短編小説:手が届く月(3)〜いちばんすきな花より〜
久しぶりに2人で向かい合う。
私と椿君が住むはずだった家。
私がこだわって決めた家具たち。
そのソファに、私の知らない3人が座っていた。
それだけで、そこはもう、他人の家だった。
椿君の言葉を聞きたくて、勇気を振り絞って一度来たときは、荷物を纏めるだけで精一杯だった。
最後に「私に言う事ない?」って聞いてみたけど「駅まで送ろうか」と言う、ある意味見当違いな答えだった。
ああ、私ばかりが話をしていたから、いざ話そうとするとこんなにも話せない2人になっていたんだと、現実を突きつけられた。
もっと怒って良いのに、なじって良いのに、出てくる言葉は「ごめん」だけ。
その「ごめん」を言われると、私はただの悪者になる。
謝っているのは椿君なのに、私が、私だけが悪者にされて、反論のリングにも上げさせてもらえない。
会話ができない。
これは、私が招いた事だ。
良い人の椿君に甘えて、私が『優しい椿君』を、AI椿を作ってしまった。
なので、もう一度勇気を出して家に行くときは、ちゃんと「聞きたい事」を言おう。
そう決めた。
2度目のチャイムを鳴らす。
出てきたのは若くてかわいい女の人だった。
あれ?ここは椿君と私の家だよね??ちょっとパニックになった所で、次には違う女の人が現れて、男の人まで現れた。
いよいよ違う家を訪ねてしまったなと思おうとした時「純恋?」と椿君が現れた。
私の知ってる椿君は、私以外の人とつるんでいる所なんて知らなかったので、そこに現れた椿君は、もう『他人』だった。
その出来事で妙に心が決まった私は、椿君に自分の気持ちを話してほしい事をちゃんと伝える事ができた。
私がちゃんと聞いた事で、椿君はやっと自分の思っている事を喋ってくれた。
「純恋は俺じゃなくても良い人で、俺が聞かなくても良い話ばかりで…」
そう言われた時、先日森永君が言っていた言葉を思い出した。
『俺、純恋とこう言う話するの好きなんだわ。俺が聞かなくても良いようなどうでも良い話なんだけど、それが楽しいんだ』
森永君とはどうでも良い話が出来るけど、それは3人になっても出来る。
でも、椿君は2人だからこそ話したい事があった。
私も、2人で使う前提で家具を選んだ。
だから、他人が使っている家具は、もう既に他人の家になっていた。
私は月に憧れて、その月に勝手に椿君を当てはめて、勝手に椿君を作り上げた。
憧れてはいたけど、好きじゃなかったのかもしれない。
椿君は『好き』と言うパッケージに憧れてその中に私と自分を押し込んで、その中で暮らそうとした。
私たちは2人組になりたかったけど、それぞれ身勝手に好きの感情を勘違いして、お互いを求めるふりをしていたのだ。
つまり、似たもの同士だったのだ。
強がりもあったけど、結婚しなくて良かったと本当にそう思った。
帰り際に、椿君が小さな花束をプレゼントしてくれた。
「廃棄になる花で、パッと見綺麗だけど、明日には枯れちゃうかも」
廃棄になるような花を私にプレゼント?!嫌味?
一瞬そんな事を思ったけど、手渡そうとする椿君にはそんな感情は見えなかった。
逆に、そんな事を私に言えてしまう椿君が愛おしくなって、今までとは違った感情で椿君が好きになっていた。
今までは、ごめんばかり言っていたのに、最後の最後に、1日しかもたない花束を私に持たせる事で「ごめんね」を表現してくれた。
心の底からのごめんねを受け取った気分だった。
帰り道、空き瓶を見つけて私は道端にその花を飾った。
私の気持ちは、家に持ち帰ってはいけない。
そう思ったからだ。
手を合わせて、帰り道を歩きだす。
月が出ていた。
満月の手前で、少し歪な形をしていた。
「椿君みたいだな」
椿君は完璧じゃない。
おっちょこちょいだし、忘れっぽい。すぐごめんって言って誤魔化す。男の人のくせに可愛らしい言葉を無自覚に使う。
寝癖もひどいし、時々話を全然聞いてないこともある。料理も手伝おうとするけど、邪魔ばかりする。
でも、完璧じゃなかったけど、私を椿君のやり方で愛してくれた。
それは身体中で感じていた。
「私も好きだったよ」
そう呟くと、私は涙が止まらなくなっていた。
やっと泣けた。
私も、私なりに椿君を愛していた事を認められたから。
トリカブトには毒がある。
私にも、毒がある。
トリカブトの毒は薬にもなる。
私も、人を笑わせる事ができる。
それで良いんだ。
私は純粋に恋をするで純恋。
菫は同じ漢字でトリカブトのことも意味する。
それで良いんだ。
月に手を伸ばす。
月には相変わらず手が届かないけど、それで良いんだ。
そう言えば、玄関で出迎えられた時、椿君のお友達の3人はどうして私に手を合わせてたんだろう。
「面白いなあ」
そんな独り言を言いながら、私は歩きだす。
柔らかで、少し歪な月が、私を照らしてくれていた。(おわり)
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