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短編小説:初恋じまい(1)〜体温より〜

「ごめん、俺自信ないわ」

これが彼女との最後の会話だった。
高校2年で初めてできた恋人。
大切で大切で仕方なかったのに、新幹線で2時間の距離に引っ越してしまった。
それだけの事で、俺は彼女と付き合うことを諦めた。

それだけの事。

あの頃の俺には、それだけの事ではなかったはずなのだが、10年経った今では、それだけの事になってしまっていた。

空を見上げる。
いつもの曇り空が、俺の人生を表していた。

⁂⁂⁂⁂⁂⁂

「敏樹?」

そう声をかけられて振り向くと、そこには遠距離恋愛が続けられなくて一方的に別れた元カノ、紗和が立っていた。

「え?紗和?」

「だよね、敏樹だよね。びっくりした。久しぶり、元気?」

「お、おう、元気。え?どうしたの?」

「どうしたのって、ツアー参加者だよ!」

そりゃそうだ。
ここはマングローブカヤックツアー参加者の集合場所だ。ツアーに参加する人に決まってる。あまりの突然の元カノの登場に俺は動揺してしまい、とんでもない質問をしてしまったのだ。

「え?今沖縄に住んでるの?」

「いや、普段は埼玉。忙しい時期だけ手伝ってるんだ」

「へーーー」

その返事のされ方には慣れていた。
27歳にもなって、定職についてないのかと言う「へー」だ。
その通りなので何にも言い返せない。
俺の浅はかなプライドなのか、何なのか、その「へー」の返事に背を向けて、俺はガイドの仕事に戻った。

ガイドの仕事をしながら、気がつくと俺は紗和の事を目で追っていた。

「敏樹」
紗和のその一言で俺は、容易に10年前に引き戻された。それは「ごめん、俺自信ないわ」と、最後の言葉を告げて電話を切った後の耳に残った、スマホの感触さえも蘇るほど、鮮明だった。

10年前、大切で大切で仕方なかった。
だからこそ、新幹線で2時間と言う距離が、あの時の俺にとっては海の向こうより遠く感じたし、電話やSNSで上がってくる内容がどんどん俺の知らない紗和になっていくようで、紗和が月の向こう側に行ってしまったように感じてしまうようになっていった。
俺はそれに耐えられなかったし、それに耐えられるような浅い気持ちでもなかった。
矛盾しているようだが、大切だったからこそ、手離してしまった。

「楽しかったーガイド上手だね」

ツアーが終わって解散した後、紗和が話しかけてきた。

「昔から人に教えるの、上手だったもんね」

そう言って、紗和は屈託なく笑った。
ああ、俺が恋焦がれた紗和の笑顔だ。
そう思ったら、俺は何故か押し黙ってしまった。

「…じゃあ、私行くね。じゃあね」

その空気を感じてか、紗和は一緒にツアーに参加した友人たちとバイバイ、と小さく手を振って去っていった。

蘇った耳に残るスマホの感触がまだ消えていないのに、俺は返事さえもできず、何もできなかった。

昔からそうだ。
特に紗和と別れてからは、大切なことから目を背けて、決断できない人間になっていた。
それが今の俺の姿だった。

「情けねえなあ」

片付けをしながら俺は1人呟くと、合図のように、雲がスコールを連れてきていた。

仕事を終えて、数人の仲間と飲んでいると、その店に紗和達のグループが入ってきた。

瞬時に俺たちは目が合ってしまった。

「あ、紗和の知り合いの人だ!」

そう声をかけたのは紗和の友達の子だった。

「え?敏樹の知り合いなのか?すごいな、こんな所で会うなんて」

「そうですよね?なんか、運命的じゃないですか?」

「おおー!運命!良い言葉!せっかく運命なんだからさ、良かったら一緒に飲まない?俺たちナンパじゃないから安心してよ。優しい地元のお兄さん達だよ」

当人の俺と紗和をよそに、紗和の友達と俺の友達が勝手に盛り上がって、一緒にテーブルを囲むことになってしまった。

「なんかごめんね。大丈夫?」

紗和がそっと俺に話しかけた。

「なにが?」

「だって、さっきも話しかけても迷惑そうだったし…」

「…そんなことないよ」

「ホント?」

「ホント」

「本当にホント?」

「本当にホントだってば…あの頃と変わってないな、紗和」
そう言って俺は少し笑った。

10年前も紗和はこうやって色んなことを確認してきた。
変わってないんだな。
そう思ったら、笑ってしまった。

「紗和は、今何してるの?」

しばらく談笑した後、俺は少し質問してみた。

「私?今はね、気象予報の会社に勤めてる」

「そうか…気象好きだったもんな。いろんな雲教えてもらったな、そう言えば」

「ふふふ。覚えてる?」

「覚えてるよ。巻雲、巻層雲、巻積雲、高層雲、高積雲…」

「嘘!すごいね!覚えてた!」

「覚えてるさ。どれだけ教え込まれたと思ってんだよ。多分一生忘れない。でも…」

「でも?」

「でも、1番忘れないのは彩雲だな」

「あーー……覚えてる?」

「覚えてるよ」

「まだ何も言ってないじゃん」

「覚えてるよ。一緒に見つけただろ、彩雲」

あれは俺たちが付き合っていた頃、空が大好きな紗和と雲の形をみて、その雲の種類を当てるゲームをしながらの帰り道だった。

「紗和!すごいあの雲!雲が虹色になってる!」

「あ、あれはね、彩雲って言って、太陽のそばを雲が通った時に起きやすい現象なの。仏教だと慶雲って言って、良いことが起きる前兆だって言われてるよ」

良いことが起きる。
そう言われてワクワクしていたのに、その翌日紗和から引っ越してしまうことを告げられたのだ。
良いことなんか何一つ起きなかった。 
言い伝えなんてそんなものだ。

あそこから、何か俺は『諦める』と言うことが身についてしまった気がする。

そんな自分とは裏腹に、将来を見据えたまま仕事に就いている紗和が羨ましくて、眩しくて仕方なかった。
そして、捻くれているかも知れないが、あの時俺が離れて良かったんだとそう思った。
勝手に。
そう自分勝手に。
そう思わないと、自分自身を保てないからだ。

「ねえ、敏樹、そんな笑い方してたっけ?」

お酒が回ってきたのか、紗和が俺に少し絡むように話してきた。

「え?」

「私の知ってる敏樹は、そんな浅い笑い方してなかったよ?」

「浅い笑い方って…」

「浅い浅い!それは笑ってるうちに入らないよ!!前、そうだな…前だって、浅い雲のような笑い方だったけど、浅い対流雲は暖かい穏やかな雨を降らせるんだよ。今は違う。雲もない。ただ、浅い」

突然に自分の笑い方を全否定されて、俺は無性に腹が立ってきた。
自分が光り輝いてるからって、輝いてないやつを蔑ろにするのはおかしい!!

「10年ぶりに会うんだから、変わってて当たり前だろ?あれだよ。紗和と別れてからおかしいんだよ、俺の人生!紗和のせいだ!」

八つ当たりなのは百も承知だった。
今までだって、自分の不甲斐なさを紗和のせいにしたことなんてなかった。
なかったのに、ズバリ言い当てられてしまった恥ずかしさと切なさで、俺は八つ当たりという子供じみたやり方でしか反応できなかった。

「……なによ。何で私のせいなの?私が突然振られて、切ない思いしたのに。私が悪いの?何で?」

そう言って紗和は目に一杯涙を溜めて、一生懸命堪えていた。
泣いてやるもんか!
全身がそう語っていた。
周りが俺たちの雰囲気に呑まれ始めていたので、俺は咄嗟に紗和の手を取って外に出た。

「……離して」
外に出た所で紗和が俺の手を振り解いた。

「……ごめん」

「…ごめん?何が?」

「いや、紗和、泣いてるし」

「は?泣いてない。涙溢れてないじゃん」

紗和は背中を向けて袖口で一生懸命顔を拭いていた。

「本当にごめん」

「だからなんのごめんなの!!」

そう言って紗和は振り向いた。
化粧も落ちかかってるし、酒にも酔ってるから、決して綺麗な状態ではないはずなのに、美しかった。
切ないほどに、美しかった。

俺は吸い寄せられるように紗和を抱きしめていた。

「ちょっと…」

紗和が俺から離れようとしたが、俺は決して離さなかった。

「……すごいカッコ悪い事言うな?」

紗和を抱きしめながら俺は話始めた。

「俺、紗和と別れたのすごく後悔してるんだよ。
何であの時、もっといろいろ話さなかったんだろうって。話し合って想い伝え合って、ちゃんとやらなかったんだろうって…やば。俺何言ってんだろ」

「なにそれ。そんな事今更言われても私どう返せばいいの」

「そうだよな。そうなんだよ。何で俺こんな話してんのかな。ずっと。ずっとそうなんだ。この10年大切なことの決断ができずに、俺、のらりくらりそらしてるだけなんだ。色んなことから。
だから、浅いってのは当たってて、俺、浅いんだよ。ぷかぷか浮いてるだけの男なんだ」

「ぷかぷかって、雲みたいに言わないで。ぷかぷかの積雲は晴れた空に浮かぶんだから」

「そうだな。俺の人生、ここんとこ曇り空なんだよ」

その言葉を受け取った紗和は、そっと俺の身体から離れた。

「…私も、浅い笑いだなんて言ってごめん」

そう言って紗和は近くのベンチに座った。
釣られるように俺も隣に座る。

「あのさ。デートしない?」

「え?」

ネオンのライトに照らされる赤い肌の紗和が、突然そんな提案をしてきた。(続く)

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