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「受験生」の数だけそこに人生がある。〜誰もが通る人生の第一試練〜

「絶望」という言葉が初めて私の頭上に鈍器のごとく重くのしかかったのは、高校3年生の3月、大学入試の前期合格発表の時だ。

合格者の一覧に、私の受験番号はなかった。

友人とファミチキをかけたじゃんけんの対決であれば、大泣きして土下座でもしていれば結果は覆せる。
無論、私は若干18歳にしていくつもの修羅場を潜り抜けてきた。

だが、受験はそうはいかない。
パソコンに表示される合格者の受験番号に向かって、
いくら懇願しようが頭を擦り付けて土下座しようが、
何も結果は変わらないのである。

お金を積んだって無駄だ。
どうしようもない。

「不合格」の烙印を押された私は打ちひしがれていた。
そして、そんなどうしようもない絶望の最中で、
さらに追い討ちをかけてくるのが、友人からの「どうだった?」メールだ。

この「どうだった?」メールに苦しむ人類は毎年相当数いる。

季節性のインフルエンザのようなものだ。
避けることはできない。
しかもたちが悪いのは、人類が人類を苦しめる、いわゆる共食いである点だ。人類の繁栄においてこの上なく非合理的な事象である。

そして私も晴れてその共食いの犠牲者の一人に選ばれてしまったのである。

「落ちた💩」

これ以上なくシンプルでわかりやすい3文字と、素敵な絵文字を1文字添えて、ガラケーのメール送信ボタンを押し、私は2階の自室に向かった。

現実逃避(ゲーム)である。

確か合格発表が朝の9時か10時だったので、そこから昼過ぎまで3時間程度現実逃避(ゲーム)に勤しんだ。

野球ゲームでホームランを連発して相手チームを28-0でボコボコにしたにも関わらず、脳内の快楽物質であるドーパミンは全く出ず、代わりにため息と何粒かの綺麗な涙がこぼれ出てしまう事態におちいった。

「人に会おう」

ゲームに飽きて、寂しさからか誰かに会いたくなった私は、昼過ぎに家を出て、学校に向かった。
向かった先では同じように受験の結果を確認し、絶望に暮れている友人が何人かで群れを成してお互いに慰め合っていた。

私は思った。
(良かった、、、みんな落ちてる。)

下衆である。
しかし、人間とは脆く、弱い生き物だ。
自分が不幸である時、他者が幸福感に溢れていることは許し難い。
同じように絶望の淵に立っていてほしい。
そういう生き物なのである。

すぐさま私はその絶望がひしめく輪の中に飛び込み、
「お前も落ちたの!?」
「落ちた!」
「ウェーイ!」
と、くそダサいコミュニケーションを交わした。
仕方がない。生きるのに必死なのである。

しかし、もちろん自分の友人の全員が不合格であるということはないのである。
不合格の人間と同じくらいの「合格」を手にした強者たちがいた。

今でもよく覚えている。
前日にも会っていたのに、教室に入ってくる「合格したヤツら」はどことなく雰囲気が違うのである。
「「一皮剥けた」とはこういうことか!」と謎に腑に落ちている自分がいた。

受験とは恐ろしいものだ。
「合格」と「不合格」の明確な線引きが行われる。
当時の私にはそれが、「勝ち組」と「負け組」の線引きであるかのように思われた。
「勝ち組」と「負け組」
「できるヤツ」と「無能」
「将来有望」と「前途多難」
本来は合格と不合格のそれ以上でもそれ以下でもないはずだが、
受験に落ちた人間というのは大概こういう妄想におちいりがちになる。

それだけ不安定なのである。

もしあなたの友達が「不合格」で、あなたが「合格」していた場合、慰めるのは最低限にしておいてほしい。
先ほどの妄想が膨らみに膨らみ、破裂する。
再起不能になってしまうのである。
ただ、何も言わないのもやめてほしい。それはそれで悲しい。
そんな複雑かつデリケートな状態なのだ。

そしてもしあなたが受験に参加していない「第三者」の立場であれば、
頼む。
思いっきり慰めてほしい。
何時間でもそばにいてほしい。
なでなでしてほしい。
ラーメンとカツ丼と、あとデザートにスタバの抹茶フラペチーノをを奢ってほしい。
いや、やっぱりカツ丼は皮肉っぽくなるからやめてほしい。
急に泣き出したり、突然八つ当たりする可能性もあるかもしれない。
だが許してほしい。
こんな競争社会は我々は生まれて初めてなのである。

小学校からかけっこでは隣の人より遅くても順位というものはつかなかったし、
一番最後にゴールテープを切ってもなぜか先生は笑顔で褒めてくれた。
そう、負けることに耐性など1mmもついていないのである。

そこにこの特大「お前は負け組の無能」宣告である。
耐えれたものではない。

多くの散っていった受験生が心身の回復に多大な時間を要するだろう。
先生たちからは「切り替えよう」と言われるが、

すまん、無理である。
善処は致した。しかし、無理なのでござる。

全国の先生に告ぐ。「切り替えよう」の序詞に「落ち着いたらで良いから、」とつけ加えていただきたい。(切実)

ただ、幸いにも私は運動部に所属しており、メンタルはある程度鍛えられていた。「豆腐メンタル」の1つ上の「牛乳パックメンタル」程度には硬かった。

数日後、なんとか切り替えることに成功し、後期試験までそれなりに勉強に励むことができたのである。

その後の後期試験では某教育大に合格し、「浪人」か「進学」かを選択できる立場になった。

そして私は「浪人」を選んだ。

くやしかったのである。
人生で初めて経験した巨大な絶望よりも、悔しさがさらに大きかった。

「俺を落としやがってぇ!見る目がないぜ!この借りは必ず返してやる!」

大学という無機物質に私は悔しさ、そして怒りを感じていた。
そして一年間浪人した。

私はこれ以上ないくらい勉強した。
日中に予備校の授業がある日は17時頃から最低6時間、
1日フリーな日は最低10時間、毎日欠かさずに勉強した。
がむしゃらだった。
不思議と大変、苦しいといった感情はあまりなく、悔しさから活力が湧き上がるような感覚だった。

たまに地元に「合格組」が帰省した時は、
「予備校にめちゃくちゃ可愛い子がいて仲良くなった」と、
乃木坂46のアイドルの子の写真を見せてなんとか乗り切った。

そして、絶望から365日後、
私は合格した。
それもかつて不合格だった大学ではない。

偏差値的にはワンランク上の大学で、世間的には
「難関大」と呼ばれている大学だ。

嬉しかった。
「絶望」を「希望」に変えたのである。
思春期真っ只中なのに、母と手を取り合って喜んだことを覚えている。

そしてこの年も「どうだった?」メールは相変わらず届いた。
恒例行事である。

私は全力で
「受かったぞオラァッ!」
といった。

一年目のあの絶望の中で、後期試験で受かった大学へ進学する選択をしていれば、不合格による「悔しさ」や「悲しさ」、「無力感」は薄まっていただろう。
ただ、こうして合格を勝ち取った時に感じた
「やってやったぞ感」
は絶対に感じられなかったと思う。

どっちが良かったという話ではない。
ただ、私が選択した「浪人」という道が、結果的に私の人生の最高の思い出の1つに繋がった。
結果論である。
だが、この上なく嬉しい。

これからの高校三年生がどちらの道を歩むべきかなどと偉そうなことは語れない。
私から言えることは、
「自分が選択した道を良いものにできるようにがむしゃらに頑張れ」
ただそれだけである。

良いお話のように語らせてもらったが、ぶっちゃけこのような経験をしている人は毎年たくさんいる。決して珍しいことではない。
受験とはそういうものなのだ。
「受験生」の数だけ、そこにはその人にとっての特別なストーリーがある。
「受験生」の数だけ人生があるのだ。

そばで寄り添い、少しでも貢献してあげたいと思った。

その後、私は教師になった。
そしてこのダサいが自分的にはカッコ良い物語を、
時々多少の脚色を加えて偉そうに生徒に話している。

#あの選択をしたから


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