太陽とみかん1
電気窯から陶器を取り出す。
もう何年も同じ作業をしているが、ワクワクしないときは一度として無かった。
宝箱を開ける。
そんな感覚をいつも感じて、この瞬間が好きで陶芸をしているのかもしれない。そう思えるくらい、八郎はこの瞬間が好きだった。
その情熱をもって京都で再生を願い、2年が経過していた。
「あかんな…」
電気窯を開けた八郎は大きなため息をついた。
京都では、自分の作品作りを一から立て直すつもりで、釉薬の研究と普及、それに併せて自分の作品作りも並行して行っていた。
ただ、現実はそううまくはいかず、八郎の納得のいく色、形を生み出すことがどんどん難しくなっていた。
それでも、釉薬の事を人に教えることは楽しく、依頼者の相談に乗りながら、新しいことにチャレンジしていくことにいつも心躍る気持ちがあった。
今日も、依頼者と一緒に釉薬の研究を行っていた。
「川原さん、この色出すには、どうすれば良いんですかね?」
「ああ、そうですね。この場合……………」
ここまで喋って、全く色の配合が出てこないことに八郎は驚いた。
「………すんません。今、思い出せませんわ。後でノート見て、お返事します」
これだけ言うのが精一杯だった。
どないしたんやろ、こんな簡単な釉薬の配合を思い出せへんなんて……
きっかけは、こんな小さなことだった。
そこから、少しずつ、歯車が狂うように日々の『できないこと』が、八郎の体の中に積もっていった。
体に染み付いたはずの一連の動作が、いつもより遅く感じるようになり、それに対してイライラするようになった。
電気窯を開けるたびに大きくなるため息、作り出す色が全てくすんで見える。こんな色ではない、こんなはずではない。
いつしか、電気窯を開けるたびに冷や汗をかくようになっていた。
自分の作る作品も当然納得がいかず、焼き上げては壊し、焼き上げては壊す毎日。
焦りだけが自分を支配するようになり、朝早くから、夜遅くまで会社にいるようになった。
最初に異変に気づいたのは、姉のいつ子だった。
定期的に八郎の家に掃除と称して顔を見に来ていたのだが、2ヶ月ぶりに八郎の家を訪れていつ子は驚愕した。
八郎の性格上、ものはきちんと整理されていないと落ち着かないタチで、掃除をすると言っても、する必要が無いくらいいつも整理されているのに、その八郎の部屋が荒れ放題になっていたのだった。
その荒れ放題の部屋の片隅で、髪がボサボサに伸びきった八郎が寝ていた。
いや、無造作に横になっていた。
これはただごとではない。
いつ子は直感で感じた。
「八郎、どっか具合悪いの?」
「いや、どこも……それより、研究所行かんと。あの釉薬の配合、調べんとあかん」
「今日は日曜日や。休みやろ?疲れてるみたいやし、無理せんでも。それより、この部屋、どないしたん、きったない…」
「うるさいなあ!!そんな悠長なこと言うてられんのや!!!!」
そう大きな声をあげて、八郎は飛び出していった。どんな時も穏やかなはずの弟の怒号に、いつ子はどうしたらいいのかわからず、ただ見送るしかなかった。
その週末、八郎の家に信作が訪ねてきた。
いつもなら何処かで酒を酌み交わすのだが、今日は家に上がらせてくれ、と八郎の家に上がってきた。
「ハチ、今の仕事大丈夫か?」
信作は家にあがるなり、そう八郎に尋ねた。
「なんや、大丈夫やで。今もな、釉薬の配合を考えてたところや。信作、悪いけど忙しいから帰ってくれるか?」
「ちゃうわ、俺が聞いてるのはお前自身や。いつ子さんから連絡もろてな、お前のこと心配してはったから、様子見に来てん。
したらこれや。ハチ、お前普通やないぞ」
信作は、八郎の肩を掴んで無理やり座らせ、自分も座った。
「なんやねん…何でもない、姉ちゃんも心配しすぎや。それよりな、本当に仕事行かなあかんねん」
立ち上がろうとする八郎を信作が掴まえる。
「ハチ、お前、作品どうしてる?作っとるんか?」
「何当然のこと言うてるねん。作ってるわ、毎日毎日、作って、作って、作って…」
「それ、お前のやりたいことか?」
八郎の言葉を遮るように、信作が問いかける。
「当たり前や、僕は、陶芸家やで。陶芸家が、作品作らんでどないするん」
「そやな、陶芸家は陶芸するんが仕事やな」
「だから、毎日、毎日、毎日必死に作ってる。そうやないと・・・武志に、喜美子に・・・合わせる顔がない…!このままじゃあかん!こんな自分じゃあかん。僕は………………陶芸家なんや!!」
吐き捨てるように、八郎は息を切らしながら大きな声を出した。
「お前の陶芸は、武志のためのものか?喜美子の為か?」
信作は、そう諭すように静かに言って、八郎の掌に1つの粘土を渡した。
いつか作った、粘土の妖精だった。
何気なく飾っておいたのを、信作が欲しいと言うのであげたのだった。
「これは、何や?答えてみい」
「…粘土や」
八郎は信作を見ずに答えた。
「あほ、ちゃうやろ。これ作った時に、喜美子になんて言うた?」
八郎の肩に手を置いて、信作が少し大きな声で再び問いかけた。
「…粘土の………妖精」
小さな声で、八郎が答える。
「せや、妖精やな。この粘土の妖精を作って命入れるんがお前の仕事やろ?その話聞いた時、俺、お前に惚れなおしたんや。自分にはない感覚やからな。だから、この粘土欲しかった。こんな素敵なやつの作る器が見てみたいって、そう思ったけど、お前その頃はまだ、俺が手に入れられるような器は作ってなかったからな」
信作は八郎の両肩を掴み、言葉をつづけた。
「それがなんや。武志?喜美子?そないなちっちゃなことで陶芸に向かってたんか?そんなの陶芸やない!お前やない!!そんな陶芸ならやめてしまえ!!!」
信作のその言葉をきっかけに、八郎ははらはらと涙を流し、泣き出した。
「…喜美子と出会った頃な、僕は陶芸家を目指してたんや。新人賞が取れて嬉しかった。その後も喜美子と2人で真摯に陶芸に向き合うのが、ホンマ幸せやった。僕は、喜美子がそばにおるから、作品を作れたんや。なのに、なのに、僕は自分から離れてしもた」
八郎は、粘土の妖精を両手で握りしめた。
「離れてしもたらな、自分でどうにかせんとあかんやん。あかんのに、どない頑張ってもうまく行かへんのや…」
八郎は信作にしがみついた。
「信作…僕から陶芸をとったら何が残る?陶芸家とちゃう自分が怖い、怖いんや。信作……助けてくれ………!」
信作は、しがみつく八郎をしっかりと抱き止めた。
「アホやなあ。お前は俺の大事な親友や。武志の父親や。そこに陶芸家かどうか関係あるか?ないやろ?お前は、どこで何をしてても、八郎や。俺の親友の八郎やぞ」
粘土の妖精を握りしめながら、八郎は嗚咽を上げながら泣いた。信作は「大丈夫や」と肩をさすりながら、一緒に泣いた。
その夜、愛媛の兄から電話が来た。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?