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短編小説:光の泡玉〜大河ドラマ『光る君へ』より〜

何も聞こえない
何も見えない

俺は絶望という波間に飲み込まれていた。

12歳を迎えた俺は、口減しで父親に海に投げ込まれた。

いつかこんな日が来ることは予想できてはいた。
分かってはいた。
なので、俺は細心の注意を払って生きてきた。
捨てられぬように、腹が減っていると悟られぬように、息を殺すようにして、ただただ、親と一緒に朝から暗くなるまで漁師をした。

「うみは手が早い」

そう言われ、重宝されてきたのに、結局俺は親に海に捨てられた。

何も聞こえない、何も見えない。
暗闇の海の中に自分が沈んでいくのが分かった。

ああ、俺は死ぬんだ。

「ボコボコッ」

そう悟った瞬間、体の中に溜め込んでいた息が、体から逃げていった。
泡のように透明な丸い玉が俺の体から離れていく。
自分から離れていく泡玉が、真っ暗闇の海の中に光っているように見えた。

「綺麗だな」

そう思った瞬間、俺は自分から離れた息の泡玉を追いかけた。
あの泡玉を追いかけなければ、生きなければ。
そう思い、俺は必死にもがいた。

もがいてもがいて、光の泡玉を追いかけた先で俺は家畜のように働かされていた。
雇い主は気に入らないことがあると、よく俺を殴った。
酷い時は気を失うまで殴られた。
そんな目に遭っている奴らは周りにたくさんいたが、特に俺は酷い扱いを受けた。

この国の人間ではないから。

見た目は変わりないが、この国の言葉が何ひとつわからず、それだけで異国の者とわかってしまうため、扱いは犬猫以下だった。

なので、俺は必死に言葉を覚えた。

生きるために。

ある日、雇い主たちに酷い暴力を振るわれ、意識がもうろうとする中外に放置されていた。

「死ぬかもしれない」
「そうだとしたら、川に流しておけばいい。どうせ、身寄りのいない他国の者だ」

大きな声で会話する言葉が聞こえた。
俺には聞き取れないと高をくくっているのだろう。だが、この頃には俺は日常の会話であれば問題なく理解できるようになっていた。

「俺は、殺されるのか…」

あの時、海で死んでいればこんな思いをしなくても済んだのに。結局俺は川に流されるのか。
そうあきらめかけ、体の向きを変えて仰向けになると、真上に月が昇っていた。

まるい、まるい月は、その時チカチカといつもよりも輝きが増して見えた。

あの時の泡玉だ。

真上で輝く月が、海でおぼれかけた時に必死に追いかけた息の泡玉に見えた。

逃げよう

そう決心した俺は、明け方になって家を飛び出した。
当てがあるわけではない。
だが、ここに居るわけにはいかない。
生きるんだ。
その思いだけで重い足を引きずって逃げ出した。

丸一日かけて歩くと、街に出た。
その街の川辺で俺はじっと行き交う人々を観察した。
その中である男に近づき、声を掛けた。

「なあ、あんた」

男は振り返り、俺を見た。
周りを取り囲んでいる男たちが警戒して俺を囲んだ。

「怪しい者じゃない。ただ、取引をお願いしたいんだ」

男が俺の目をじっと見てきた。あまりにずっと見つめてきたので、俺は少し怖くなったが怯まなかった。

「言ってみろ」

「この鶏と、あんた達が持っている刃物を交換して欲しい」

麻袋に入った鶏を男の前に差し出した。
逃げ出すときに俺は、鶏を1羽盗んできたのだ。

「その刃物を使ってどうするのだ?」

「魚を捌きたいから。俺は漁師だ。目の前の川で魚を捕る事は造作もないが、刃物が無ければ捌く事が出来ない」

「鶏を捌けばいいじゃないか」

「鶏1羽で何ができる?それなら、この鶏を売って刃物を手に入れて自分で魚を捌いた方が、ゆくゆく商売ができる」

ふふふ、と男が笑った。

「面白いな、少年、なぜ私に声を掛けた?」

「この街で一番偉い人に見えたから」

「ははは、なるほど。少年、賢いな。お前家族は?」

「いない。一人だ」

「そうか…なら、私に付いてくると良い」

周りの男たちが「え?」と言う顔をしたが、男は構わず俺の手を引っ張った。

「どうだ。私と一緒に来るか?」

「刃物は?」

「もちろん与えるさ。そして、私の下で働きなさい」

それが、俺と朱様の出会いだった。

俺の命は、朱様によって拾われた。
「賢い」と俺をほめてくれ、薬師にもしてくれた。
だから、朱様の為なら命も惜しくなかった。どんなこともしようと思っていた。

だが、俺は日本人だ。宋人ではない。
宋人でないと朱様を支えることは出来ない。
だから俺は、宋で生きていくためには出世をするしかない。薬師として、確固たる地位を築くしかない。そう心に誓った。

そんな俺が、今、故郷である日本に足を踏み入れていた。
宋人として。
生まれた土地とは遠く離れた場所のはずなのに、同じ国という事だけで俺の心はかき乱された。

俺は、宋人だ。
日本人ではない。
越前の海の向こうに見えるのは、宋の国なのか、それとも対馬なのか。

俺は、どちらを望むのか。

まひろは、海のようだった。
広い視野で物事を捉え、自由に発想する。
俺のことを宋人でも日本人でも関係なく受け入れてくれた。
宋に憧れを持つまひろの言葉は、宋での俺を解きほぐしてくれた。
好きではない宋が、まひろの言葉で少し景色が違って見える。そんな気がし始めていた。

まひろなら、俺のことを受け止めてくれる。
心の奥底でそんな淡い気持ちを抱き始めていた。

なのに、まひろは思い通りにならない。

「気やすく死ぬなど言わないで!」

そう言って俺を見つめる目は、どこまでも広く、大きく、やはり、海のようだった。

「ボコボコッ」

まひろの瞳から、あの時見た、光の泡玉が見えた。
生きなければと見上げたあの時の月が見えた。

ああ、まひろは「生きる」そのものなんだ。
まひろの首に押し付けた陶器の破片を持つ手が自然に緩み、力なく陶器を落とした。

その夜、俺は海を見つめていた。
この海の向こうは、宋なのか、対馬なのか…
月は出ておらず、答えてくれる者はいない。

波に引きずられるように、俺は海に身を預けていた。
どうせ海に捨てられた身だ。
海の藻屑となれば振り出しに戻るだけだ。

「容易く希望など持つな」

まひろにぶつけた言葉は、そのまま自分に返ってきていた。
容易い希望を持ったから、まひろも、自分も、朱様も裏切った。
もう自分には何のかけらも残っていなかった。

「ボコボコッ」

沈む身体から、泡玉が見える。
でも、輝いて見えなかった。

目を閉じた瞬間、何か強い力で自分が引き上げられた。
強い力で砂浜に引き摺られて、顔を上げると朱様がいた。

「何をしてた」

「……」

「何をしてたと聞いてるんだ!」

「……あの女を取り込めませんでした」

「なるほど、それで死のうとした訳か」

「宋人ではない自分は、もう何者でもありません!!」

朱様はそっと俺のそばにしゃがみ込み、俺の手を取った。

「だがな、宋人ではないお前に私の命は救われた。日本人の、お前に救われたんだ。周明、日本での名前は何で言うんだ?」

「…うみ…」

「そうか、ウミか…。ウミ、日本人であることが露呈するのは何よりも怖かっただろう。なのにそれを顧みず、私を守ってくれた。感謝する」

そう言って朱様は俺に頭を下げ、ポンポンっと俺の肩を叩いた。
それをきっかけに、今まで張り詰めていたものが急に溢れ出し、嗚咽を上げながら俺は泣き出した。

「申し訳ありません!!自分から申し出た事なのに、なにも、何もできませんでした!」

砂浜に頭を擦り付けながら俺は謝り続けた。

「それもな。そんな事、私は頼んだ覚えはないぞ。お前がやると言うから、やらせただけだ。
第一、私は正攻法で、日本との易を結びたいのだ。それに、お前がいなくなったら、誰が私の身体を診てくれる?周明、お前だからこそ、私は己の身体を預けられるのだぞ」

ははは、と朱様は高らかに笑った。

「しっかり身体を温めよ。風邪をひくなよ。明日、私のところに来なさい。最近肩の調子が良く無くてな。為時殿が手強いからなあ」

そう言って朱様は砂浜から立ち去った。

俺はしばらく動けず、暗い海を見つめ続けた。

この海の向こうには何があるのか。
見上げると、先ほどは見えなかった月が雲の切れ間から覗いていた。

特にチカチカと光り輝いても、あの海で見た泡玉にも見えなかった。
ただただ、自分に、光をもたらしていた。

もう一度海を見つめた。
暗い中、水平線がうっすらと見えるだけで、それ以外は何も見えなかった。

あの向こうに見える景色は、自分で見つけるしかない。

俺はゆっくりと立ち上がった。
水を含んだ俺の体は、鉛のように重たかったが、うみ、周明、2人分の重さなのだから致し方ない。
そう思ったら少しだけ微笑む自分がいた。

ゆっくり、ゆっくり、砂を噛み締めるように、海を、月を背に、俺は歩き出した。

越前の風が夜明けを連れて来ていた。

あとがき
これは、大河ドラマ「光る君へ」の越前編から着想を得た、サイドストーリーです。
まひろを籠絡できなかった周明は絶対殺されてしまったんだろうと思いましたが、なんとスーパー上司朱様により、むしろ心配されていました。
そんな2人の関係性を妄想して、今回書いてみました。
このお話は、私の勝手な妄想なので、本編とは全く関係ありませんので、悪しからずです。

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