他の誰かに影響を与えることができるのではないかと考えたのです。

提訴

 提訴は、労働者が死亡した日から時効までの10年以内におこなう必要がありました。裁判の準備は労災資料を労働局に開示請求することから始まりました。2016年12月に開示請求をおこない、2017年2月に開示されて文書が送付されてきました。五月には支援者であるPOSSEのスタッフと共に、東京から岩手に住んでいる母のところへ裁判の説明をしに行きました。その後、過労死問題に詳しくPOSSEともつながりのある指宿昭一弁護士と初めて会い、何度か打ち合わせをおこないました。指宿弁護士に頼もうと思った決め手は、しっかりと遺族の意見を汲み取ってくれたことに加え、過労死問題に影響を与えられるような裁判にすることができると思えたからです。他の過労死遺族から聞いた話ですが、労働者側で過労死問題を専門にしている弁護士の中にも、遺族の意見を汲み取らずに裁判を勝手に進めてしまう弁護士や大金が動くことになる過労死裁判を金儲けのビジネスとして考えている弁護士がいます。弁護士選びは慎重におこなうことが大事だと思います。
 裁判の準備のために父が働いていた会社の調査をしていると、驚くべきことが分かりました。会社は、父の労災認定がおりた5ヶ月後に解散し、役員が代表を務める別法人に工場や資産を売り払っていました。タイミングからして、過労死の賠償責任を免れるために資産移転をおこなったとしか思えませんでした。現在は同じ土地と建物を使って、登記上は全く別の会社が事業をおこなっていますが、以前の名称とほぼ同じで事業の内容も変わっていません。こうした偽装倒産がおこなわれることは過労死事件では珍しいことではないそうです。偽装倒産に限らず、会社側は損害賠償の請求を回避するためにあらゆる隠蔽工作をおこないます。
 社会的な反響をできるだけ大きくするために提訴するタイミングは厚労省が定めている「過労死等防止啓発月間」である11月に決めました。そして11月16日、「株式会社サンセイ」と役員3人を横浜地方裁判所に提訴しました。同時に社会発信をするための記者会見もおこないました。同じ月にはPOSSE主催で過労死問題を考えるためのイベントを開催しました。自分が想像していたよりも多くの参加者がおり、参加者のなかには弁護士もいて驚いた記憶があります。
 提訴した時の心境ですが、会社と闘うことの怖さはあまり感じていませんでした。POSSEでの学習や活動を重ねていくなかで、自分がこれから始めることは正しいことだという確信を持つことができたからです。私はそれよりも、裁判を始めることで世間から向けられるかもしれない、過労死や過労自殺に対しての自己責任論や自分たち遺族への誹謗中傷を怖れていました。一緒に闘っていけるPOSSEや過労死遺族の仲間がいたことでその不安は乗り越えることができました。

画像1
裁判の判決言い渡し後の記者会見

母の心境

 裁判を始めるには母の協力が不可欠でした。これは、過労死が起きてから提訴に至るまでの心境の変化について、この連載のために母自身が書いた文章です。

 2016年、息子が大学に入ってから「絶対裁判するから、1人でもやるから」と連絡する度に息子から言われるようになりました。夫が亡くなったすぐ後にも「会社訴えた方がいいよ。裁判した方がいいよ」と言われたことがありました。ですが、その頃の私には、今まで仲良くやってきた友人や遠い親戚も働いている会社を訴えるなんて考えられなかったし、「もし会社が潰れたらこの人たちはどうするの?」というような気がかりもありました。もしやったとして、どこのだれを訴えて、どの弁護士に頼むのかさえ、何もわかりませんでしたし、わかろうとしなかったのかもしれません。その頃、まだ成人もしていない子供たちとこの先どうしたらいいか、その不安しかなかったように思います。そして、労災が認定されればそこで終わり、もし認定されなければせめて未払い分の請求をしてみよう。その先は「何もしない。何もできない」と息子に話したように思います。亡くなってから、5年が経ち息子もいろいろな経験をした中で今度は自分でやると言ってきたものですから、いずれ裁判するとなった時は協力しよう、一緒にやろうと思いました。でも頭の片隅には本当にできるのか? と不安はありましたし、息子に対してはっきり返事をしていなかったように思います。
 その年の年末、まずは労働局に労災の開示請求に行きました。素人判断ですぐに開示してもらえるものと思いました。1ヶ月ほどかかるということでした。しかし1ヶ月後、30日延長の通知が届きました。理由は、「当該開示請求に係る保有個人情報については開示、不開示の審査に相当の時間を要するため」でした。そして、2週間後に部分開示されました。労働局より、「黒塗りの部分が結構あり、1枚すべて真っ黒というページも結構ありその分コピーしてもしなくても同じようですので省いてもいいか」との電話を受けました。はじめは言われるがまま、それもそうかと思いましたが、よくよく考えますとたとえ真っ黒でも、夫が命を削って働いた証拠を切り取られてしまうような気持ちになりましたので全部送付していただくことにしました。
 それと前後するように息子から支援してくれる団体が見つかったと告げられました。NPO法人POSSEでした。そして2017年5月、息子がPOSSEの方を連れて家に説明しに来ることになりました。いよいよ説得しにくるんだと思いました。思ったよりずっと若い人たちですぐに仏壇に手を合わせとてもきちんとしたいい印象を受けました。過労死裁判についての流れを説明してもらいました。その中で驚いたことが二つあります。一つは過労死の認定件数が毎年200件くらい。私が思っていたよりもすごく少ない。実際に認定されるのは難しいということです。2つ目は会社はすでになくなっており、今は別の法人になっている。会社名と土地建物は同じということで、そこではじめて人を殺して逃げたとんでもない会社だと思いました。怒りとともに、会社がないのであれば裁判はできないのではという不安がよぎりましたが、詳しい弁護士さんを紹介していただけるということで安心しました。それから一週間後、仙台のPOSSE事務所にて弁護士さんと会うことになり、前にあったPOSSEの2人と学生ボランティアも一人同席していただき、だいぶ緊張していましたがPOSSEの方たちがいてくれたおかげで、聞けないようなことも聞いてくれたりしてありがたかったです。幸い弁護士さんも夫と同じくらいの年齢で優しそうな方で安心しました。この方たちが支援してくれるなら裁判できるかも、やってみよう、そう思えたのです。
 加えて、声を上げることの重要性も教えられました。提訴と一緒に会見もするというのです。最初は当然反対しました。会社名を出すと同時にこちらも名前を出さないといけないと思ったからです。なぜ被害者なのにそこまでしなければいけないのか? 新聞やテレビに出た後どうなるのかという不安ばかりでした。ですが、損害賠償請求に加えて偽装倒産しているため、今までにない詐害行為取消訴訟もおこなわなければなりませんでした。難しい裁判を有利に進めるため、他の泣き寝入りしているかもしれない遺族に過労死のことを知ってもらうため、そう思い匿名を条件に記者会見することにしました。

仲間がいるから闘える

 裁判をしたり、国に対して働きかけをしたり、様々なメディアに出たりなどして活躍している過労死遺族の方たちは、自分とはかけ離れている存在だと感じてしまうかもしれませんが、全員が最初から迷いなく、過労死をなくしていくための行動を起こすことができたわけではないと思います。過労死運動や人との出会いのなかで、学び、決断し、悲しみを少しでも力に変えながら、過労死の悲劇を繰り返させないために日々闘っているのだと思います。社会を変えていく力は、一人ひとりに平等に眠っているはずです。
 最後に、提訴時におこなったことを報告するイベントで話した文章を一部載せて、本稿を終わりにしたいと思います。

 過労死やブラック企業の問題に対抗していくためには、2つ重要な点があると気づきました。まずは、当事者が立ち上がることです。現状だと、多くの当事者が泣き寝入りしてしまっていると思います。どんなに優秀な弁護士や、専門家がいたとしても当事者が立ち上がらなければ、問題はなかったことにされ、また別の被害者が出てしまいます。私自身、裁判を始めるにあたって非常に迷いましたし、これからも悩みは尽きないと思います。ですが、過労死を世の中からなくしたいという思いは、今後も変わらないと思います。次に、支援者の存在です。当事者が立ち上がるためには、支援者の存在が欠かせないと思っています。今回裁判をするにあたっても、弁護士と繋がることや、会社の調査などは、POSSEと出会っていなければできていませんでした。何より、同じ方向に向かって進んでいける仲間がいるという事は本当に心強いです。これからみなさんが一緒に立ち上がってくれることを信じています。

 この連載の次回では、一審の横浜地方裁判所と二審の東京高等裁判所での判決内容や裁判での苦労、過労死裁判での支援団体の重要性について書いていこうと思います。

著者
高橋優希(仮名)
1995年生まれ。大学生。15歳の時、父親の過労死を経験する。自分自身も職場でのパワハラや賃金不払いを経験し、悲惨な労働環境を変えたいと思い始める。22歳の時、原告として父が働いていた会社を提訴。父の過労死から10年経った今年、高裁で会社と取締役1人の責任が認められた。

【クラウドファンディング実施中!】
NPO法人POSSEでは2021年12月26日まで、過労死遺族の方たちが労災の補償を受けられるようサポートするためのクラウドファンディングをおこなっています。詳細はこちらをご覧ください。ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

▼最新号のご購入はこちら!

▼クレジットカード払いで20%OFFとなる定期購読はこちら!


POSSEの編集は、大学生を中心としたボランティアで運営されています。よりよい誌面を製作するため、サポートをお願いします。