雷石・雷斧

 考古学が発展する以前、発見される打製石器・磨製石器は、雷石・雷斧などと呼ばれ、雷によってできた石であると考えられていた。
 この説明は、文化圏に関わりなく、様々な地域でなされている。

 石器と雷が結び付けられたのは、ある意味では必然的なものであった。
 雷と雨は、しばしば同時に発生する気象現象である。激しい雷雨が降ると、地表面の土砂が洗い流され、今まで土の中にあった遺物が露出する。
 その結果、雷のあとには、見慣れない石器が見つかるのである。

 なお、日本では、石器を「天狗のまさかり」「きつねのまさかり」などと呼ぶこともあったようだ。


 具体例を探すべく、日文研のデータベースに潜ってみたところ、明治初期のオランダ人学者ゲールツによって記された、『新撰本草綱目』が引っかかった。

日文研データベース 外像

 データベースの説明には、「霹靂石ノ類-雷の石.雷斧-雷の刻印.狐の鉋石-狐の鉋の鉄石といわれる石.雷斧-雷の斧.狐の鑿石-狐の鑿といわれる石」とある。 
 画像左側の三点は、磨製石斧であろう。専門外のため、時代の特定はできないが、実物がこの図の通りであるなら、かなり強い三角形状をしている。
 右側の上から三番目は、打製石器か、剥片であるかもしれない。上から四、五番目は、だいぶ薄そうな表現である。砥石の類だろうか。
 わからないのは、図右側の上一、二番目である。右側が刃状に加工されているが、それ以外の部分に描き込まれた木目のようなものは、何の表現だろう。気になるところである。


 雷石・雷斧以外にも、先史時代の遺物が、後世に異なる意味付けがなされることはしばしばある。わかりやすいのは、石棒が神社のご神体になっている事例だろうか。
 これに関しては、後日別項を設けるつもりである。

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