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Let's go to 秦漢時代!【読書記録:柿沼陽平 著『古代中国の24時間』】

 入門書にも、時代考証にも、秋の夜長の読書にも、最適な新書を発見してしまった。その名も、『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』である。


 そもそも、私がこの本を読むことになったのは、古代中国風ファンタジーの構想を練っているせいである。
 noteでは何が何だかわからないようなエッセイばかり書いている私だが、己の本分としているのは小説である。その一環として最近は、いつかは描きたいと思っていた中華風ファンタジーの構想を、本格的に練っているのだ。

 空想と妄想ほど、この世で楽しいことはない。無限の彼方までも考えを巡らせていた私だったが、あるとき、はたと思い至った。
 私は、古代中国がどのような世界だったのか、全く知らないではないか。

 例えば、家のつくり。人々の就業形態。差別、格差、身分制度。貨幣制度や市場の運営形態、当時の物価。美醜の基準、婚姻のかたち、身だしなみ。時間の間隔、食事の内容、風呂・トイレの様式。
 なにひとつ、わからない。

 これは由々しき事態である。
 考えて欲しい。例えば、とある集落に朝がきた場面を書くことにしよう。

朝と言えば食事である。ここでまず問題になるのは、朝食のメニューだろう。まさか、ピカピカの白米に焼き魚、漬物などの描写をするわけにはいくまい。主食は米か、雑穀か? 或いは小麦? どのような野菜が食べられていたのか? 内陸で魚を食べることは可能か? 

 食事の支度をしているのは誰だろうか。母親? 子供? 嫁? 召使い?
 家の中で竈はどの位置にあるのだろうか? 家々の竈からは煙が昇り……というような描写は有効か?

 食べ始めるにしても、食器は何を使っていたのだろうか。箸? 匙? 皿の素材は何だろう?

 食卓を囲む席順はどうなっていたのだろうか。そもそも、「家族団らん」というように、皆で集まって食べていたのだろうか。家業や気候によっては、ばらばらに食べたほうが効率的な場合もある。古代中国のスタンダードはどちらだろうか……?


 ほんの数行を描写するだけでも、疑問が滝のように溢れてくる。勿論、ファンタジー小説を書くつもりなのだから、全てを創作することもできる。だが、矛盾なき虚構を生み出すためには、現実に対する深い理解が必要だ。
 人間ひとりの想像力など、たかが知れている。
 ”Truth is stranger than fiction事実は小説より奇なり.”と言ったのはバイロンだが、これほど説得力がある言葉も珍しいだろう。世界には驚くべき偶然や、驚異的な生き物たち、そして今なお学者の頭を悩ませる不可解な事実が満ちている。

 知識の幅を広げれば、それだけ良い小説が書ける、というのは道理である。何より、まったく知識がない状態では、ストーリーを膨らませることも難しい。


 例えば、古代中国の市場には、黄金を少額貨幣にかえてくれる両替商がいた。この知識があれば、登場人物が悪徳両替商に黄金を持ち込んでしまい、相場より安く両替されて憤慨する……というような一幕を追加することができるだろう。
 このストーリー自体に突出した点はないが、今後の伏線にすることも可能だし、登場人物の危なっかしさを暗示するのにも効果的だ。「市場」という空間の、世俗的でスリリングな雰囲気を演出することもできる。

 まあ、普段からここまで考えて小説を書いているわけではないが、要は下調べや時代考証は重要だよな、という話である。


 こういった理由で、最近は古代中国史、とりわけ生活史に関する本を読み漁っている。その入門編として、まず手に取ったのが、今回取り上げる柿沼氏の著作である。

 一般向けの新書であるため、文体は硬すぎず、むしろ軽妙な語り口である。開始10頁に「サブカル製作者にとっても、時代背景の理解はたいせつであろう」とあり、私の目論見もくろみが一瞬で看破されている。

 本書では、読者は古代中国時代にタイムスリップした気分で、起床から就寝までの一日を体験することができる(柿沼氏は「ロールプレイング」と表現している)。

 私は、この本の何より素晴らしいところは、柿沼氏が描き出す生活史の着眼点であると思う。私は先ほど、古代中国の生活に関する疑問をつらつらと述べたが、実はこの本一冊で概要を把握できる。それどころか、自分では思いつかなかった、しかし確かに気になる事柄についての知識が、この新書に詰まっている。

 室内で靴を脱いでいたか。家族間の喧嘩はどのように処理されたか。当時のご近所づきあいについて。大都市の景観。ゴミや上下水道の問題。郵便制度……。
 どのトピックも、読者の知的好奇心を刺激してやまない。気になるところだけつまみ食いしてもよし、読み物としても十分に楽しめる。


 古代中国の在りようについて、ここまで平易かつ詳細にまとめた本はないだろう。私も、今後の資料集めの取っ掛かりとして、大変お世話になった。
 2021年刊行なので、最新の研究成果が反映されているのも嬉しいポイントである。

 貴方も秋の夜長に、古代中国へのタイムトラベルはどうだろうか?


《書籍情報》
柿沼陽平 2021『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』中公新書

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