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夢や目標を大人が描いて何が悪いのか!

こんにちは。
子供の時、将来の夢ってみなさん書きませんでしたか?

宇宙飛行士、サッカー選手、野球選手、タレント、お花屋さん・・・
自由にみんな望んでいたのかなーなんて思います。

でもいつの頃からか「そんなのは夢のまた夢だなー」ってなりませんでしたか。人によってタイミングは違うかもしれません。

僕は中学・高校・大学と進む中で、周りの友人や先輩、両親を見て、自分の世界はこっちだとある種決めつけて、会社に普通に就職しました。

人によっては目指していたけど大きな挫折によって諦めたという方もいらっしゃるかもしれません。

僕の父親は前にもご紹介した通り、絵に描いたような、サラリーマンです。
本当に会社の仕事に一生懸命で、僕たちを育ててくれた、最高の父親だと今は思っています。

母親も同様に、専業主婦でしたが、ずっと僕らに寄り添って、育ててくれた最も大切な人です。

客観的に見ると、僕はある意味、典型的なサラリーマン家庭で育ちました。
会社で汗水たらして働くことで、まずは食っていくんだと、子供の頃から教わってきた気がします。

一方でいつの頃からか、自分が本当はどうなりたかったのかを忘れてきてしまいました。目の前の勉強を頑張ること、今いる友達と楽しむこと、そこに集中してきました。でも会社員3年目の時に立ち止まりました。

僕は当時、輸出の営業の仕事をしていました。
残業もしたし、会社の上司とも飲みに行ってましたし、普通以上に会社員やってました。
でもここで頑張った先に何が残るのだろうと考え始めました。
会社で働き続けた先に何が待ち受けているのか・・・。

僕の父は約40年、保険会社で勤め上げました。本当に立派なことだと思います。ただ、父は60歳で病に倒れ、闘病の末、63歳で他界しました。
これからだったんじゃないか・・って今でも思ってしまいます。

セカンドライフでやりたかったことがたくさんあったんじゃないかって思うのです。40年ほとんど休まずに勤め上げてきて、やっと自由に第二の人生を送ることができる、そんなタイミングで病に倒れました。

私はその時に一つのことを悟りました。
私や周りの人の命は限りあるものだと。
そんなの当たり前にわかっているかもしれませんが、
周りの人の存在が当たり前になりすぎて、そんなことも忘れている。
自分も両親も親友もいつまでも元気で健康でいてくれる、そんなことを思っていたのではないかと。

でもそうではなかった。
私も両親も親友も限りある命を生きています。
いつその命の灯火が尽きるかは誰にもわからない。
そうであるならば、私自身が悔いのない人生を今この瞬間送るために
そして大事な人に最大限の感謝と貢献を今できるようにならなくてはいけないのではないか、と思うのです。

一日一日を自分の目標や使命のために生きている人は、
大人であっても自分にとって最大限の夢や目標を持って生きていると思います。

私もかつてはそういう人をどこかでしらけた目で見ていました。
そんな大きなことを望んで何になるのか、周りに馬鹿にされるだけではないか、できるのはほんの一部の才能のある人間にすぎない・・・と。

でも父の生き様や、私の今のメンターに出会い、
自分で決めたことを自分で成し遂げていく姿を見て
今、大きく望まなければいつの望むのであろうか、と改めて感じました。

いい年して何を言っているのか、とか言われるかもしれない。
でも言わせておけば良いのです。

甲子園を目指している野球少年に
「そんなの目指して、汗だくになって泥んこになって、なんの意味あるの?甲子園いけるやつなんて一握りなのに」
なんていう人に魅力を感じますか?

大の大人こそ大それた夢を見て語って、努力して成し遂げることが大事なんんじゃないかなーって思います。


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