「可哀想」という言葉は苦手

こんばんは、ポソです。
「うーん、ツイートしようかな、でもなぁ…」と思ったときに、「あ、noteに書いてみよ!」となったため少し書かせていただきます。
偶然にも、私もそうだよ〜という方がいらっしゃると安心します( ; ; )

タイトルにもあるように、私は「可哀想」という言葉がなんだか苦手です。

長い文章をうまく書くことが苦手(限界はツイートの文字数制限の140字)なので、ひとことで理由を言わせていただくと、なんだか他人事というか、傍観者の感想のように思えるからです。
「可哀想」の裏に「僕、私にはどうもしようもないことだ」という気持ちが見え隠れしてるように感じます。共感すらするつもりもないような冷たい感情みたいなものがあるように思えてしまうのです。
もちろん、「可哀想」という人が「冷たい人」と思っているわけではありません。多分言葉の捉え方の違いがそこにはあるんだと思います。誤解なきよう…。

そんな話を母親にしたところ、「雨の中、犬がダンボールに入ってて可哀想」はいいよね?と聞かれました。お母さんがそう思おうがどう思おうが構わないので、「別に…いいんじゃない…?」と返しましたが、そんなに積極的に賛成というわけではないのです。その状況において「可哀想」以外言えなければいいんじゃない?という感じです。
例えばこの状況だったら、「どうしよう?保護する?獣医さん行く?」など、解決策を考えたいわけです。そこにはもしかしたら私にも「可哀想」という感情があるのかもしれませんが、その言葉にはなんの効果もありませんし、同情するなら金をくれ。ですし…。話が脱線しましたね、失礼しました(笑)
ただ、可哀想と思っても言わないことが正義と思ってるわけではありません。「可哀想」と思う過程に起こる感情の方が大切だと思いたいだけなんだと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます🌻
急に終わってしまったように思われた方、すみません。私の文章力と根気の問題です…。
また機会があったら読みに来ていただけると嬉しいです!

#可哀想
#共感
#言葉
#note初心者
#よろしくお願いします

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?