愛敬
「愛太郎と名付けたらどうだろう、父さん」
それは健太郎がグアムに収監されてしまう、その朝の出来事だった。
お腹いっぱい食べなきゃダメだ、と朝から繁子さんたちが差し入れを持ってきて、お腹が膨れ上がるほど食べた、その後だった。
正直なところ、自分も健太郎も食事が喉を通らない日々だったが、みんなが食べろ食べろと押し付けてきたものだから、2人で無理して食べて、食べ物が通らないどころか、喉まで詰まってもう食べられない。そんな状態だった。
2人でちゃぶ台を囲みながら傍でスヤスヤと眠る赤子を交互にくすぐりながら、健太郎は「愛太郎と名付けたらどうだろう」と言った。
「この2人は神の子なんだよ。神様が、この神社に遣わしてくださった、大切な花。ほら、この子達が笑っているだけで、こんなに心が穏やかになる。愛敬神社の子だから、愛太郎。きっと、愛されます。混血児だろうがなんだろうが関係ない。この子たちは、花だから。花は、心を穏やかにするからね」
くすぐられて笑みを浮かべる赤子を見て、健太郎は微笑んだ。
そして
「2回も息子を見送らせてごめんなさい。親不孝な息子で申し訳ない」
健太郎は肩を震わしながら後ずさりし、頭を下げた。
私は後ずさりした健太郎を引き寄せて力一杯抱きしめ、おいおいと大きな声をあげて、泣いた。
「父さん。父さんがそんなに泣いてたら、叱られますよ?」
健太郎は笑いながら泣いていた。
「誰に叱られると言うんだ!大切な息子が、せっかく帰ってきた息子が、また私の前から消えていなくなるんだぞ?!それにな、お前が出征する時は父親が泣くなんて許されなかった。でももう戦争は終わったんだ。今は、何を言っても咎められないんだよ!だから私は泣くよ!大きな声をあげて泣く!濠端まで届くように泣いてやるさ!」
そう言って私は、再び大きな声をあげて泣いた。
「はははは、平和の太鼓よりすごいや」
「あんな太鼓!子供騙しの太鼓なんかに負けてたまるか」
「何かの競争になってしまっているよ、父さん」
「いいんだ。競争だろうが何だろうが、良いんだ。私は牛木健太郎の父親だ。牛木健太郎は私の大切な息子だ。ただそれだけなんだよ。それを、大きな声で、どこまでも届く声で言いたいんだよ」
「そうか、僕は、牛木健太郎だものね。父さんの子供に成れて良かった。良かったよ」
そういって、二人で大きな声で泣き合った。
その日、健太郎はグアムに収監された。
健太郎が収監された後も、感傷にくれる間もなく自分の身の振り方を考える必要があった。
自分は神社を離れ、只の人になる。只の人になって、ひっそりと健太郎の事を考えながら生きて行こう。そう決心していたのに、鈴木巡査が大闇をやってのけて、自分に降りかかっていた借金問題があっという間に解決してしまい、神社を手放さなくて良くなった。
「愛太郎という名前はどうでしょう」
副宮司を務める事を決意してくれた鈴木君が、境内で赤子を抱きながらそう言った。
その時「愛太郎と名付けたらどうだろう」と同じことを言った健太郎を思い出した。
なんてことだ。
健太郎が私に託した願いを、私はまた忘れてしまっていた。
せっかく健太郎が、私に命を賭して教えてくれたことなのに。
「いったい何人の人がここか戦地に旅立ったのか。一体ここで何人の死体を焼却したのか。思い出して下さい!!」
健太郎の慟哭を自分の体から必死に絞り出した。
私は気が遠くなった。 正直あの頃の事はもう思い出したくない。
神道とは何かを問う間もなく、世相は変わり、思想も変わった。それに合わせる事で精一杯だった。そうするしかなかったのだ。
「きゃきゃきゃ」
権太郎と愛太郎の笑い声が交互にこだました。
育てよう。とっさにそう思った。
自分の息子としてこの二人を育てる事が、健太郎が言った『それらの人に詫びる』事になるのではないか。
私は権太郎を力の限り抱きしめる。
権太郎から花の香りがした。
私は境内の奥を見る。
杉林が「ごう」と音を立てて揺れていた。
「ゆりかごの様だな」
空を見上げる。
久しぶりに青空と、蝉の声、風の音が全身に降り注ぐのを感じた。
ゆりかごのような神社にしよう。公園であり、喫茶店でもあり、公民館にもなる。
どんなものでも穏やかに受け入れる……
神社に成ろう。
そう心に決めた途端、健太郎からボールが飛んできた。
それを私は笑顔で受け取る。
「父さん、任せましたよ」
健太郎も笑っていた。
「そうだ!鈴木君の名前も考えないとな!」
私は権太郎を抱いたまま振り返り、愛太郎を抱いている鈴木君と境内を歩き出す。
後ろを振り向くと、小さな花が咲いていた。(おわり)
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