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魅惑のマヤ・ブルー

 とある顔料の話をしよう。

 メソアメリカに花開いたマヤ文明の遺跡には、素晴らしい壁画が何点も残されている。これらの遺物を語るうえで、避けて通れないのが、「青」の顔料だ。


 そもそも、世界中の地域・時代において、「青」の顔料に何が使われているのか、というのは、非常に複雑な様相を見せる。
 人類が初めて手にした顔料は、酸化鉄の「赤」であるというのが通説だ。日本でも最初に遺跡から出土するのは、ベンガラと呼ばれる酸化鉄を使った「赤」であり、縄文時代からみられる。
 そのほか、黄土(これも主成分は酸化鉄)を使う「黄」や炭化物の「黒」などは、比較的手に入れやすい顔料であり、古くから使用されるのだが、手に入れにくい「青」「緑」などが使われるようになるのは、かなり時期が下ってからのことになる。


 人類は「青」を得るために、様々な工夫を凝らしてきた。
 自然界において入手できる「青」の中でも、希少価値が高いのは、ラピスラズリである。ラピスラズリについては以前も記事を書いたが(こちらを参照)、砕いて使うことで、美しい「青」を発色する。
 ユーラシア大陸の西側で使われる「青」はラピスラズリであること多いが、中央アジア~東アジア地域では、アズライト(藍銅鉱)を原料とする「群青」が使われることが多い。丁度両者の境界となっているのが、石窟壁画で有名な敦煌であり、この遺跡ではふたつの顔料が混在する。

 このような顔料の原料になる鉱石は、産出する地域が限られており、また非常に高価である。これらを産出しなかった、または発見できていなかった地域の人々は、「青」を手に入れるために様々な工夫を凝らした。
 そのひとつが、最古の合成顔料「エジプシャン・ブルー」である。これは、人の手でつくられた最初の顔料であり、高価なラピスラズリの代用品として大活躍した。エジプトのみならず、メソポタミア世界、ローマ帝国支配地域などでも、「青」の顔料として使われたのである。


 マヤ文明の地メソアメリカも、「青」の原料が乏しい地域にあたる。現在でこそ、メキシコは多様な鉱産資源に恵まれ、アズライトなどを産出するが、これらが認知・利用されたのはスペインによる植民地支配が始まって以降のことである。「コロンブス以前」と通称される、ヨーロッパとの交流が始まる以前においては、天然の「青」の安定供給は難しかった。

 そこで発明されたのが、今日「マヤ・ブルー」と呼ばれる合成顔料だ。
 この顔料の特徴は、なんといっても耐久性である。
 高温乾燥地帯が広がるメキシコの大地で、長らく忘れ去られていたマヤ文明の壁画たちは、昨日塗ったのかと見紛うような、鮮やかな「青」をとどめている。分析により、「マヤ・ブルー」は熱のみならず、水、酸、アルカリにも強く、極めて堅牢であることがわかっている。
 この「青」を生み出す原料こそが、長年論争の的となった、悩ましい存在であった。


 勿体ぶっても仕方がないので、結論から申し上げよう。
 「マヤ・ブルー」の正体は、「インディゴで染め上げ、中温で長時間加熱した粘土」である。

 「インディゴ」には聞き覚えがある方も多いのではないだろうか。端的に言えば、藍に含まれる「青」である。デニムによく使われるあれである。
 「マヤ・ブルー」は藍染と同じ仕組みで発色しているのである。

 日本の藍染で使われるのは、タデ科イヌタデ属の「タデアイ」だ。しかし、「インディゴ」を含む植物は他にもあり、世界中で様々な種類が使われている。
 例えば、旧大陸で広く「青」の染料として使われた「インドアイ」は、マメ科の植物である。
 メソアメリカにおいては、マメ科コマツナギ属の植物が、藍染に使われた。特に、「ナンバンコマツナギ」の利用が多かったようだ。


 発色を「インディゴ」に由来する「マヤ・ブルー」は、深く落ち着いた発色を表す。しかし、所謂「藍色」とも異なり、やや緑がかっていることが特徴だ。
 実際の遺跡では、「青」の色調を調整するために、炭酸カルシウム(方解石粉末や石灰などのかたちで利用される)などと混ぜて使用されていたようだ。また、「染色した粘土」という特性上、そのまま溶いただけでは水っぽく、ざらりとした質感になるので、ムラなく塗るためにも、混ぜ物が必要なのだろう。


 さて。ここまで読んでくださった貴方は、ご自分でも「マヤ・ブルー」の顔料を使ってみたくなっていることと思う。
 そんな貴方に朗報だ。

 「マヤ・ブルー」の再現プロジェクトには、いくつかの企業が取り組んでおり、数社でかなり近しいものが完成している。
 そのひとつが、ターナー社の透明水彩絵の具だ。おそらく、日本で最も手に入れやすいのは、これだろう。
 「マヤ・ブルー」に取り憑かれた私も先日、痛い懐をさすりながら18色セットを購入し、一枚描き上げてみた(12色セットにはマヤ・ブルーは入っていないのである)。

 透明水彩を使ったのは、実に小学生以来であったので、拙いところも多いのだが、おおむね満足のいく出来栄えになった。
 せっかくなので、題材はマヤ文明の壁画からとってみた。メキシコはトラスカラ州、マヤ古典期後期のカカシュトラ遺跡から見つかった、通称「Bird-Warrior」である。
 マイナーな遺跡なのだが、素晴らしい壁画が残っているので、興味を持った人はぜひ調べてほしい。


 ついでにターナー社「マヤ・ブルー」の使い心地も記録しておこう。単色で塗ると、このような発色になる。

 先述の通り、原料の特性上「マヤ・ブルー」はざらりとした質感になる。透明水彩絵の具になっても同様で、単品で使うと、少々ムラができやすい印象があった。水分量や混色で調整する必要があるだろう。
 とはいえ、ざらりとした塗り心地は、質感を出したいときにはかえって向いているかもしれない。これからも試行錯誤して、より魅力的な「マヤ・ブルー」の使い方を探る所存である。


 最後に、「マヤ・ブルー」研究について、一点申し添えておこう。
 実は、「マヤ・ブルー」の耐久性の由来について、まだわかっていないことがある。どうやら、「インディゴで染め上げた粘土」を加熱することにより、類まれなる堅牢さを得る、という点は間違いないようなのだが、どういったメカニズムなのかは、未だ不明なのである。
 また、低温でもなく、高温でもなく、75~190℃の範囲内で長時間加熱しなければならないのだが、この環境下で何が起こっているのか、なぜこの温度でなければならないのかも、よくわかっていない。


 21世紀にもなお、謎めいた「マヤ・ブルー」は、これからも人々を魅了することだろう。



参考文献
児嶋英雄 2001「マヤ・ブルー —この珍奇にして個性的な青色有機顔料—」『京都ラテンアメリカ研究所「紀要」』第1号 107-129頁(→機関リポジトリ
鶴田榮一 2002「顔料の歴史」『色材協会誌』75 巻 4 号 189-199頁(→J-stage
海崎純男, 瀧川隆弘, 西村善彦, 戸屋圭子 2013「P32 高耐候性マヤブルーの再現(ポスター発表,一般講演)」『粘土科学討論会講演要旨集』57 巻 第57回粘土科学討論会講演要旨集 206-207頁(→J-stage



この記事は、筆者の知的好奇心を刺激してやまない世界中の各事象について、備忘録的にまとめているマガジン『奇怪なる百科事典』の一項である。他の項も覗いてみたいという物好きな御仁は、下記のリンクより目次をご参照いただきたい。


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