夢中になって頑張っていないと不安になる、という呪縛
いつからだろう。
私は、何かに夢中になって走っていないと不安になるという呪縛に縛られていることに気が付いたのは。
思えば、中学生の頃。
私は、バスケ部の部長(ベンチだけど)、生徒会役員、学級委員、美術以外はほぼ5、選抜の駅伝の部長、という分かりやすい優等生だった。
部活が終わった後でもフットワークや筋トレをして、校庭を走っていた。
それでもミニバスからゴリゴリにバスケを極めていた後輩たちに勝てなくて、自分のセンスのなさに挫折した。
勉強だって、学年で10位以内に入るくらいにはそこそこ頑張ってたけど、1位になることは一度もなかった。
多分きっとそこそこモテたけど、学年で一番可愛い子には到底及ばなくて、好きな人にも好きだって言ってもらえなくて、煮え切れない気持ちでいっぱいだった。
家に帰れば母とはいつも喧嘩していて、私の居場所なんてどこにもないなってやさぐれてた。
そんな腐った感情でいっぱいの10代を過ごしていたからこそ、何か無駄なことを考えないように、自分の存在価値がないってことを痛感しないように、私はいつだって何かに夢中になって生きてきた。
高校時代はチアリーディング。(土台)
短大時代は編入試験。
大学時代は勉強、飲み会、就活。
社会に出てからは、とにかく売れない自分がいやで、誰からも必要とされない自分が嫌で、私は夢中で仕事をしてきた。
それは、自分が自分のことを評価してあげられることが、
結果でしかなくて、
自分が決めたことをちゃんとやり遂げることが出来たのか、
それによって喜んでくれる人はいるのか、
という指標でしか自分を認めることが出来てないんだなって思った。
去年、そうだんドットミーをリリースしてからたくさんの人の悩みと向き合ってきた。
その悩みの中には、学生時代に勉強も部活も頑張ってきたからこそ、今夢中になって頑張れていなくて、そんな自分が嫌だ、このままでいいのかな・・という方がたくさんいた。
多分人って、”頑張った結果得られた快感”を一度知ってしまったら、もう麻薬みたいなもので(やったことないけどw)中毒性があるんだなと。
しんどいし、逃げたい、だけど、だからこそ自分が欲しかった結果を得られた時の快感は何ににも変えられない快感がある。
私はその快感が好きで、好きで仕方がなくて、
いつもいつも自分が苦しくなるような、
周りから「絶対無理だよ」って言われるような目標を立てて
そんな人たちに中指立てて「見てろよ」って心の中で思いながら
今までの人生を過ごしてきたんだなって思う。
何かを得るということは、トレードオフとして何かを失うことではあると思うんだけど、
”頑張らない”と意思決定した自分が得たものなんてたかが知れてるので、
せっかくなら、苦しくても、辛くても、その先に見える景色の方が気持ちがいいし、そこにいけた自分を愛せるんじゃないかなって思う。
だから、今、「このままでいいのかな?」ってちょっとでも思う人は考えて見て欲しい。
5年後の自分は、今の自分を見て「お前、めっちゃ頑張ったじゃん!最高かよ!」って胸張って言える?と。
私は、何かを失ったとしても、今、やりたいことを心の底からやりきって、悔いなく死にたい。
妥協して、言い訳して、そんな自分が嫌だなって思う人は一度相談して欲しい。
一緒に、悔いのない今を、未来を作っていきましょうぞ!
無料相談は、こちらまで。
ありがたやありがたや・・・