2023年12月後半
せわしないようでいて、
気持ちが落ち着かないけれど、
様々な周囲の出来事やサインは、
今を大事に、生を全うせよと言っている。
20231216 Sat.
お友達がバイトしているネパール紅茶のサロンへ
ショッピングモールがあるカタカナ駅名の近く。かわいい戸建ての二階がそのサロン。
ネパールから直接買い付け、現地にもいらしているオーナーさんが、知らない名前が沢山並んでいる。アール・グレイとか、アッサムとか、ダージリンといった名前でなく、茶園の名称か、何年にとれた茶葉か、ファーストフラッシュなどの摘み取った芽のカテゴリーが名称になっている。
眼がチカチカして選べない。
すべて有機。そこがいいのかな。
なんとかひとつに決めて淹れていただいた紅茶は素直な美味しさと香り高さ。ガツンとしたインパクトではない。紅茶にインパクトを求めるのが間違っているのかもしれない。
□
友達にヘアスタイルが似合っていると褒めてもらい、刈り上げをちょっと触ってもらった(笑)。前髪の有無なのか、白黒の割合の変化なのか、顏が明るく見えるという。ふーん。
自分は限られた瞬間にしかヘアスタイルの変化を意識しない。服を着替えるとき、ラウンドネックのセーターをスポッと着られるとか、洗髪するときに楽だとか。普段自分から見える景色は変わらないので、変化している自分に自分で驚く。
■
午前中、整形外科へ。
3年くらい前に骨折して通って以来、随分久しぶり。
8月中旬から10月下旬まで、長距離ウォークするときにスマホをしょっちゅう左手で操作していて、左の肘付近の筋肉が少し痛くなった。腱鞘炎のような、テニス肘のような感覚なのだと思う。
使いすぎは明らかだから、途中からは右手も使ってスマホ操作した。長距離ウォークのイベントが終わったら極力使わないようにした。しかし、ちっともよくならないし、逆に普段のふとした動きで痛くなってきた。さらに親指側も微かに違和感を感じるようになってきている。悪化してるじゃない。
どのように手当したら良くなるのだろうか?
もしかして老化のひとつの現れなのだろうか?(五十肩みたいな・・・)
老化のため回復力が小さくなっているのだろうか、その場合どう手当てしたらいいのか。年末掃除などで使いがちになる時期なのだけれど。
こんな面倒なこと、ちゃんと相手してくれるかなぁ、どう伝えたらいいだろう?と思いながら診察券を出すと、今日は代診ですと言われた。同じ苗字。息子さんかな?
息子さんらしき、若く感じよい人。こちらの話も聞いてくれて結局、湿布対応。様子見しよう。
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『きのう何食べた?』を観たが次回で今シーズン最終回だと知り、その瞬間にロスを感じた。
なにか自分で進みたいのに、動画など外からの刺激で埋めようとしている。
20231217 Sun.
以前参加していた合唱団が歌う第九コンサートへ。
オーケストラは都民交響楽団。うまい演奏者が揃ったアマチュアオーケストラで彼らに気に入っていただいて、もう5年くらい継続したカップリングだ。
前半、オーケストラはシューマンを弾いた。
何となくまとまりがない感じもする演奏なのだが、美しいフレーズはとても美しく聞こえてきた。とくに第2、第3楽章。
第九も、ところどころまとまりがなくなるのだが、美しいフレーズはとても美しかった。美しくしたいという指揮者の意図が感じられた。全体的にテンポが速く演奏するのは歌も楽器も大変そうだ。うまい弾き手が揃っているから成り立つけれど、そうでなければ崩壊するかもしれないくらい。
聴きながら昔のことを思い出す。このコンサートホールは、楽屋側に食堂があり、中華のチャプチュやカレーなど食べられて美味しい。壁には沢山のサイン~バレエ団、オーケストラ、指揮者、ソリスト~があり、歴史を感じるし、同じ舞台に立つという感覚にとても高揚したなぁ。
合唱団の顔ぶれはだいぶ変化し、知っている人がごくわずか数名になり、100名以上いる9割の顏がわからない。私自身、やめて直後に聞いているときは、半分団員のように緊張しながら聞いていたけれど、今日はかなり観客として聴いているなぁ。合唱の部分だけは自分のパートで口が動いていた。
終演後、一緒に聞いた3人と合唱団で歌った1人とで集まって、ワインとおつまみで打ち上げをした。今日の演奏についても、第九を何度も、おそらく10~20回歌っている経験から、ああだったこうだった、指揮者はこうしたかったんだろう、等と好きなことを話した。合唱団が始まった1995年から、お互いライフステージも変わるし、合唱団の質も変わってきた。いまだから語れる時の積み重なりは感慨深いし、この合唱団での出会いがあったから、その後の交友関係や音楽体験が生まれたということにも感謝している。
今も変わらないのは、シンフォニック合唱団としてオーケストラと合わせるというコンセプトがそのままなこと。嬉しい。
20231218 Mon.
『未来を創造する物語』。やっと、やっと。希望を感じる記述が出てきた。
世の中は価値観だけでなく、それを反映した社会の仕組みから成り立っている。
その仕組みは、「物語」と「仕組み」からなる。
そのひとつに、貨幣という物語がある。
そこに地域通貨が一部でも入り、地域で還流する経済圏・物流、つまり地産地消があり、さらに人的交流(例えば子育てヘルプ、教え教えられる、お手伝い等)があれば、ずいぶん居心地が良くなるのではないかという話だ。
同感。賛成。
日本にも地域通貨がいくつかあるし、地域を越えたひろがりを目指しているものもある(例えばeumo;ユーモ)。こういった補助通貨が円通貨の5%でも10%でも流通するようになれば、景気におおきく翻弄されることなく、身の丈の生活ができるのではないか。状況によっては補助通貨が8割以上占めるときがあるかもしれない。
またこの補助通貨については、様々な工夫により使い勝手が広がる。
・マイナスになってもいい
・手元にプラスで持っている場合、ずっと使わないでいると消える(例えば半年間使わないと自分のアカウントからは消えて仕組みに吸収される)
この二つの仕組みを入れると、苦しいときは助けてもらえる、地域通貨が巡り続ける、という効果を狙うことも出来る。
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郵便はがき・封書の送料を来年秋に値上げするというニュース。30年ぶりの値上げということで、前回は1994年封書は80円になった。その後消費税に伴い、2014年、2019年に2円づつ値上げしている。
はがき 63円→85円
封書 84円→110円
https://news.yahoo.co.jp/articles/9cdbe5cf7d62e2d254b671c605d83ddd7e16c0b6
物価反映するのは理由があってのことでこの値上げ自体悪いと思わない。しかし、こうなると年賀状はさらに出さない方向へ力学が働くだろうなぁ。手紙を出すこともさらにブレーキがかかりそう。
同じ形である必要はないとして、手紙の良さ、郵便が隅々まで届く体制、これらをどのような形で続けるか、考える緊急度が高まった。
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もう10数年前、時々バス停でお会いしていた”おばあさま”が今年90才になったはずなので、その方のところへお誕生日カードと台湾のお土産(パイナップルケーキ、ウーロン茶)をお届けした。
家にいないようだったので、ドアノブにかけておいた。
お元気でいらっしゃるなら、電話がかかってくるだろう。
夜、お電話でお話できた。元気そうなしっかりしたお声で、今日はお友達と出かけていたという。「あたたかくなったら、今度は一緒にお話ししましょう」と。
素敵なおばあさま。義母様と同じ年齢で、少し言葉を交わすだけでしっかりした人柄と、柔軟な心が感じられた。だから勝手に私がお付き合いを続けている。来年お会いするかどうか、それはわからないけれど心の中にこの方がいるだけで、ほっこりする。お元気で良かった!
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その後、実家へ。
作り置きのおかずなど何もなかったので、手ぶらで帰り家にあるものをアテにした。
20231219 Tue.
生協から朝届く花を持って墓参りに行くというので、昨晩、実家に来ていたのだが、9時に生協が届き、11時に来客があり、軽くお昼を食べてから出かけることになり、出発したのが結局14時。普段と同じかちょっと早いだけ。
歩いて30分+休憩15分+さらに20分、家から1時間でお墓へ。
掃除してお詣りしてお寺の入口に着いたのが16:15。
お寺にご挨拶したかったらしいが、16時過ぎたためか誰も出てこず。
そこから駅まで15分。
30分後のバスまで母は食料品店、私は本屋。
帰ってきたのは17:30。もう暗い。
お寺を出てまもなく、民家の庭の木にリスがいた。
午前中は、ちょっとだけ草抜きをしたほか、2階各部屋の扉を拭き、蜘蛛の巣や埃を払っただけで疲れた。
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夕飯の後、タルトタタンを出してくれた。
母は、デパートのお歳暮パンフレットを見ながら、何軒かにはお歳暮を贈るのだが、いくつかは自分宛に発送してもらっていてそれが楽しみらしい。
確かにそのタルトタタンは美味しかった。お歳暮のなかでお高めではあるが、最近ケーキ1カットが700円とか900円とかしているのを見ると、このタルトタタンはその価値があるなぁと思えるものだった。1ホール8切れにするとして、1切れ700円。5600円くらい。
リンゴを何個もつかって圧縮したようなお菓子だから食べ応えもあるし、リンゴの濃縮された味、キャラメル風味が美味しい。
「いいでしょ」と自慢げな母。「こういうお店に行って買うのは大変だけど、届けてくれるんだから、色々試せていいでしょう」と自分で見つけた楽しみにご満悦。
はい、好奇心いっぱい、食いしん坊な母にピッタリです。
20231220 Wed.
最近の母。
ごはんが出来上がって、食卓でさあ食べようというときに、台所にある昨晩タッパーに詰めたおかずが何だったか見ようとする。「早く食べよう、冷めないうちに」というと「どうぞお先におあがんなさい」と。いやいや一緒に食べ始めるでしょう。 これ、ほぼ毎回やる。
朝食時、スープや卵料理が用意できて、最後にトーストが焼けてさぁバターを塗って食べようというときに、後で食べるリンゴをがさごそ冷蔵庫のなかで探したり・・・。
昔はそうではなかったんだけどな。
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今日も落ち葉掃きからのハナニラ抜き。雑草も抜くのだけど、もっぱら手がかかるのはハナニラ。
地表に出ているのはほんの1本ひょろっとした葉っぱでも、中を掘ると地下5~10cmくらいのところに、白い根っこを細かく張っている。あるいは、白く太い根っこを水平に走らせていて、この先はどこにつながっているんだ?というネットワークを持っている。
できるだけ地下株、種、根っこを取り去っている
が、さらに威力を減じるための方法があるといいなぁ。何か液体を入れると弱るとか・・・。
20231221 Thu.
ベイトソン『精神と自然(中巻)』の初回。
上巻とつながる記載があり、腑に落ちる部分がある。そのように関連する記述を繋げられるのは、それを口にしてくれる読書仲間がいるからである。自分だけでは「似たようなことがどこかに
その後、あまり冴えない過ごし方。
だけど、今日から年末まで集中して生活環境改善をしたい。
サイケデリックラジオ
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『トッドの人類史』エマニュエル・トッド
20231222 Fri.
高円寺でビオダンサを初体験した。
30名以上いて、7割くらいが初回参加者。
まず最初に、円形になって床に座ります。
そのときの服装は自由で、楽に動きやすい恰好なら何でも良いようでした。今回30人以上いるなか初めて参加する私のような人が20人くらいいたので、参加したきっかけなど軽く自己紹介しました。
その円形のまま立ち上がり、隣の人と手をつなぎ、音楽に合わせて時計と反対回りに進みます。どんなステップで進んでもよくて、自然と隣の人と同じようになったり、輪のなかの誰かがやっているステップを真似したりします。この辺で、音楽に合っていれば皆と同じでなくてもいいんだな、自分の感覚で動くんだなということがわかります。
ビオダンサをするときに、音楽は重要な要素みたい。
その音楽に合わせて動くだけでなく、そのムードに多分に影響を受けるからです。激しい音楽だとメリハリがハッキリしたステップになり、ゆったりした音楽だと腕の動きも身体の動きも柔らかで曲線を描くようになる。
音楽はボサノバ風、イタリア・スペインなどの歌詞付きとか、インストゥルメンタル。リズムが明確な音楽、その流れでQueenのI was born to love you.、ピアノ曲『月の光』などがかかった。
・円形になって、時計の反対周りで踊る
・2人組、3人組、6人組・・・となって手をつないだまま形を変えていく
・例えば仲良しに空港で会ったとしたら、、、その感激を身体全体で表す
・来年を思い描き好きなように進む、走ったり歩いたり跳んだり。それをエンジェルが追いかける。(役割を変えて同じペアで)
エンジェルが追いかけるワークがとても印象的。好きなように走っていてもエンジェルが守ってくれているという安心感があるということ。エンジェルになって後を追っているとその人の心が見えるようで愛おしく思うこと。
今日は冬至。
ワークの間は、基本的に言葉を交わさない。表情と身体の動きだけ。それだけを使い、色々な人と同じ空間で音楽に合わせて身体を動かす。そこで醸し出される安心感。
終わって全体写真を見ると、この人とペアになったな、手がとても暖かかったのはこの人だな、この人とハグしたな、力強いハグだったなと思い出す。
音楽に合わせて自由に動く。
肩から動かす、鳥みたい、
やはりコミュニケーションは踊りと音楽から始まった?
冬至は陰から陽に転ずるタイミング
新しく出会う。人と、自分と、ビオダンサと。
・・・と気持ちは盛り上がった。
終わるとサッとみんな帰った。その切替もサッパリしていいのかもしれない。
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ビオダンサのために行った高円寺駅、隣の駅は阿佐ヶ谷駅。阿佐ヶ谷は『きのう何食べた?』の舞台となっている阿佐ヶ谷商店街や八百屋がある。阿佐ヶ谷商店街の八百屋を3軒見回り、ごっそり野菜を買うことが、年2,3回のレクリエーションになっている。
今の時期、ゆり根があるというので、それを目当てに商店街へ入った。
商店街のお店の入れ替えが多い印象。逐一憶えていないけれど、以前よりマッサージなどのケア店舗、飲食店が増えているような気がする。八百屋は安定の3軒。
佐賀みかん、ゆり根、100円の大きなブロッコリー、きのこ5種などが特に嬉しい買い物。なぜかハムの厚切りが沢山真空パックにされたお買い得パックも買ってしまった。ちょっと素性が怪しいハムなのだが、これを焼いて食べたい!
かぼちゃもあるし、重い荷物になった。
さーて、何を作ろうか。楽しみ!
あ、京人参を見なかったなぁ・・・と買いそびれを惜しむ。
20231223 Sat.
一昨日、行けなかった調剤薬局で薬を出してもらい、ヘアドネーションするための書類をコンビニで印刷し、ついでにポイント5倍デーで買い物し、神社へお焚き上げしてもらう飾りを預けてきた。
ついでに思い立って、大祓の祈祷をお願いしてきた。昨年・一昨年はおお祓いと年始のご祈祷に参列したが、今度は実家へ行くので参加できなさそう。
日差しが暖かく、街を歩く人達はクリスマス気分なのかな、お洒落なカップルやグループが多かった。
■
思いのほか外出に時間がかかった。戻ってから午後の日差しのなか、窓ふきと片付けもの。
不要な箱類を潰し、外に出ていた洋服を分類・収納し、メルカリに出したいものをまとめ、少しだけ本と書類の整理に手を付けた。
本と書類は、また明日やろう。
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今日は東京タワー完工の日だそうだ。
知らなかったなぁ。平成の間は天皇誕生日だった。この10年近くは元夫の誕生日だった。
東京タワーは、最近多くののっぽビルに囲まれてしまったし、これまで見えていたのに新しい建物の影響で見えなくなった場所が多い。テレビ電波の発信という役割が無くなったため、テレビ塔としての機能に支障はないわけだが、あの赤と白、ライトアップされるとオレンジに見える塔は、疲れた心に灯をくれたので、見えないと寂しい。
私が勤務していた会社から帰るとき、会社の扉を出て右側を向くと東京タワーが見えた。それはどんなに残業して疲れていてもほっとする灯だった。とても辛いときにも何とか乗り越えようと思うだけのエネルギーをもたらしてくれた。
あるとき会社の右側の大きな敷地に高層ビルが建ち、帰宅時に東京タワーが見えなくなった。それはとても残念なことだった。幸いにも社内で別な方向からタワーを眺めることは出来たので、帰宅時ではなく、仕事中のトイレやコーヒータイムにちょっと眺めることができた。
ああ、懐かしい。
六本木通りから東京タワーが見える場所があったのだが、そこは前述のような手前の建物が建ち(高層ビルではない)見えなくなってしまった。
虎ノ門ヒルズ、麻布台ヒルズの高層ビルに囲まれた東京タワーは、さながら『ちいさいおうち』のような状況だ。
高いビルはもう要らない、と思う。
いつまで作り続けるのだろう?
これを地方都市でもやるのだろうか?そんな必要はないと思う。
空の方が大事だ!
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やっぱり!
プリゴジンは、プーチンの部下が仕組んだ暗殺で死んだのだ。
プーチンが命令したのかどうかは明確ではないらしいが、部下の作戦を中止せよとは言わなかった。
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プラハ大学で銃乱射した男性により14人が死亡。
なんとプラハでもこんなことが起きるとは。
20231224 Sun.
渋谷での小さなデモ。
最初は何だ?といぶかる気持ちが生じたけれど、見ていたら微笑ましくさえ思えてきた。警察官が調整している信号機、青信号のまま足止めされている若者が「渋谷で勇気あるよなぁ」と生温かい目で見つめている。
たまたま居合わせのだけれど、
"クリスマス粉砕デモ"
赤い登りには"革命的非モテ同盟"
クリスマス粉砕〜
心を踏みにじる
クリスマス商業主義粉砕〜
行くぞーと雄叫びこそあれトーンは穏やか。
一人ひとりにとって、よき時を過ごせますように。
20231225 Mon.
小さい頃は、クリスマスの朝にクリスマスプレゼントを開けることが恒例だった。大人になり、平日であれば会社に出勤する日が多くなると年末や正月にクリスマスプレゼントを交換した。
結婚したら、相手はアンチクリスマス派で何も関係ない普通の冬の朝。会社に行き普段通りに仕事した。
今日は、そのどれとも同じでなく、朝に読書会、そこからLPCというライフパーパスの勉強、15時から東京地方裁判所で傍聴、その足で麻布台ヒルズの見学、という一日だった。
東京地方裁判所は初めて行き、面白い体験だったけれど詳細はここに書けず。不当解雇や名誉棄損に該当する案件だけれど、根っこは妬みや長年相手を軽視してきたツケのようなものだがありそう。
麻布台ヒルズはキラキラしてきれいだったけれど、私には関係ないという感じ・・・。寂しいというか、空寒い感覚というか。何となく実態のあるビジネスやサービスがある感覚がしないのだ。まぁ知らんけど。
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中国 国家安全省が経済への批判的論評を処罰する可能性示唆
これは、中国の不動産問題、経済指標のからくり指摘、経済停滞状況について言及すると、すなわち批判と捉えて処罰するという話。
政府に都合の悪いところを言えば抹殺に近い対応をするというのだ。言論の自由どころでない怖さ。
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共生農法
https://www.youtube.com/watch?v=mFT-kmujruQ
共生農法の良いところは
・収穫するときに、植え付けも行う。他にあまり手入れは要らない。
・労力・費用がかからない
元夫の畑の一部、あるいは自宅庭の一部でそれをやろうと思っていたけれど、彼は120%反対だった。現行農法を否定するつもりは全くないが、やってみたら何かわかることもあるだろうに。
■
クリスマスケーキ、哀しい。高島屋。
3000個のうち600個近くがつぶれていた。可憐なデザインがそのまま届けられるのが当たり前なのもすごいことだ。一体どうやって保管・運送しているのだろう。
自分でケーキ屋からホールでもカットでもケーキを持ってくるときには緊張する。もし買ってからバスや電車に乗ったりするなら、その車中で人にぶつかって揺らしてしまわないか・・など神経を使う。
関わった人みんな不幸だな。
20231226 Tue.
ナワリヌイ氏、モスクワの刑務所から一時連絡が取れなくなり、その後北極圏の刑務所へ移送されたことが判明。極寒・北極圏・ロシアで最も、手紙を送ることからしてほぼ不可能。隔離された場所。との支援者コメント。この時期、日が昇らない、きっつい。
プーチンが時期大統領選へ向けて動き出すタイミングでの一層の隔離。
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高島屋のクリスマスケーキ会見。辛いなぁ。だれかをかばっているのか、高島屋の立場で明確な原因を捉えられなかった(どこかで隠されている)ということなのかな。
ケーキは遠方で作って運搬する食品として、最難関だな。つぶれず遅れたケーキに関わった人達、すごい!
これはイチゴとか洋ナシとか、果物の運搬にも言えること。
これらを海外に輸出してる仕組みもすごいことをやってのけているのだろうな。
収穫や梱包状況から、通関、運搬、店舗ディスプレイや顧客配達までの流れに密着して、そこで使われている技術や工夫を特集したら、とても面白そう!
20231227 Wed.
庭仕事
埋もれている芝生の枯葉を昨日と今日とで掻きだして、全体を掃く。
穴が空いているところに土を撒く。
ハナニラを数か所取る。
途中でガの幼虫がいた。体長3-4cm。
成虫は4-10月頃、とあるので、間違って出てきちゃったのだろうか。ゆっくり歩きながら枯葉の下に隠れていった。
窓ふき リビングの4枚。いつも一番長く時間を使う場所なので、すっきりしてよかった。
■
鎌倉鶴岡八幡宮へ夕暮れにお詣り。日没ギリギリな時間で、本殿からは夕焼け空がきれい。境内はすっかり初詣の準備が整っていた。
離婚したから、住んでいる場所は違っても実際この場に戻ってきたようなものだもんなぁ。
横浜でブラブラ、本屋とカフェ。
なんとなく家に帰りたくない感じなのだが、何をしたいということでもない。無駄とわかっていながら片付け実用本を買ってしまった。
返ってきてシャワー浴びるときに体重を測ったら、最近の2キロアップから一挙に3キロアップになっていた。。。なんと、これはひどすぎる。
秋に筋肉が付いたかもしれないが、使わないと脂肪化するだけ。
もっとつかわなきゃ。アイソメトリックトレーニング?
食事節制。時間制限と内容制限しよう。
ここでほんとに止めないとまずい。自己肯定感が下がる。病気にもなるかもしれない。
20231228 Thu.
朝読書会の後、ビデオをつけながら掃除や料理をし始めた。『永遠の0』のはずが、え、これってこんな映画だったの?と思いつつ、ずっと流して終わった時に知るタイトルは『百花』。ながらで観ていたとはいえ、ひどすぎる私。どうやら最初に余計なクリックをして次にレコメンドされているタイトルへ移ってしまったらしい。
『永遠の0』。そうか、三浦春馬さんが出ていたんだ。
いろいろといいシークエンス、エピソードを重ねてあって感動する。ただ最後のほうでのセリフ回しというか、論理の重ね方というか、解釈の仕方というか、、、難ありだなぁ。
サザン、桑田さん上手いなぁ。最後だけしっかり取っている。
20231229 Fri.
読書会やってから、昨晩書いていたメモをカフェで再修正した。
このメモは自分のLPCチャートについて感じることをまとめて
午後、確認する場を設けてもらっているので、そこでぶつける。
LPC:ライフパーパスコーチング
約1時間
面白かった。
いままでにないものを得た。
過去の、ときどき思い出すエピソードが、いま限界を感じる状況とフラクタル、相似形であるとの解釈が出てきた。おお、そうかぁ。
時々思い出すなかで、ちょっとづつ体験を消化することが出来てきたけれど、そのもっと先を見た気がする。
小学校2年生のとき。2週続けて工作をつくるとき、先週つくった自分のつくりかけの作品を、教室後ろの棚から各自が取ってきて取り掛かるとき、「あれ、私の工作がない・・・と思ったら、あの子が自分のところへ持って行っちゃった」「先生・・・」「・・・・・・・」。結局仕方なくて、2週目だから材料も持ってきていなくて、よく覚えていないけれど、ありあわせで何かを作った。それは1週目に作ろうとしていたアイディアとは違うもので、とりあえず作っただけで残念だった。その女の子はたぶん母子家庭で、昭和47年だとたぶんお妾さんの子供。きっと何かあって、かわいそうなんだと思ったから強く言えなかった。
先生は若い男の先生で、どちらにも何も言えなかった。状況から読み取ってはいて、そのままの流れで進めた。
今思うと、わたしは作品を取り返してもらうより、何かフォローの言葉があってほしかったんだと思う。自分の作品を諦めたスキマを埋める何かを。
このエピソードは、たぶん自分を犠牲にして、その子やその場を取り繕うというか、ネガティブな状況にしないことに力を使ったんだ。世の中、ネガティブをゼロに持って行くことは、あまり目に見えない、だから人の関心が向かない、だから人知れずそれをすることになる。そして自分のなかに生じたスキマは、誰も満たしてくれることがなくそのまま放置される。
大人になった今はそれを「陰徳を積む」といってみたり、「神様は見ている」と思ってスキマを埋めることが出来るようになった。でもね、それだけではやはり満たされない時がある。だれかに一言声をかけてもらいたいときがある。
一言声をかけてもらうと、それはネガティブをゼロに戻すことだとしたら、大して有難く思わないかもしれない、気遣いかもしれないけれど、本当は大事なことだ。健康と同じように。
私は獅子座に太陽があるのだけれど、獅子座らしさはあまり感じたことがない。そのことも今回のテーマだったのだが、自分自身=この私という自己確立とかじゃなくて、自分に与えられた身体と意識をつかって何をやっていこうか、人類のために何をやろうか、ということ、と捉えたら、制約を外して物事を見ることができそうな気がしてきた。
20231230 Sat.
紅白なます、蓮根きんぴらを作成。
洗濯物は明日を最後にしよう。
先日本屋で買った実用本。『おひとりさまの断捨離』『人生が変わる 紙片づけ!』
ちょっと恥ずかしかった。役立つかわからないと思いつつ、この本から吸収できることを得て、これまでとちょっとでも違う方法、違う意識で取り組んだら、自分にとって学習時代・仕事時代からある沢山の紙・本を断捨離できるのではないかと、外からの刺激を期待して購入。
実際役立つところってとても少なくて、「A4一枚に書いてくれ」的なツッコミも浮かびつつ、これだけ波状攻撃して私を刺激してくれてるなぁと感謝。
この勢いで行いたいが、うーん、もう30日。ちょっとだけにしよう。(これがいけない)
でもね、髪も切ったし、あと紙に決着をつけようぜ!
一旦ここで整理して、その後必要なものはまた入ってくるはず。
学びが終わるわけでない。
現実からの痛い学びが終わるわけでもない。
・・・ここに書いている限りは現実の紙に変化はないのだが・・・うん、1月1週目にはやろう!
20231231 Sun.
七味五悦三会、という言葉を知った。誰に教えてもらったんだっけ?
自分にとっての「七味五悦三会」はなんだろうと思い巡らすと、なかなか楽しい。そして意外。
意外というのは、記憶力の問題かもしれないが、忘れていたコトがあったり、振り返ると大事な瞬間・大事な出来事だったんだなぁと思うから。反対にそのときは大事《おおごと》だと思っていたり、世間的に大事《おおごと》であっても、自分にとっては”そうでもない””大事《だいじ》ない”ということもある。
都合よく書き換えるということでもなく、自分の足を引っ張るのでなく、思い返す中で、自分を大切に扱ってみたい。そうやって自分を大事に扱ったときに、その出来事は何を教えてくれたのか、私は何をそこからくみ取ったのか。きっと、それが来年の力になるはず。
以下、100%自分のためのメモ
2023年前半までは、読み手をいくぶんか意識したあとがきを書いていましたが、後半は読み手をあまり意識せず、もっぱら自分のために書いていたような気がしています。
もともと自分のためのジャーナリングでした。その役割は、出来事を振り返り、そのとき何を思ったのかを書いておくため。なぜなら自分の想いは移ろいやすいし、記憶には自信がないから。
書くことで、ぼんやりした日常にアクセントが付き、微々たるものでも痕跡をはっきりさせられたらいいなという目的です。
どこかでこんな思いをしながら生きている奴がいると知ることが、もし読んでくださった方にとって何かの力(反発でも、安心でも、勇気でも・・・)になれば、それは望外のことだなぁと思っています。
皆さんがいまいる場所で、自分を大事に思ったり、身近な存在へ大切に接して、心の灯りを絶やさないようにいられることを願っています。
それぞれ異なる心境・状況にいます。だから飛躍する時は遠慮なく飛躍し、辛い時は辛さを除けて自分を大事にする時間を持ち、いましかないこの瞬間を十分に生きていられますように。
あなたも私も、ともにこの時代を生きるものとして、生を全うしましょう。
2023年、お付き合いありがとうございました。
よき2024年となりますように。
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