虫かごをかばんに

世の中改元で盛り上がっているが、個人的にはひねり出しても出てこないくらい感慨が芽生えず、世の中のムードが不思議なくらいであった。
物心ついてからは既に平成だったので、感覚的にはこれまでの人生全てが平成だし、平成の仕事の続きをせねばならないゴールデンウィーク明けを思い既に憂鬱な私からすると、感慨などない。書いて思ったけどつまんない人間だな私。
天皇というひとりの人間の人生を思うと非常に考えさせられるものがあったが、それは個人的あるいは社会的な感慨とはまた別のものである。

ということで、特需に全力であやかることへの恥じらいを捨てたかに思えるほど『平成最後』を冠につけたがるテレビ番組を横目に淡々と部屋の片付けをする連続休暇幕開け。

あまりにも世間とテンションがあわないため、どうやったら私にも感慨が生まれるのか?という謎の実験的思考をしているさなか、
次に元号変わるとき何してるかな?いやむしろ天皇制なくなって実は令和が最後の元号になったとかもあり得るな…
などと考え、
たぶん次の改元のときも、今日みたいにひとりで部屋の片付けとかしてるな、という結論に達し、
その時に感じるであろう感慨を先回りして感じてみるという、無駄な遊びをしてみたのであった。

そんなことをしていた私も、平成最後の日は大晦日のような番組構成に影響され、年末気分でちょっと楽しくなり、元号が変わる瞬間をどう迎えるかを意識し始める。
私らしい幕開け。
結果、自宅の半分にちょんぎられたような狭い風呂場で、エイリッヒ・フロムの『悪について』を読みながら迎えた。正確には、気づいたら令和になっていた。
最高やん。
これまでの年末年始含めた<境目>の過ごし方で、一番気に入っている。

こんな風に世間とずれてる感じを装いかっこつけながらも、結果的に世間に影響されてしまう私は、
純粋な人に憧れる。

ゴールデンウィーク初日、休日出勤に出かける高円寺駅改札で、虫かごをかばん代わりにしている兄さんを見た。
ペットボトルやら財布やらが入っている虫かごを、肩にひっかけている。
仙人のように穏やかで老成したような目をしていた。
なんだかすごく感心してしまった。
高円寺に住んでいてよかった。

べただが、やはり純粋な意味でも、多様を包容してくれる街であると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?