障害に対しての考え方
こんばんは。
日本初?全盲メンタルトレーナーのおっちーです。
視覚障害者の職域を広げるためにもメンタルトレーナーの資格をいかして活動していきます🤗
今回は「障害に対しての考え方」というテーマで少し話しますね。
障害者の場合、先天的(ほとんど生まれつき)と、後天的(物心がついてから)で考え方はけっこう違います。
先天的はそれがあたりまえの生活なので絶望はほとんど考えない。どうしたらできるようになるかなと考えて過ごすことのほうが多い。
後天的の場合は今まで会った生活が失われて絶望を感じることが多い。
これだけを聞くと先天的のほうがよく聞こえません?
実際聞く力とかは幼いときに見えなくなったほうがすぐれていると感じます。
逆に後天的のほうがいいとこと言えば映像のイメージができること。
例えばサッカーでボールをもっていない選手の動きとか、相手選手の2人目や3人目の動きをイメージできるのはサッカーを映像で見たことがある後天的な選手なんですよね。
ブラインドサッカーで代表クラスになるにはこのボールをもっていないときの動きが上手かどうかが重要になります。
だってサッカーは1試合の中でボールを持てる時間はほとんどないから。
ぼくはややこしくて病気じたいは先天的だけど症状がでたのは10歳のときだから後天的なんですよね。
見えなくなったのは18歳なので見えている時間がけっこうありました。絶望はあじわったけど、見えていてよかったなと思うことはたくさんあります。
また、ブラインドサッカーをしているときは
「先天的の選手はすごいな!」とうらやましかったです。
雨のピッチではボールの音や周囲の音が聞こえにくいんですよね。
だから後天的の選手はトラップ(ボールをとめる動作)のミスがふえる。
だけど先天的の選手はピタッととめるわけですよ。
そのたびに「すげーなー!」と思ってました。
後天的の課題としては、障害をうけいれられるまでの時間がかかること。
なにかきっかけがあれば障害をうけいれられるけど、きっかけがなければネガティブなままでずっとうけいれられない。
うけいれられてない人に声かけサポートしても
「うるせぇ!」
「よけいなことするな!」
「あわれむな!」
などひどい言葉がでちゃうみたいです。
ぼくはスポーツのおかげでそこまでいかなかったですけど、よくこういうことを聞きます。
健常者からしたら「せっかく勇気だして
声かけたのに!」って悲しかったり、くやしかったりしますよね。
ただ、ひとつ覚えておいてほしいのは
「視覚障害者も十人十色」ということ。
そのひどい態度をとった人はその人の問題。
次に白杖をもった人をみかけたときに
「この前ひどいこと言われたから今回も言われるかもしれない。だから声かけるのやめよう。」と思ってしまうのは考えを切り離してほしいです。
ひとくくりにしがっちですけど、それはいわゆる
「偏見」になってしまいます。
白杖もっている人もいろんな人がいます。
太った人も背がキョクタンに小さい人も、いろんな考えの人がいるじゃないですか。
いい人もいれば犯罪をおかしてしまう人もいる。
太った人や背の小さい人に対してひとくくりにしないですよね?
じゃあ、なんで「白杖もった視覚障害者」はひとくくりいにされがちなんでしょう。
いろんなこたえが
あると思います。
むしろ、いろんなこたえがあっていいと思います。
ぼくのこたえは「知る機会が少ないから偏見がある」と考えています。
だから発信して知ってもらおうと思ってます。
今まで知らなかったり、
偏見があってもしかたないので
自分をせめないでください。
個人が悪いのではなく、そういう日本のシステムに問題があるのですから。
大切なのは、知った後の考えや行動です。
まとめると、
・視覚障害者には先天的でも後天的でもいいとこがあるってこと。
・後天的で障害をうけいれられない人は冷たくあたってしまうけど、それは氷山の1かくということ。
・ひとくくりにしないで一人の人と見てほしいこと。
・知る機会をふやすことが大切ということ。
なにか質問あれば遠慮なく聞いてください。
ぼくは聞いてもらえるほうがうれしいし、失礼とうけとることはまったくないですから。
偏見のない社会はみんなが考えていく先にあると思います。
一緒に考えてよい社会をつくっていきましょう。
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