太陽とみかん4
八郎は正式に離婚をした。
武志に対して申し訳ない思いはあったが、その分、手紙でいつも愛情を伝えた。
離婚したからと言って生活は変わらなかった。毎日畑に行き、みかんの世話をする。
びっくりするほど、今まで通りだった。
ただ、自分でもわかるくらい、沼の中を歩いていたような毎日から、霞が晴れたように草原を歩いている、そんな感覚になれていた。
「ハチさん、よう笑うようになったね」
一緒にお酒を飲んでいた優子に言われた。
「え?そない?変わらんと思うけど」
「変わったよ。前はさ、笑ってても表面しか笑ってなかった。今は、笑い皺できてるよ」
「そうかあ」
八郎はニコニコしていた。
「そこは、シワができるなんて失礼な!!って怒るとこでしょ」
「いや、優子、八郎男やからそんな事気にせえへんぞ」
こんな3人のやりとりが楽しかった。
ある日、八郎が市内に買い物に出て歩いていると、優子らしき人影を見た。
こんな所で会うなんて偶然やなあ。そう思って近づくと、優子が1人ではない事に気がついた。
優子は何やら男の人と揉めており、男は去ろうとする優子の腕を掴み、あろう事か殴りかかろうとしていた。
八郎は咄嗟に優子と男の間に割って入って優子を自分に抱き寄せるようにし、男に肩を向けるような形になった。
「ちょ、ちょっと!何をがあったか知りませんが、殴るのはダメですよ」
振り返るような形になったところで八郎が男に告げる。
「あ?こいつは俺の女房や。他人が口出しすんなや!」
「女房?!……なん?」
驚いて八郎は優子の方を見た。優子は震えながら小さく首を振る。
「……別れた……元旦那」
と小さい声でやっと呟いた。
その小さい声を聞いて八郎は、優子を守るように一段と大きな声で言った。
「別れた旦那さんって言ってますよ?」
「うるせえ、元だろうが、何だろうが関係ねえ!コイツは俺のもんだ!!!」
男が殴りかかろうとする。八郎はまっすぐ見つめ、先ほどよりもっと、もっと大きな声で言った。
「元女房なので、あなたも、私も他人です。条件は同じですよ!だから、私はこの人を守ります。守るべき大切な人だからです!!」
男は、八郎の毅然とした態度にたじろいだのと、周りに人が集まってきたのもあり、舌打ちをして去っていった。
「大丈夫?苗間さん」
八郎は大きな声を久しぶりに出したので、少し興奮していたので、自分を落ち着かせながら、優子に声をかけた。
優子は、八郎の胸の中で震えていた。
「大丈夫や。私があかんねん。あの人の言うこと聞かんから。いつもそうなんよ。私が悪いことするから、いつもあの人を怒らしてしまう」
優子は自分に言い聞かせるようにぶつぶつ呟いた。
「何あかんことあんねん。仮に苗間さんが悪いとしてもな、女性に手をあげることは許されへん。そこは、絶対や。悪いことするのと、殴るのは別問題やで!」
優子はキョトンとしていた。
「殴られる私が悪いんと違うの?」
「何悪いことあるか!苗間さんは、なんも悪くない!」
優子は八郎の胸にしがみついた。
「私は悪くない!わるくないんだって!悪くないんや!!」
自分に言い聞かせるように八郎の胸に向かって叫んだ。八郎は、そんな優子の背中をぽんぽん叩きながら抱き寄せていた。
しばらく寄り添った後、「ありがとう」と一言だけ言って、優子はそっと離れた。
「なんや照れくさいね。幸太郎に迎えに来てもらおう!」
そう言って電話ボックスを見つけに走っていった。
帰り道、優子が前の夫から日常的に暴力を受けていて、その暴力から逃れるように地元に帰ってきたことを話してくれた。
「今まで、私が至らなかったから、怒られるんだと思ってた。こっちに帰ってたのも、ただ、旦那から逃げてきただけやったしね。でも、今日、ハチさんに私は悪くないって言ってもらえて、色々気づかされた。ありがとう」
優子は車の窓に向かって八郎にお礼を言った。
「逃げたんやないよ。撤退したんや。勇気を振り絞って、撤退したんだよ」
八郎は優子の頭をポンポンと優しく叩いた。
優子に言うのと同時に、自分も、勇気ある撤退をしたんだ。
愛媛に来たことにも、意味があるんだ。
僕は、僕なりに生活できている。
窓ガラスに映る自分に向かって『頑張ったな』と褒めた。
車の中はラジオから軽快な音が流れ、窓ガラスからは三日月が見えていた。
八郎はずっと月を眺めていた。
月明かりが『いいんだよ。そのままで、いいんだよ』と言いながら、追いかけてくれているような気がした。
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