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大寒波襲来のおりに壊れし拙宅のエアーコンディショナー

 この冬一番の寒波が来るとの予報に、列島全体が急ぎ装備を整えた夜、私はひとり安借間の寝床の上で震えていた。
 前日の朝から、備え付けのエアコンがストライキを起こしていたのである。

 最悪のタイミングで不調を起こしたエアコンは、修理を要求するように、電源ランプを点滅させていた。窓の外には細雪がちらついている。
 積もるだろうか。雪の朝の冷え方は尋常ではない。豪雪地帯にお住まいの方からすればままごとのような量だろうが、関東平野の辺縁部に巣食う私にとっては、数センチの積雪でも命とりである。

 鉄筋コンクリート造り、築25年の賃貸マンションが、私の住処だ。平常時であっても、夜間は建物自体が冷え切ってしまい、床から冷えが昇ってくる。
 いわば、床冷房のようなものである。断熱なんて概念は存在しない。

 そもそも、一丁前に高層でありながら壁が薄いこの建物は、隣人が友とゲームに興じる音や、ゲゲゲの鬼太郎の主題歌を口ずさむ音、ドラムの練習に勤しむ音などが、平然と聞こえてくる。
 楽器演奏は禁止だった気がするけどなぁ、というぼやきは胸にとどめておく。私自身粗忽者なので、それなりに騒音を立てている気がするからだ。

 貧しい住環境についてはこれくらいにしておいて、問題はエアコンである。寒波が襲い来る、そのタイミングを見計らったかのように壊れたそれは、かれこれ二週間ほどたった現在でもなおっていない。
 この原稿を書いている今も、私は暖房がない部屋で凍えている。

 本記事の表題は、エアコンが壊れた当初、あまりの寒さに震えながら吟じた自由律短歌である。笹公人さんの『念力家族』を念頭に、淡白さともの悲しさを意識して作ってみた。
 『念力家族』は好きな歌集なので、この折にお勧めしておく次第である、


 閑話休題。
 エアコン亡き現在、私が頼ることができる暖房器具は、2リットル使用の湯たんぽと、愛用の袢纏のみである。
 特に、袢纏の暖かさについては、この機会に力説しておきたい。そもそも、袢纏を構成する要素は、綿入れ布団と九割方同一である。袢纏を着るということは、布団を着るということに近しい。
 ここ二週間、私は袢纏と湯たんぽ、それから一杯のウォッカを頼りに、エアコンのない部屋を生き延びている。気分はすっかり北国の住人だ。

 エアコンは明日、修理される予定である。あと少しの辛抱だ。


 ところで、エアコンの故障を皮切りに、私が持っているパソコンとスマートフォンが、立て続けに不調を生じている。寒さのせいで働きが悪くなったのか、とも思ったのだが、どうやらきっちり故障しているようだ。
 気づかぬうちに貧乏神か何かと同居しているのだろうか、と勘繰りたくなるタイミングである。

 折を見てお祓いにでも行くべきか……うっかりそんなことを考えている。

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