クリソプレーズ
三津が川原家の弟子になって2週間が経っていた。元来の人懐こさから、喜美子やマツ、百合子や武志とはすぐに打ち解けていた。つまり、家主であり、師匠である八郎を除き、と言うことになる。
「何かあったら、すぐ辞めてもらうからな」
それが頭の中にこびりついていた。
三津は今までも色んなところに弟子入り志願しては断られ続けてきた。
「女はなあ…」
大抵の場所でそう言われてきた。
ここだけだった。
女性だからという理由で断られなかったのは。
なので、三津は必死に食らいつき、この川原工房で修業をすることにこだわった。
だが、八郎は弟子入りした後も三津とは距離をとっていた。
「やっぱり女だと言うことがいけないのかな」
そんな考えが頭をよぎることもあったが、自分はここで精一杯やる、そう決めたんだから、と思い修業に励んだ。
ある日、師匠である八郎が作品作りに悩んでいる姿を見た。
どう考えても視野を広げた方が良い、第三者から見てそう思った。
「先生、どうでしょう。土を変えてみては。私、いろんな所に旅に出かけてそこで集めたものがたくさんあるんです。それがヒントになれば・・・」
三津は、自分が集めたコレクションをバッグから取り出して棚に並べた。
「信楽の土にこだわっているから。余計なこと言わんでくれ」
きっぱり断られた。というか、拒否をされた。
その夜。
三津はこの家に弟子入りして初めて泣いた。
厳しくされる事は覚悟していたが、拒否をされることは精神的にかなり堪え、この家で弟子としている自信を失いかけていた。
次の日。
自分が集めたコレクションを手に取って眺める八郎がいた。
「あ、すいません。出しっぱなしにして。すぐにしまいます」
三津は慌ててコレクションをしまおうとした。
「これ、どこの土や?」
八郎は、瓶に入った赤土を手に取っていた。
「あ、それは、新潟の佐渡です。佐渡島の土です」
「もしかして、無名異か?」
「はい!よくわかりましたね」
「君は僕を馬鹿にしてるの?そりゃ知ってるよ。でも、実際の土を見たのは初めてやな。この土で焼くととても丈夫な器ができるんだよね」
「そうなんです。私、いずれそういう器を作るのが夢で。なので、記念に土を持って帰ってきました」
「これは?」
八郎は、木の皮らしきものを持った。
「あ、これは青森のブナコっていうやつです」
「ブナコって、ブナの木を薄くむいてそれを重ね合わせたやつやろ?器じゃなくて木の皮って」
「だって、お皿は高くて買えなかったんです。だから、記念に木の皮だけでもって」
ここまでしゃべって三津は、八郎が笑ってくれている事に気がついた。
師匠が自分に向けて笑ってくれているのが嬉しかった。
そして、この師匠の笑顔がとてつもなく魅力的であることにも気がついた。
その日から、自分の旅のコレクションを見せながら八郎と話をする事が日課になった。
陶芸は喜美子が教えてくれることになったので、日中はずっと喜美子にくっついていた。
なので、夕方の30分程度が、八郎との会話の時間になっていた。
不思議と、そのときは八郎も自分に対して心を許しているように柔らかい顔で話をしていたので、作品作りに悩む師匠の心が少しでも軽くなれば、そんな思いで三津は話をしていた。
「この砂はなんやねん」
「あ、これは指宿です」
「砂風呂の?」
「はい。熱そうでしたよ」
「入ってないんかい!」
「貧乏旅だったので・・・。触ってはきましたよ。熱かったです。きっと、入ったら気持ちよかったと思います」
こんな会話をしながら八郎と三津は笑い合っていた。
「それにしても、すごいなあ。少なめに考えても日本全国いろんな所巡ってきたんやな」
「はい。女だてらに巡ってきた甲斐がありました」
「ちゃうで」
「え?」
「女とか、男とか関係あれへん。
そこで観たもの、触れたものをちゃんと自分の中に残してることが大切。
そうやって、いろんなものを吸収して、自分の知識としてきたんやろ?すごいことや」
八郎に初めて褒められて、三津は顔が赤くなるのがわかった。
今まで『女だから』という理由で断られ続けてきたが、ここでは男女関係なく受け入れてくれる。自分のやってきたことを認めてもらった。それがとてつもなく嬉しかった。
それと同時に、えもいえない不安を感じた。
急激に八郎に惹かれる自分を感じたからだ。
この感情は一番持ってはいけないものだ。
三津は、自分の心に鎖をかけた。
『道を間違えてはいけない』
三津は心にそう誓い、恋に落ちない方向に進むよう、トロッコを運転するように、自分をコントロールしようと必死になった。
今まで以上に喜美子につくようにして、あまり八郎と会話を交わさないようにしたが、反対に八郎が三津と話をしたがった。
避けようともしたが、話しかけてくる八郎の顔を見ると、どうしても自分の決心が鈍っていった。
その度に、トロッコの道の傾斜がどんどん急になっていくことを実感していた。
『先生は気分転換が必要なんだ』
そう必死にブレーキをかけながら。
「松永さんの一押しの想い出の品ってあるの?」
ある日、八郎が、そう聞いてきた。
三津は素直に、「これですね」と石を取り出した。
「これ、実は翡翠なんです。糸魚川で拾ったんです。すごくないですか?」
八郎は、三津が取り出した石を手に持って、日にあてたりしながらじっくり眺めた。しばらく眺めた後、笑いながら三津に石を返した。
「ちゃうやろ。これは翡翠じゃない」
「え~~、なんでわかっちゃったんですか?」
「そんな翡翠なんて簡単に見つかるか。これ、キツネ石やろ」
「そうです。嘘です。偽物です。けっこうだませるんだけどなあ。残念」
騙せなかった事に残念な気持ちはあったが、そういうものも見抜く八郎をすごいと思いつつ、帰ってきた翡翠ならぬキツネ石と今の自分を重ね合わせた。
「キツネ石って、翡翠に似てて騙されるから、キツネ石って言うんですよね。私みたい」
「わたし?」
「自分の名前がないんですよ。まだ、何者にもなっていない。何の存在にもなっていない。私みたいです」
三津は、つい、本音をつぶやいてしまった。
色々な所を巡ってはきたが、自分は本当に陶芸をやりたいのか?実はわからなくなっていた。
実は、ヒロシという才能を目の当たりにしてふがいない自分を認めたくなくてここまできたのではないか。
それを、この家にきて、八郎という自分の才能に不器用なまでに愚直に向かい合う姿と、喜美子という才能と努力を毎日目の当たりにした事で、中途半端な自分がどんどん見えてきてしまった。
三津は、自分の向かうべき道、存在意義がわからなくなっていた。
「クリソプレーズって知ってるか?」
八郎が三津の目を見て話し出す。
「クリソプレーズ?」
聞いたことがなかった。見当もつかなかった。
「そや。強運と勝利をもたらすとして、アレクサンダー大王が身につけていたとされる石や。なんの石やと思う?」
「…わかりません」
「キツネ石や」
「え?キツネ石?!」
「そや。質が良いキツネ石は、クリソプレーズになるんや。
松永さんが、名前がない、嘘の石と呼ぶものも、中にはこんなアレクサンダー大王がつけるような宝石になるものもある。
わからんのや。どんな風に化けるのか、やってみないとわからん。
松永さんもそうやで?やってみないとわからん」
そう言って八郎は、三津の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
ダメだ。
今まで必死にかけていたブレーキ、道を間違えないよう必死に踏ん張って力を込めていたのに、八郎はいとも簡単にそのブレーキを外し、自分のトロッコに乗ってきてしまった。
三津は、八郎が自分のトロッコに乗ってきたことで重くなったこの瞬間、坂道を転げ落ちる感覚になった。
もう止まらない。止まる術はない。
三津は、完全に八郎に恋に落ちてしまった。
だが、状況は変わりなかった。自分は弟子であり、八郎は喜美子と夫婦である。
また、こちらから見ていてもうらやむほどの仲の良い夫婦であった。
三津は、必死に自分の心を押さえつけるようにしたが、一度転がり出した坂道をトロッコは止まってくれなかった。
今日は、八郎とこんな会話をした。今日はこんな顔を見せてくれた。明日はどんな会話をしよう。どんな顔を引き出そう。
気をつけていても、それが自分の思考の中心になっていった。
自分が惹かれるのと同時に、八郎は、喜美子に対しての畏怖を感じ始めていた。そんな感情も自分に吐露してくれた事も嬉しかった。
『私が先生を支える』
そんな錯覚を覚えるまでなっていた。
なので、銀座の個展に出す作品を自分のアイデアを取り入れてくれた時は天にも昇る気持ちで、調子に乗って、銀座についていく算段までした。
八郎にはきっぱりと拒否されたが、そんな拒否をする八郎にさえ好意を抱いてしまうほど、八郎に夢中になっていた。
そんな頃、喜美子が穴窯を完成させ、いよいよ火入れをする事になり、順番に火の番をする事になった。
三津と八郎は順番を待つ間、色々な話をしながら1つの工房にいた。普段、一緒にいるはずのない時間に八郎と過ごせる自分が特別なように感じて、今、この瞬間だけは八郎は自分のものであると錯覚を覚えていた。
夜明け、ふと目が覚めると、目の前に八郎の顔があった。
2人で話し込んでそのまま眠ってしまったのだ。
目の前に在る、穏やかな八郎の顔。
見たことのない寝顔に、三津は自分のトロッコが急坂を下りきったことを感じた。
「もうだめだ」
自分にかけていたブレーキから完全手を離し、そっと八郎の顔に近づいた。
後もう少しで唇に触れる、もしかしたら触れたかもしれない、そのくらいの感触の中、八郎が目を覚ました。
三津は、我に返って飛び退いた。
その状況をどう感じたのか、八郎はその場に静かに立ち上がった。
「大学時代を思い出すな」
一言そう言って、三津を見て笑顔で言った。
その笑顔が、三津にとって何か審判を下された気持ちになった。
トロッコは、下りきって、地の底に落ちてばらばらに砕け散った。
「男だったらよかったのに」
男だったら違うところに弟子入りして八郎に出会わなかったのに。
ここでは女性も男性も関係なく松永三津として扱ってくれるのに、せっかくそういう場所を見つけたのに、自分自身が強烈に女性を意識してしまっていた。
自分がこの家で修行できる立場ではない。
三津は、川原家を去ることを決心した。
川原家を去る前日、三津は工房の掃除をしていた。
「ここにおったんか」
「はい。最後にきちんと掃除をしたくて」
「なんか、すまんかったな。きちんと教えてやれんで」
「謝らないでください。あれです。キツネ石です。私はこれから、自分の進むべき道を見つけていくんです。化けるために」
そう言って、三津は、キツネ石を八郎に渡した。
「あげます」
「え?どないして。これ、大切な思い出やろ?」
八郎が、戸惑いながら石を三津に返そうとする。
「これは、もう私には必要ありません。キツネ石のあるかもしれない未来の姿を先生からもらったので」
三津は、石を八郎にもう一度渡した。
「私もあれから色々調べました。クリソプレーズって仕事で成功したい人に、今必要な何かを示唆して、自信と勇気を与えてくれるんですって。
だから、先生が持っていてください。きっと良いことあります。
先生は、素晴らしい人です。素晴らしい作家です。この数ヶ月一緒に時間を過ごして、感じました。本当は・・・」
そう言いかけて三津は、最後のブレーキをかけた。
「お世話になりました」
キツネ石と共に、手紙をそえて再度、八郎にお礼をした。
三津が去った後、八郎はその手紙を読んだ。
『クリソプレーズ
新緑のような優しい見た目とは裏腹に、強力なパワーをもつとされ、持ち主の隠れた才能を引き出し、能力を開花させる効果があるといわれています。
仕事で行き詰まりやマンネリを感じたときには、新たな目標に気づかせてくれるでしょう。また、夢や目標があるにもかかわらず、一歩踏み出す勇気がないときや、将来に対するあきらめの念が生じたときにも、クリソプレーズを身につけてみてください。オリジナルの才能を開花させ、自己実現を可能にしてくれるでしょう。
先生は、クリソプレーズのように新緑のような優しい見た目とは裏腹に、強力なパワーがあります。この数ヶ月一緒に過ごしたからわかります。本当はもっとたくさん教えてもらいたいことがありましたが、私のトロッコは壊れてしまったので、ここを去ることにしました。どうぞお元気で。
川原八郎様』
八郎はキツネ石を太陽にかざしてみた。薄い緑でとてもきれいだった。
トロッコの話はよくわからないが、三津のこれからの人生が明るいものになるよう願った。
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