苦手世界にアプローチ(魚座土星のお話)
ホロスコープとひとくちに言っても、出生図、経過図などいろいろな種類があります。
出生図というのは誰かがこの世におぎゃーと生まれたときの星の配置図のこと。今日は、わたくし藤井まほの出生図のお話です。
ご存じの方も多いと思うのですが、西洋占星術でよく見る10個の天体があります(基本セット)。太陽や月、金星や土星、冥王星といった10天体が出生図のどこに配置されているか。占星術師はそれを読んでいろいろとお客さまにお伝えするんですね。もちろん自分について読むこともあります。
10個の天体が「どこに」というのは、ホロスコープのハウスとか、サイン(星座)といった別の基本セットとの組み合わせから読んでいきます。また、それぞれの天体同士がどんな角度を作るか(アスペクト)にも基本セットがあります。
魚座が苦手領域です
今日は10天体のなかの土星の話。土星はその人が人生で取り組むべきテーマのありかを示す天体とされています。だけれども、というか、だからこそ、なのか、土星が指し示すのはその人の苦手領域です。
わたしが生まれたとき、土星は魚座にありました。
魚座というサインはふわふわとしたロマンティックな性質。宗教と信仰。境界のない曖昧な質。芸術一般(詩やダンス)。アルコール。共感力。自己犠牲。石油。慈悲。チャリティ。その他その他を象徴します。
だから、とても簡単に言うと、藤井まほはロマンティックが宗教が詩がダンスが苦手、と読むことができます。ちなみにアルコールは分解できない体質です。
生まれたときの図といまの空の図を重ねて読むと
ホロスコープには、出生図のほかに経過図というのもあります。誰かの出生図が、その人がオギャーと生まれた瞬間の空のスクリーンショットだとすると、経過図はいまこの瞬間、たとえば藤井まほが東京時間2020年2月17日22:30に空を見上げた瞬間のスクリーンショットと言えます(それは同時にこの瞬間に東京で生まれた赤ちゃんの出生図でもありますが)。
恒星は動きませんが、地球や月、ほかの太陽系の惑星たちが動きを止めない限り、刻々と様子を変えていく星の配置。そうした星の様子と、自分の出生図を重ねることで、「いまの季節(星の配置)は自分にとってどうなのか」ということがわかる、というのが占星術の世界観です。
土星の殻が壊れたり曖昧になったり
土星に話を戻すと。
15年ほど前、わたしの出生図の土星のあたりに天空の天王星が滞在しました。以前、ブログに書いたことがあったかもしれませんが、その頃わたしは写真系のソーシャルメディアを利用し始めました。天王星は変革の星ですが、同時に写真も象徴します。ソーシャルメディアに、わたしは自分の撮った下手なデジタル写真に散文や下手な詩のようなキャプションをつけて投稿するようになったんですね。
それが楽しくて、わたしは日常的にそこに新しい写真を投稿するようになった。そんな日々のなかで、詩へのハードルが少し下がったような気がしています。
天王星という変革の星が、写真という表現手段を使って、土星の苦手意識の殻を少し破ったのではないかと自分では分析しています。
さらに10年ほど前には、魚座の出生土星のあるあたりを天空の海王星が通過しました。その頃から、少しずつ占いの仕事を始めていました。
天王星もそうですが、海王星や冥王星も占いを象徴します。とりわけ海王星は魚座の支配星でやはり「境界をぼやかす」もやもやさせる天体なので、土星の苦手意識の殻は天王星によって壊された後、もやもやさせられてしまった。
占いの仕事をすることによっても、「詩」みたいなものがわたしの書くものに入り込んでしまったのではないかと思うのです。
土星の年齢域が来たよ
詳しくはまたいずれ書くと思いますが、西洋占星術では、10天体それぞれのつかさどる「年齢域」があるとされます。たとえば月なら0歳から7歳、水星なら8歳から14歳など(区切りの線は曖昧です)。月の年齢域は、その人の出生図の月の状態(何座にあるか、何番目のハウスにあるか、どんな天体とアスペクトを持っているかなどなど)のような時期であろうと読むのです。月が蟹座で、5ハウスで、緊張をもたらすアスペクトがない藤井まほの0歳から7歳までは、あまり葛藤がなく、家にいるのが心地よくアウェーが苦手、傷つきやすい半面、新しいことに興味を持ち、楽しいことをいつまでもやっているような子どもだっただろう、などと読むことができるわけです。(面白いですよね、占星術)
さて。わたしはそろそろ土星の年齢域です。これは、苦手だったこととついに対面する時期とも言えます。
魚座が象徴することのなかでも、とりわけロマンティシズムとポエジーを苦手としてきたわたしなのですが、この15年ほど写真や占いという世界に潜ることによって魚座の水が自分の中にも浸透してきて、少し親しめるようになってきた気がします。
そして、数年前「やがて自分も土星年齢域だな」と考えたとき、「そうだ、土星期は『詩人』になろう」と思いついたのです。
ほんとうに詩を書く人になるというよりは、もっとポエジーを前面に出した文章表現もしていこう、というような意味で。
新月図や満月図を眺めつつ、石や羽根や植物でグリッドを組むのも、わたしにとっては魚座的なポエジーなのです。
2月19日には、天空の太陽が魚座に。そこから1ヵ月は魚座の季節です。
まだ占星術を勉強中で土星年齢について頭で考えていたときは、「苦手なことを克服する時期なんだな」と単純に思っていましたが、「克服」というほどハードなものでもないのかもしれません。その年齢域が近づくにつれて、苦手なことに興味も出てくるんですよね。どちらかというと「苦手に親しむ」感じかもしれません。
人生って不思議にできている!
ここから1ヵ月は魚座の季節らしく、ぼんやりとポエジーについて思いをめぐらせてみようと思っています。柄にもなく(笑)。
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