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短編小説:手が届く月(1)〜いちばんすきな花より〜

小さい頃、うんと高いところに登れば、月に手が届くと思ってた。
夜になったらジャンプして月に乗り移ってウサギと一緒に餅つきをする。 

そんな事を本気でできると思ってた。

いつかな。
そんなこと、出来なんいんだよ。
そう思うようになったのは。

そんな事が出来ないと知ってから、私はそんな空想をしていた自分を封印した。
恥ずかしいとさえ思った。
いつの間にか純恋と言う名前でさえ、恥ずかしくなっていた。
『純粋に恋をする』なんて、いつまでも子供でいなさいと名前に言われているみたいで、私は早く大人になりたかったし、大人のふりをした。

だから、月に登りたい自分はいつしか消えていなくなっていた。

その分、私は月に憧れた。
月はその時の気持ちで、いろんな表情を見せてくれる。
楽しそうな月、ただただ美しい月、少し寂しそうな月、女性っぽい月、男性っぽい月。
月に登らなくても、空想でいろんな月に出会えるから、私は月が好きだった。

椿くんは、月のような人だ。

私の気分に合わせて、その時の表情を変えてくれる。
私が楽しいと思えば笑ってくれるし、怒っていれば一緒に怒る。泣きたい時は、抱きしめながら泣いてくれる。
本当に優しい人。だから大好き。

だけど、月には手が届かない。

伸ばしても、伸ばしても、手は宙に浮くだけ。

⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

「純恋って嫌味な名前よね」

久しぶりに友人の結婚式で再会した、かつての同級生の椿くんに、私は自分の席次表をトントンと指で叩きながら、何故かそんな話をし始めた。

「どうして?いい名前じゃない。花言葉は『謙虚』とか『誠実』とか。スミレって小さいけど必ず春に咲き誇る。とても強いしあの紫がまた素敵だよね。小岩井さんにピッタリだと思うよ」

私は『純粋に恋する』方の事を言ったのだが、椿くんは花のスミレに変換していた。
でも、褒められたのがなんだかくすぐったくて居心地が悪くて、私は対抗心を燃やしてしまった。

「すみれってさ、漢字で菫でしょ?でも、この漢字って、他の読み方もあって、なんだか知ってる?」

「え?花の種類も読み方も違うのに同じ漢字があるの?」

「トリカブト」

「トリカブト……」

「そう、あの猛毒のトリカブト。すごいでしょ?同じ漢字なんだよ。私はスミレだけど、どっちかっていうと、トリカブトだと思わない?あんな可憐なスミレちゃんじゃない。毒々しい、トリカブト。ほら、ピッタリ」

私の言葉に黙り込んでしまった椿くんを見て、私はしまったと思った。
大人になってからの私は、どうしてもこうやって他人を黙らせてしまう喋り方をしてしまうのだ。
微妙な空気になってしまったので、私は椿くんの席から離れた。

どうせもう会わないからいいや。

そんな感情を席に置いて。

結婚式も終わり、さて解散と言う時になって「小岩井さん!」と遠くから呼ぶ声が聞こえた。
声の主は椿くんだった。
椿くんは大きな荷物を抱えながら私に駆け寄る。

「あの、さっきの話」

「さっきの話?」

「うん、トリカブトの話」

「ああ、トリカブト……」

微妙な空気になったらやめた話を、何故この人はぶり返しているのか。
私は少し面倒くさそうな顔をした。

「あ、ごめんね。でも、なんか話した方がいいかなと思って。トリカブトって、世界最強の毒を持ってる植物だって言われてるよね。でもその毒は、外敵から守るための武器なだけであって、決して己を強くするためじゃないんだよね」

「え?ちょっと待って?言ってる意味がよくわからないんだけど」

さっきはそれほど喋らなかった椿君が、急に饒舌になったので、私は驚いてしまった。

「わからないか。そうか、そうだよね。うん、いいんだ、あ、良くないか」

「どっちなのよ」

思わずそう突っ込んで、私はそれがなんだか面白くなってしまって、1人で笑い出してしまった。

「え?俺そんなおかしなこと言ったかな?」

「ううん。ごめんなさい、違うの。続き、続き聞きたい。お願いします」

私は急に饒舌になった椿君の続きが見たくなっていた。
いいのかな?と言う顔を少しだけして、でもすぐに椿君は目を少しだけ上に向けて話し出した。
きっと、トリカブトに心を持ってかれてるのだろう。

「つまりね、トリカブトってすごい毒を持ってて怖いけど、実はそれだけ弱かったってことなんだよね。そんな強い毒を持っていないと、食べられちゃうんだもの。きっと、もともとはとても美味しいんじゃないかな」

食べる?!トリカブトを?!
その言葉を聞いて、私はトリカブトを美味しそうに調理して食べる椿君を思い浮かべた。

「美味しそう、かもね」

「でね、これがトリカブトの花」

そう言って椿君は一枚の写真を見せてくれた。
紫色の鮮やかな花が、そこにいた。
実は「トリカブト=毒」と言う先行イメージがあったので、私はトリカブトの花を見たことがなかった。

「きれい…」

「キレイでしょ?それでね、この花の形、正確にはガクなんだけど、蜂が蜜を吸いにきた時に効率よく花粉を運んでもらえるよう工夫された作りになってるんだよ。それに、この紫色って蜂が認識しやすい色で、そうやって毒を持って外敵から身を守って、見つけやすいように色を鮮やかにして、そして花粉を運んでもらいやすい形に自分を作っていくんだって。
ね、小岩井さんみたいでしょ?」

「え??私、みたい??」

急に私が登場してきたので、私は椿君が何を言ってるのか、なおさらわからなくなった。

「うん。だって、必死に己を守りながら、受粉をしてくれる蜂のことを思って自分の形を変えていく。純粋な子だよ。ね、小岩井さんみたい。
純粋に恋する。ほら、ピッタリ」

私は椿君が持っていたトリカブトが表示されたスマホを、そのまま自分の胸に抱えた。
胸の辺りから全身が暖かくなるのがわかった。

トリカブトも、私の漢字も同時に、本当に一度に受け入れてくれる人がいるなんて。

そこから私は猛アタックして、椿君と婚約する事になった。

椿君は優しい。絶対いい夫、いい父親になるだろう。

でも

椿君は私の言う事になんでも同意してくれる。

「いいねそれ」
「素敵だね」
「それにしよう」

それに対して不満があるわけじゃない。
でも、いつからから、月に話しかけてるような感覚になっていた。

私は椿君が好きだし、一緒にいたい。
でも、椿君はどうなんだろう。
私といて幸せなのかな。
私のくだらない話、嫌じゃないのかな。
パン屋さん一緒に探そうねって言った時も同意してくれたけど、本当はおむすび屋さんの方がいいんじゃないのかな?

月はどんなに手を伸ばしても届かない。
伸ばしても、伸ばしても、手は宙に浮くだけ。
宙に浮いた手は、居心地悪そうに少しずつ仕舞うしかない。

その仕舞う時の居心地の悪さが、私を追い詰めていた。

あとがき
これは、ドラマ『いちばんすきな花』のサイドストーリーです。
一話で、このお話の主人公である純恋が、婚約者である椿さんをバッサリと裏切ります。
その時の純恋側の気持ちに少しだけ寄り添ってみました。
もう少しだけ続きます。よかったら読んでください。


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