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noteリニューアルのお知らせ(藤井まほ自己紹介)


わたしの名前は藤井まほ。占い師として、物書きとして、星とひとのことばをつなぐお手伝いをしています。


星読みという仕事に導かれて

星読みは、ホロスコープと呼ばれる「天の星の配置を二次元に落とし込んだスクリーンショット的な図」の象徴を通して情報を読みとり、相談者の方とやり取りしながら一緒に旅をするような仕事です。

それがクライエントに何か気づきをもたらしたり、次のページをめくるきっかけになっていけば幸甚ですが、何が起こるかはお相手の方やタイミングなどによりさまざまに異なります。

ある一瞬のスクリーンショットを旅の道しるべの地図としつつも、天の様子は動的なもの。つねに変化する天空模様を感じ、心に思い浮かべ、次の動きを予測しながら読んでいくものでもあります。(星だけでなくタロットも読むのですがそのことはいずれ改めて別稿で)

ホロスコープが読めるようになると、そこに膨大な情報が詰まっているのがわかってきます。

たとえば生まれたときのホロスコープ(出生図)からは、その個人の性格や思考タイプ、趣味嗜好、資質や適性、人生で起こるできごとや出会う人たちの傾向なども読み取れます。すでに起こってしまった、出会ってしまった出来事や人物についても、ホロスコープと照らし合わせると辻褄が合うことが多い。また、未来を予測することもできます。

見飽きるぐらい見てきた同じ自分の出生図を眺めていても、その折々で違うところが目についてくるのは面白いものです。

わりと近年のこととしては、「自分は美しいものを見たくて生まれてきたんだな」という気づきがありました。自分の星を読んでいて、友人知人との会話、またふと目にした、耳にしたことばから、自分が幼い頃からそうだったのだと思い出したのです。

そんなことも含め、現在人生で何度か訪れるターニングポイントのひとつに差し掛かっていることをわたしの出生図は教えてくれています。星を読んでいたからこそ、そんなことにも気づいたのかもしれません。

美しいもの、とは?

わたしにとっての「美しさ」とは必ずしも普遍的な美ではなく、若い頃には「壊れているけれど美しいもの」というテーマを追いかけていた時期もあります。たとえば、ギターの歪んだ音やグリッチサウンド、絵のモチーフ(何がどう描かれているか)ではなく厚く塗り込められた絵の具の層や、旅先で不意に出会う朽ちかけた廃屋。

美しいものを見るために生まれてきたからといっても美しくないものを見ない生きていきたいというのとは違うのですが……。これはちょっと説明が難しいんですね。

ある水晶のお話

水晶の話をしましょうか。わたしの手元には、こんな水晶があります。

これはわたしが生まれて初めて買った水晶です。

ルチル(金紅石)入り水晶原石

当初、こんなのではなく(笑)もっとわかりやすく「美しい」水晶が欲しくて専門店に初めて足を運びました。球体に磨かれ、くっきりした金属的な内包物(細い線状のルチル=金鉱石)が規則的に曲線を描く透明度の高いものを手に入れたかったのです。

(インターネットもない時代、この街のこの辺にあるという小耳に挟んだ情報を頼りにマニアに評判のクリスタル専門店を探しました。超のつく方向音痴なのに、馴染みのない街を歩いて一発でたどり着いたのはいま思い返しても不思議です)

道に面した小さな店に入ってすぐ、店主とおぼしき男性に、

ルチルの入ったスフィアを探しているんですけれど。

と言いました。

それならだいたいこの辺に集めてありますよ、どれか気に入るものがありますか?

と導かれて棚に並んだ大小さまざまの球体に磨かれた水晶を初めてリアルで見ました。どれも写真などで見ていたよりもずっとかわいく、美しく、魅力的でした。

どうぞごゆっくり、と声をかけられたのをいいことに、ずいぶん長い時間その店にいたのだと思うのです。

目当てのスフィアだけでなく、色とりどりの、いろいろな形に磨かれたものや、原石、アクセサリー、浄化用や魔除けの置物……。

ほかのお客さんは誰も入ってこないのをいいことに、一人で店番をしていた主人に時折これは何ですかとかなんとか質問しつつわたしはあらゆる石に見入りました。

そのうちに「美しい」結晶を見れば見るほど、なんとなくこれは自分ではないな。と思えてきたのだけれども、ルチル(金紅石)の入ったスフィアを探しに来たんだよなーという気持ちも捨てきれず。

(ところで、わたしは美しい結晶を探しにきたんだけど、「これはわたしではない」って何?笑)

迷っているわたしを見かねたのか、扱いかねたのか、何かが降ってきたのか、主人が別の棚から取り上げて「こんなのもあるんですよ」と見せてくれたのが先ほどの画像の、長さ5センチほどの鈍く曇った煙水晶の原石でした。

中に真鍮色の太いルチルが貫入している。表面もつるっとしてはいなくて傷ついていて、「透明で美しい水晶」のイメージとは程遠かった。

なのにわたしはそれが気に入ってしまって、この原石を初めてのクリスタルとして自宅にお迎えすることになったのでした。

自分と響き合う美しさを探して

ご縁とも言えますが、たぶんわたしはそういう石を探していたのでしょう。「きれいなルチルが入った透明な水晶球」というお題がなければその店には赴かなかったけれど、結局は違うものを手にして帰ってきた。

昔から、誰が見ても「美しい」と思いそうなものと、わたしが心惹かれるものはちょっと違っていたような気がします。

透明で傷がないから美しい、価値もあるというのがわからないのではないのです。でも自分と響き合うかどうかのほうがわたしには大切で、不完全だったり、ありふれていたり、美しくはなかったりするけれどひっそり語りかけてきたもののなかに「美」を発見するのが、わたしにとって人生の喜びであり続けてきました。

このような嗜好/志向は、わたしが星を読んでいることとあまり関係ないように思えるかもしれませんね。実際、わたし自身その関係性をいまのところ完全に理解できているわけでもないのです。でも、道を進んでいくうちにどこに行こうとしているかがわかってくることもありますから――いつかわかることを願いつつ。

最近になって、ただ星読み的な文章を書くだけでは何か違うという直感もあり、「わたしにとって美とは何か」的なテーマも含め、星読みをはみ出すような文章を書きつけてもよい場所として、このnoteを使うことを思いつきました。(そのため自己紹介的なものを除き、以前書いた記事をいくつか削除しました)

自分という謎を追いかける場所としてのnote

わたしが生まれたときのホロスコープでは、土星が「自分自身」を象徴する1ハウスにあります。

土星は「人生の課題」や「制約」や「避けたいけれど避けられないこと」を表すと言いますが、わたしの場合、「自分自身」が一生追いかけていくべき「謎」。

ここはこの1ハウスの土星と向き合う場所となっていくのでしょう。

気長におつきあいいただければ幸いです。


ご参考までに

→ 4年ほど前にもnoteに出生図の土星のことを書きました。
藤井まほの土星にご興味ある方はこちらもどうぞ。ちょうどいま、天空の土星も魚座にありますね。何かのご参考になれば(ならないかもしれませんが……)


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