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2024年3月後半

緑が生き生きとして、蕾がほころび、空気が緩む。
水もぬるんでいるのだろうか。
サムネイル写真は明治神宮の内苑の木々が、隣り合うアメーバのように、きっちりお互いのギリギリのラインまで枝葉を伸ばしている様子。

太陽の恵みを最大限受ける形。
誰かだけが枝を広げるのではなく、全体最適に、みんなが広げ合う。
遠慮もしないが独占もしない。

私もそんなふうに、自分が縮こまるのでなく、誰かを犠牲にするのでもなく
伸び伸び暮らして生きていきたい。


20240316 Sat.

2:22に目覚めてしまった。
7時くらいまで考え事と作業、そして『不適切にもほどがある』を視聴。
10時くらいに洗濯をしてから外出先で作業。


MBTIの資料作成
結構楽しい。パワポ作業、好きなんだ。

・組み立てを考えること
・新しい表を作成して色付けをすること
・テキストから抜き書きすること

テキストのちょっとした表現が気になり、その意図を考えたり、
こんなことがここに書いてあったのかと、新たに発見した気持ちになる。

こんなことが楽しい。

そして20年近く取り組んでいると、最初に圧倒された感覚から、私なりにだいぶ整理して考えられるような気になる。他の理論と比較して広がりを持ってMBTIを捉えることができる。そうやって「MBTIはひとつの理論であり、MBTIを超えて人格が発達していく」と実感を伴い理解することができる。

そんなことが嬉しい。

20240317 Sun.

朝起きて、覚えている夢を書いて、着替えながらラジオ『音楽の泉』をつけ、白湯とコーヒーを飲んで、番組が終わるころに家を出た。なんてスムーズな流れ。

市川のスタバへ。

ここでMBTIや課題について取り組んでから、歩いて戻る。今日は気温が20度を越えるらしい。20km以上歩けるだろうか?


市川から渋谷駅まで約25km。川を沢山越えて都内に入り、皇居周辺を辿って赤坂から渋谷へというルート
市川あたりの風が強い、強い。さらに、江戸川・新中川・中川・荒川・旧中川・大横川(暗渠部分)・墨田川を渡るごとに結構な風を感じた。

江戸川の河川敷では野球の試合が、一度に6面も行われていた。

江戸川
新中川

荒川近くは、浅瀬があり鳥が歩き回ってエサをついばんでいた。

荒川
旧中川
墨田川

歩くスピードは、12分~15分が中心となり、11分台のときもあれば16分となることもある。写真を撮ったり、コンビ二に寄ったりしたとはいえ、16分はちょっと遅いかな。だけど11分台で歩くと疲れてしまう。

5月に知り合い数人で行う100km練習会が4月初旬にあり、そこで皆とペースを合わせて歩くためには少々スピードを上げておかないとならなさそう。

昨年秋の100kmウォークの体感、歩く感覚が蘇る。

・ペースを体感で掴む
・膝や踵や筋に負担をかけないような歩き方
・"かかと着地"は足を固くし、"つま先着地"は足をやわらかくすることをイメージする
・重心の位置は、後ろのかかと重心ではなく、前の母指球重心でもなく、くるぶし重心。踝=くるぶしということを改めて意識した。
くるぶし重心とは、かかとでもつま先でもなく、なるべく足全体が着地するように、あるいは、足首を屈曲させ過ぎない脚運びをすることが良さそう。
・股関節や腰回り、肩甲骨や肩の柔軟性をよくすることで、身体全体を使う
・ハムストリングのクッションが利くように、

そんなことかな。
そしてケアも必須

・マメ・タコが出来ないように あるいは出来た時のケア道具をもっていく
・靴下は20-30kmしたところで掃き替える

途中、スタバスタンプ活動もしたので、市川と併せ2店舗プラス!(アホ)

皇居周辺 柳がなんて美しい

20240318 Mon.

昨日25km歩いた影響で、脚全体に膨満感。
筋肉痛ではないが、液体が溜まっている感覚。

ストレッチをしよう。
そして食べ過ぎず、タンパク質は取って、体脂肪率低下を目指そう。


先週花屋さんで声をかけた近所のお嬢さんから、夕方、メールが来た。律儀に連絡をくれたのだ。有難い。

いや、あのように依頼されて親同士が今も近所にいるなら、無視するわけに行かなかったよね。ある意味強制的でもあった。すまない。

メールをいただいたお礼、そしてどういう読書会をやっているのかを簡単に記載して、今度案内するので都合が良ければご一緒しましょうと返信した。

お母さん譲りのおしゃれな感じの人で、お母さんより大人しそうな性格。もし読書会の場で出会う人達と、対話することがこの方にとってプラスになればいいなあと思っている。私としては鎌倉の参加者が増えると嬉しい。この人にまた会えてお話できることも嬉しい。


今回は22時くらいにはかなり仕上がっていて、23時には課題を提出した。
これが合格にならないと、かなり残念だな。私としては一定レベル以上にある。

20240319 Tue.

朝読書会。ラスキーの論文書籍
夕べ設定したWiFi中継機がうまく作動していて、暖かい寝室にいても問題なくZoomができる。良かった。

今日は認知スタイルの続きではなく、話しがれにそれて、雑談で1時間が埋まった。雑談だが面白い。

AIの発達は、人間の発達と同じような方向へ進むか、それとも別な方向か
人に意志があることを前提としてきたが、中動態の考え方では、個人に意志があるわけではない部分を是としている。これが本当だとしたら、個人に意志がある/個人に意志がない、いずれかの立場の上により、作られるAIが異なるのではないか

ラスキー書籍から得た個人的解釈メモ


昨日はあまり感じなかったが、少し膝が痛いかもしれない。
そういえば昨年10月へ向けた練習をしていたとき、長距離歩いた後に膝を冷やしていた。もしかするとそれが必要なのではないか。

歩く脚力 = パワーを出す = 支える力+発揮する力

支える力 = ストレッチ、反復練習

力を発揮することばかり考えると支える力を越えてしまう。二つのバランスが取れている必要がある。


最近の関心ワード
石牟礼道子、小説、物語、ティム インゴルド
サンクチュアリ
河合隼雄、納得するストーリー、ありのままのストーリー、咀嚼=自分の器に収まるようにストーリーを作る、それがあってその先へ進む可能性が開く


3/15に送ったはずのメールが残っていない。
不思議だ。

4/19に同じ書籍に関する対談が別な主催団体でも予定されていることに気づいたので、後から告知を出した団体にその旨を伝えた。どちらもリアルタイムに参加したいがそれが叶わず残念です、と。参加者の立場から、他のイベントと被っていて調整していないでしょ・・・とは言えないもの。

その連絡を送ったから4/19予定だった対談が翌週に延びたのだと都合よく解釈したのだけれど、確認ができない。
まぁ気づいたのは私だけではなかろうし、一番最初に連絡したわけでもなかろう。


明日、MBTIを活用したワークショップを行う。
ダイナミクスについて扱い、そのなかでも内・外の違いを扱いたい。
まだエクササイズが決まっていない。いくつか候補があるうち、どれにするか検討中。


眼科で検眼するといわれて、メガネの度数を処方してもらったが、これでいいのだろうか?

10:45予約の検眼および医者診察が12時過ぎに終わり、その際、花粉症の処方箋が出たので、薬局で目薬をもらった。もうひとつ眼科での成果は、加齢性黄斑症のリスクを持っているのでその予防のためにするといいことは「ルテイン」を摂取することだと教えてもらったこと。時々飲んでいるが、これは続けたほうが良いのかもしれない。全く違いを感じていないけれど。

検眼というのは、概ね50cmの距離に見える活字が見えるようにという設定で、ぼやっと見えているがそれなりに回答した結果で度数や乱視具合が処方された。私は乱視のためかなりボヤッとして見えるものを、きっとこうだろうと推測して回答している。それで出た結果でメガネを作っていいのだろうか?

前回の検眼では、遠くを見る視力が左1.2、右0.6だった。
今日は手元50cmに合わせて、左0.6、右1.0くらい。
あれ? 見える目が逆になるのか。自分の感覚がゆらぐ感じ。いままでほぼ同じでちょっとだけ左が見えないと思っていた。左は乱視が強いみたい。


今日はなぜか蕎麦を食べたくなり、500mほど歩いて目当ての蕎麦屋へ。なめこおろしそば。食後、その店から、もう50m進んだところにオシャレメガネ店があることを思い出した。この勢いで作るか?! お店の前まで行ってみたらお客さんが多くて店員さんが見向きもしないので後戻り。

元々図書館へ行くつもりだったので、その途上にあるCITY BAKERYに入った。いつもは入らないお店だし、先ほど蕎麦を食べたのに、なぜか行きたくなってコーンブレッドとカプチーノを味わいつつ暫くPC作業。で、そこから図書館へ行く途上には、ドイツの検眼医資格を売りにしているメガネ屋がある。ここは予約制で普段人気ひとけがないのだが、今日はひとりだけ検眼医がいてお客さんがいない状態だった。思い切って扉を押して、予約制と承知しておりますが・・・ちょっとお伺いして宜しいですか?と尋ねてみた。ここはドイツ眼鏡院

「メガネの処方をもらったけれど、それでメガネをつくるのと、このお店でお世話になるのと、私のような年代のものにとってどちらが眼の健康を保てるでしょう?」
その男性検眼医が言うことは、
「眼科屋さんの処方でメガネをつくっても目は悪くなります」「その処方は誰が出しましたか? 医者ではありませんね」
とのふたつ。

ふーん。きっと眼科で測ってもらったものは微妙にずれているのだろうな。ただここは非常に値段が高いというクチコミなんだよね。具体的に金額を知らないが10万円は下らないだろう。一体いくらするのだろう。ここでお世話になるかわからないが、ちらっとお話できて良かった。

そう思いながら図書館で予約取り置きしてもらった本をピックアップ。よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』『我々はどこから来て、今どこにいるのか?アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』。

『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』は何かの番組で紹介していた本。男女の行き違い、重視していることのズレなどがいかにコミュニケーションを不毛なものにしているか。離婚もして、もう関係ないかと思いつつも、コミュニケーションへ関心が向いてしまう。

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』はエマニュエル・トッドの著作。新書『トッドの人類史入門』が面白かったので、もう少し詳しく記述されている本が目についた。

満足。

もう少しPC作業するため、気分転換したくて、都バスにのって新宿方向へ。どこかで降りてスタバへいくつもり。もはやカフェは家のデスクの延長。

バスは混んでいて、重い荷物を置きたいが置き場もないし座れない。途中、目の前の席が空いたが、ご老体が乗ってきたのでその方に座っていただいた。するとひとつ後ろの席にいたおばさんが「重い荷物、ここ、ここ」と自分の膝を出して載せろと声をかけてくださった。有無を言わさない感じの方で「お言葉に甘えて・・・」と有難く置かせてもらった。でもすっかり力を抜くわけにもいかず、これはこれで辛い。新宿駅周辺エリアに入りすぐのバス停で降りることにしておばさまに「大変助かりました、お膝、重かったでしょう、大丈夫ですか? ありがとうございました」とお伝えして下車。首尾よく2軒目のスタバに入り今これ書いている。はぁ。


明日のワークショップの用意、イマイチ不十分だ。もう少し集中して取り組もう。

20240320 Wed.

14時~17時ワークショップの準備をギリギリまで行った。
概ねやりたいことはイメージしているのだけれど、イメージ先行・具体策後回しのパターンを毎度やっていて、今日も昼頃にアジェンダが出来上がった。この流れならこの資料が足りないじゃんと作成。間に合うのか?と、意地悪は私が声を上げるけれど、きっと間に合う。大丈夫。

14時から緊張もするが楽しみでもある。


終わってみて・・・
楽しかった。出来たことはあるが、予定していたほど多くは出来なかった。実際、もっと密に情報を欲しかったという声もあった。出し惜しみしているわけではないのだが、一方的に知識を流しても、MBTIは生きた知識にならないんだなぁ。

良くも悪くも私のタイプの影響があったと思う。
内向と外向については、ずいぶん理解が深まった、というか、日々どのように心が機能しているかを動画的にイメージできたのではないだろうか。


そして・・・
やっと課題文が合格した。
嬉しい。

これが合格しなかったら、もうどうしていいかわからない。


今回やっていて良くわかったのは、私は文章を書くことは上手でないということだ。そこに才能はない。

でも書こうという意欲があることは自覚した。
伝えたいことを読みやすく表現するにはどうしたらいいか、そのヒントを掴もうとしている。
もう少し頑張ってみたい。

この先はまた難しそうだけれど、貴重な1回、嬉しい!


今日は春分の日

春分点を太陽が通過してまもなく、東京は暗く曇ってきて気温が下がり雨が降った。
オンラインをしていたので太陽を満喫する時間は取れなかったが、今日は嬉しいことが二つあった。MBTIと課題文。自分の力でやったことに手ごたえを感じる、という出来事。ありがたい。うれしい。

さらに・・・親戚の手続き事。やったー、完了した。先方から手続きした書面が届いた。
嬉しい。嬉しい。嬉しい!


プーチン、大統領選挙、圧勝

東京オリンピックに実感がなかったのと同じように、プーチン大統領選にも全く実感がない。アメリカ大統領選のほうがもう少し生々しい感覚になる。

圧勝後、プーチンは治安機関の役割を賞賛。シロビキ。こわそうだ。
こわもて親分が、組のメンバーを従えてギロっと見ている状態。

シロヴィキとはプーチン大統領側近の軍・情報機関。


20240321 Thu.

朝読書会
ベイトソン『精神と自然(中)』

これほどまでに理解できていない世界を、制御しようとする気持ちは抑え込むのが賢明だろう。理解が届かないという事態に焦って、その不安から制御の衝動をつのらせることがあってはならない。われわれをその一部として含む世界への好奇心を動機として研究に励むーーそうした、現代では尊ばれていないにせよ、古来からの知の衝動に導かれて進むこと、そこで得られる報酬は力ではない。美である。

ベイトソン『精神と自然(中)』p.214より引用

そろそろ人間は「好奇心のむくまま何でもやってみよう!」という少年時代から、分別のある大人になってもいいんじゃないか。

たとえば
・すごいエネルギーが出るから可能性を追求してみよう!→原子力発電
<原子力発電以外にも発電方法はある。原子力発電は後始末に長期要する>

・人間を意のままに操作できる方法がある→利益のためにやってみよう
<人間の尊厳を守ろう。自分の子供や親に出来ないことは敵に行わない>


昨日いろいろいいことがあったためなのか、今日は頭が痛い。午後、ついに頭痛薬を飲んだ。

この1ヵ月、いや2ヵ月?
うっすら頭痛がする。朝起きた時、日中ふとした時。
ガンガンするのとは違うが、QOL(Quality of Life)が下がるというか、やる気が出ないというか、ぼうっとする。


戸籍のある港区で、3月から可能になった広域交付を使い全ての戸籍を取り寄せてみることにした

住まいの名義を変えていなかったが、早く変えないと支障があると3月初旬にわかったからだ。これまで旧姓でも問題なかったが、離婚しても結婚姓を名乗ることに決めたので安心して名義変更できる。

今月から不動産登記の名義を最新状態に明らかにすることが求められている。相続登記が2024年4月1日から義務化、それまで別件で親戚の戸籍を撮りまくっていたのだが・・・自分も必要だった。

区役所市民センターへ到着したのが16時頃で、即日交付するにはちょっと余裕のない時間だった。それでも最終的にコンピュータ化されている3か所の戸籍は全て取れた。手書き時代の原戸籍は即日は取れないため、取り寄せてもらう、というところまで進んだ。

しかし最初に窓口へ行ったときには、係の方が、いますぐには1枚港区のものしか出せません、という様相だった。戸籍の広域交付とききスタッフ間に緊張が走っている。

一旦待って、港区の戸籍を出してくれたとき、その前の戸籍、世田谷区の戸籍申請用紙に記入するように言われた。その際、さらにひとつ前、文京区の戸籍について筆頭者も住所もわかるけれど、いまもう一枚申請用紙に書かなくていいですか?と尋ねたら、書かなくて良いと。どうやって、その前の戸籍がわかるのだろう? 分かる仕組みなのかなと順番を待っていた。

3度目の窓口で、世田谷区の戸籍を出そうとしている方が、わかれば文京区の戸籍についても申請用紙を書いてくださいとのこと。喜んで書いた。

座って待っていると、電話して文京区へ依頼している声が聞こえる。はぁ、ここはシステム化ではなく電話で人を介して行うプロセスなのね。担当の方は大変だろうな。

4度目の窓口で、3枚(港区・世田谷区・文京区)の戸籍を手渡してくれた。原戸籍は別途申し込んでくださいとのこと。で、これについて4枚目の申請用紙を書いて、出来上がったら受け取ることになった。

つまり戸籍1枚ごとに1枚申請用紙が必要だった。

全国窓口一本化して、当人が窓口にいけば全てのコンピュータ化された戸籍は受け取れるということだが、窓口や担当部署はなかなか大変そうだ。

私は3か所の区役所に行かなくてもいいので有難い。

20240322 Fri.

ニュースから
・イーロン・マスク 意図するだけでカーソルが動く
手を使う必要がない。これまで困っている人にとって朗報だ。いまマウスを使える人もチップを埋め込めば思っただけで動かせる。
こうすると、自分の能力が拡張した感覚になるのだろうか?

・アメリカ、ワシントンD.C.ポトマック川沿いの桜満開。例年より早い。この桜は、第一次大戦前の1910年、東京市長、尾崎行雄が予算を取り送ったものが最初で、小村寿太郎外相から依頼を受けたそうだ。1935年から桜祭りを行っていて、1940年代の日本との戦争時も切り倒されることはなく、いま観光の呼び物となっている。

書いてない事柄を書いておいたほうがいい。世間で大事件が起きているがあまりにあほらしくて書けなかったり、重要なことだけど大きすぎてどう書いていいかわからない。でもどんな話題について書けなかったか・書かなかったかは明らかにしたほうがいいなと思った。


無料FP相談を受けてみた
何か商品を売るためではなく、私の疑問に答えてくれる人に相談したかった。

昨夜サイトで見つけた個人FPが集まった団体らしきところで、そのオフィスでもオンラインでも可能。オンラインで17時からお願いした。

スポーツマンだった男性、恰幅が良くて短髪。質問をゆっくりきいて、ポイントを答えてくれる。特に商品説明をしたり、手元資金総額を尋ねるような野蛮なことはしない。

最後に、一応そこの有料相談の内容を手短に紹介した。これは当然だろう。

結果、考えていたことはまぁまぁ外れていないようだった。
またしばらくして、プランチェックや情報入手のため相談してみよう。

20240323 Sat.

ロシア モスクワ コンサート会場で銃撃・出火事件が発生
大統領選を圧勝したプーチンは治安組織を賞賛した直後、泥を塗った形?
ISの流れを組む小規模(チェチェンのような)ゲリラが仕掛けたのか?
アメリカ領事館が、ロシアでの米欧系バンドなどの大規模集会へ行くことに警告を出していたともいう。アメリカ資本がゲリラに入っているのか?


7-8時 朝読書会。
『万物の黎明』5章
分厚い本を1章づつ読んで対話する。今日は5章について、7人で話をした。1時間だともうちょっと話したいくらい。

>気になったポイント
・資本主義の萌芽
・奴隷制がいつ始まったか、
奴隷制は制度ではなく、家の仕事の割り当ての延長で始まった
・北米大陸、太平洋沿いの沿岸には、異なる文化圏があった。カリフォルニア沿岸とその北の方で大きく違う
旅をすることがかなり常態化していて、文化交流があった
・近いところにいる民族と、別な選択をしようとする傾向があるかもしれない
・鮭を食べるためには、食べる前にやるべきことが沢山ありtodoに縛られる。栄養価はとても高い。どんぐり・栗など木の実を食べるためには、似たり焼いたり手間がかかるが必要な分だけやればよい。todoに縛られない。でも栄養価は少ない。
・鮭をとるか、木の実を取るか、ふたつの選択肢から、あえて木の実をとった民族がいる。その選択を決めるときに考えたことは何だったのだろう? インディアンのサークルをつくって末代まで考えて選んだのだろうか?
・奴隷の発生と、ケアする仕事はとても近い関係にある
・富の蓄積や貨幣に発達、所有の概念、祖先からの寶という価値観、家父長制、そのあたりが繋がっている。
富を蓄積させないあり方もある。本人が亡くなればご破算になるとか、富を持っている人はみんなに嫌われないように沢山振る舞うとか。
・戦いに負けて、ある民族の奴隷にされた民族が、とりあえず仕えたけれど、あるとき宴会でたらふく征服者がいい気分になったところで、奴隷になった人達は荷物をまとめて逃げた

>対話のなかで印象に残ったこと
・ローカルの感覚、旅して外の知見を持ってくる感覚。その対比は現代だと薄くなった地元感覚と、ネットで沢山情報を持っている感覚と比べるとどうなんだろう?というコメント。これ深いなぁ。

『万物の黎明』5章 個人的メモ

はは、荷物をまとめて逃げたのは私みたいな人だ。
元夫は圧倒的ローカルな人で情報収集もする人。私は情報収集してあれこれの文化を実際体験してみたい人。お互い許容して暮らすこともできたはずだが結果出来なかった。


雨が降る前にハナニラ花を取る! 草取りをする! といつもより早めに出かけて急いで実家へ

しかし予報より早く雨が降り始め、あっさり断念して最寄り駅で本を読んでいた。母は外出中、寒い実家でストーブを焚くよりこの方がいいだろう。小雨になったのでJR駅から歩いて、公園を抜けて実家まで45分歩いた
もう16時過ぎたが、日暮れまで草取りをしよう。

このところ集中的にハナニラを取っていたので、花をつけているハナニラは少しだった。だから花を折ったり、抜けそうなら株から抜いた。

とはいえハナニラに関わっていると芝生の草取りができないので、だいぶ増えている。今日は芝生の草取り中心、目立つ雑草を抜く。

すると目の端に、何か違和感。。。
なにっ?
ぶっといミミズ
思わず「キャー」
立ち上がって後ずさりすると、
45度違う方向にもう一匹!
「ギャーッ」

思わず声が出るとはこのことだ。近くを人が通っていたら何事か?と思っただろう。誰もいなくて良かった。あーびっくりした。

同じ場所から出てきて、45度違う方向へ進んだように思うのだけれど。違うかな?
一匹は芝生の別な場所へ潜っていき、一匹は私にスコップで拾われて畑スペースへ入っていきました。

太い、長い、ゆっくり動く


1時間ほど庭仕事をした17:30過ぎ、ちょうど部屋に上がったころ、母親が帰ってきた。今日は友人と会ったり、買い物をしたりしたそうだ。
ところが帰ってきて、また外出するという
一体どこへ?
 
母は気に入った傘を外出先で置き忘れたという。それを取りにいくのだと。
正直なところ、もう18時近いし、私はお腹が空いたし夕飯にしたかった。
でもこのところの母は、思い立ったらすぐにやらないと気が済まない傾向がある。これは探しに行くのを止められそうにない。84歳、仕方ない、付いていくか。お腹が空いたら、外食してもいいしね。
 
そんなことで、夕方、二人してバス、電車を乗り継いでF駅まで行った。
 
 
バスや電車のなかでは、今日会った友人のこと、読んでいる本のことを母が話していた。一人暮らしで、時々会う友人は、いいことも悪いことも母にとっては気になるらしい。そんな話を聞きながら、ああ、付いて来てよかった、このための時間なんだなと私は自分で納得していた。
 
F駅についたら、まず商業施設のお手洗いへ直行。そこに置いてきたという。しかし、期待に反してそこに傘はなかった。
「どんな傘なの?」
「外側は黒くて、内側は雲と青空が描かれているの」
「ああ、あのMoMAのおしゃれな傘ね」
「そう気に入っているから、探したいの」
 
トイレの清掃時間が書いてある。この2時間ほどは来ていないみたい。とすると、置き忘れたものを誰かが持っていったか、どこかに届けたのだろうか?
 
「ビルの管理に聞いてみようか」
「うーん、そうね、でももう少し心当たりがあるから行ってみるわ」
 
お茶屋さんでは抹茶を、お寿司屋さんでは巻き寿司を買ったという。それを手さげに入れて、お財布の出し入れをしたときに、傘を置き忘れたのかもしれないという。そうしてお茶屋さん、お寿司屋さんで傘の忘れ物がないか尋ねてみたが、どちらもなかった。お茶屋さんは親切にも、ビル管理室にトイレなどで傘の忘れ物がなかったかを電話確認してくれたが届けはないとのこと。
 
やはりかわいい傘だから取られてしまったのだろうか。
 
私は半分くらい、あの傘はネットでも買えるんじゃないかな?と思いながらそれは口にしなかった。調べてみないとわからないし。
 
母は、駅の反対側にある別な商業施設でも買い物をしたという。そこまで500mくらい、ゆっくり歩く母にはそれなりの距離だ。でも疲れたそぶりも見せず淡々と歩いていく。途中、懐かしいお店のことや、行き交う人のことなど世間話をしながら目当てのお店へ到着した。でも、ない。
 
そうだろうなぁ。デパ地下のようなショーケースを挟んだ対面のお店で、傘を忘れることはあまりなさそうだ。ショーケースの上に置いたり掛けたりしないだろう。
 
母に尋ねてみた。
「傘は折りたたみ? 長い傘?」
「折りたたみ、折りたたんで、手提げに入れると濡れるので手にもって歩いていた」
そうかぁ、置き忘れるとしたら、やはり最初のトイレかな。
 
心当たりがある全ての場所を探したので、仕方ない、帰ろうかということになった。外食する案も当初はあったが、巻き寿司を買っていたなら家に帰って食べた方がいい。
 
「残念だったね、でも同じ傘、きっと売っているよ、見たことあるもの」
「そうなの? MoMAの傘、他でも買えるのかしら」
「うん、探してみる。まぁおかげで今日は沢山歩いたんじゃないかな」
「どうかしら、あ、1万2000歩も歩いた!」
「じゃあ今日はごはん食べたら、早く寝ようね、疲れたでしょう」
 
そんな会話をしながら味噌汁をつくって巻き寿司を食べて、早く寝た。
出掛けたのが17:30、帰ってきたのが19:30。寒くて疲れたけれど、母とお喋りをして退屈はしないし、私は疲れてないし、母は気が済んだだろう。
 
なんだか無駄な時間のようでもあるけれど、思い立ったらすぐにやらないと気が済まない、という母は満足したみたいだから、これはこれで良し。こういうこともあるなぁと思って私はそれなりに満足して寝ついた。
 
 

20240324 Sun.

母が朝一番、「あなたには悪いけど、昨日の買い物したものを袋から出していたら、傘が手提げ袋の底から出てきたのよ」と。手提げ袋に立てて入れていたので、傘が無いと思ったけれど、いつの間にか横になって手提げ袋の底で大人しくしていたらしいのだ。

ああ。

そうか、一緒になって探しちゃだめなんだ。
「待って、あるかもしれないから、荷物の中、全部見てみよう」
そのように視点をずらす役割が私にはあったのだ、というレッスン。

一緒になって探していちゃ、せっかくもう一人いる価値がない。

でも母は、探し回って疲れたけれど12000歩と沢山歩いたから良しとしようと思ってる。それにお気に入りの傘があったのでホッとしている。

とりあえず今回はこれでよし。次回は私、ちょっと気を付けよう。


雨がなかなか止まない。この週末は予報より早くから降って、長く降っている。

昼過ぎ、雨が上がり鳥が動き出したころ、庭に出てハナニラに取り組んだ

まやもや家の端の方に、居心地の良い場所を作っている。
つい先日、葉蘭の株の下に居場所をつくっていたハナニラコロニーを取り除いて母と二人して達成感を味わったたのだが、そこにはまだまだ種や小さな株があって、今回ちょろちょろと葉を伸ばしていた。まぁ想定内。

ただ早いうちに手を打たないと、また元の木阿弥になる。

同じ場所を拡大して撮影 一番右は抜いたハナニラの株が見えている

今回やってもまた生えてくるだろうけれど、ある程度コントロールできている感は持てることが大事だ。ほじって小さな株や根っこを掻きだした穴には、わずかな土と、枯葉を沢山押し込んだ。栄養が無ければ育たないのではないか?

僅かな曇り空のなか、犬の散歩をしている人おふたり、買い物帰りのおひとりが通りがかった。犬を連れていると会話になりやすい。「かわいいですね」とか「まあ、素敵なカットですね」とか。愛想のよい犬だと手に挨拶していったりすることが私には嬉しい。

買い物帰りの人は「いつもきれいにしていらして、ここを通るのが楽しみなんですよ」と伝えてくれて嬉しい。そういうときは「ありがとうございます、雨が上がってよかったですね」とか返してみる。

こんな何でもない会話は、人の心をちょっとスッキリさせるように思う。
ちょっとしたことだけど、効果大きい。
今風にいえばレバレッジが効いている。


昨日のことは、歩き回ったことよりも、外が寒くて身体が冷えたことで疲れを残した。
雨が降っている間は、あまり好きでない捨てる本と残す本のより分け、捨てる本を束ねる仕事。たいした成果はないのに、やたら疲れる。

今日は早めに帰ろうと思って、バスの時間待ちをしていた。母は母で、本を読みたいらしいので、早く帰るほうが正解だった。

バス待ち10分くらい。その間、母は本を読むわけにもいかず、思いつくままお喋りしていた。親戚の片付け事のまとめと親戚への連絡について、そして4月の法事の前後の予定。最後に、母が自分の貯金について、どう扱うかを持ち出してきた。「やっぱり気になっているんだな」と思う。持っているだけでなく使わないと勿体ないよ、と最近伝えていたから。

使ったらどうなるか、使わないとどうなるか、ノートの切れ端に書いて説明していると、その話が少し込み入ってしまい、気づくとバスの時間! あと5分。急がないと!!!

ノートをしまって荷物を持って急いでバス停へ向かう。
あ、道を半分くらい進んだところでバスが見えた・・・。うーん、間に合わないかもしれない。でもこの道を走っていけば間に合うかもしれない。。。と思い走っているときに気づいた。「あっ、スマホ持っていないかも」。急いでバス停に向かいつつ、ポケットや鞄を探るもない。バスの音が聞こえる。急いで行けば乗れるだろうが、ここは乗っちゃいけない。スマホを取りに戻らなきゃ。

あーあ、昨日の母とちょっと似たような状況。いや、私は置いてきちゃったんだから、こっちの方が重症かもしれない。お喋りしている段階には、目の前のテーブルに置いたスマホを、必ず鞄に入れて家を出ようと思っていたのだ。母の貯金の話が出てきたところで、ノートを取り出したところから、ちょっと道がズレてしまって、スマホは忘れ去られたのだ

むー。
気付いたのはよいが、
なんだか悔しい。
ちっともスマートではない。

バスは行ったばかりなので、昨日通った道を逆にJR駅まで45分ほど散歩した。


このところ毎週宿題が出ている課題文についての講義
リアル会場へ聞きに行った。いまから1時間半。

その会場には3人だけ集まっていて、多くはオンライン視聴。

いまひとつ、聞きたいことをつかみ取れない感じがして、でもそれはここのお店の意図もあっての説明だろうからと待ち・・・だんだんイライラした。
一区切りしたとき、そこはガマンした。
ふた区切り目、講義時間残り25分となっていたので、ガマンできずに質問した。「ここまでの話を伺っていると、肝心なことは何かはわかるのですが、どう達成したらいいのかイメージがつきません。何かサポート頂ける情報がありますか」 他の人も聞きたかったのかな。頷いてくださった。

最後に事例として出てきたものが、このお店の店主による文章。
確かにこれを出されたら、いままでの講義のはるか上を行く内容で、文句のつけようもない素晴らしい上等な完成形だった。

でもさ、あまり私のレベルで役に立つ気がしないんだけど。私としてはもうちょっとかみ砕きたい。

そうか、ここは、本当に受講者の実力を上げることより、腕を上げたいと思わせるモチベーションを一番大事にしていて、それで商売するという手法なのだな。

毎回の課題文についても、添削という指導はなく、コメントを頂けるだけ。

それも普段は得られない貴重なご指導なのだけれど、私の実力を上げるための指導ではないんだな。よくわかった気がする。

この機会には教えてもらったものを使ってみて、使うこと自体が結構難しかったり馴れないので、使う実践を目標に練習し、そのなかで自分に適したものを残す、それが私にとって最も価値を大きくすることなのだろう。

20240325 Mon.

朝体重計に乗ると、夜でもこの数字はリミットな悪しき数値だった
夜よりも朝のほうが1キロ近く、少なくとも500gは下がることが通例だ。
本当に、本当に、本当に体重が増えてヤバイ。

一昨日、昨日もそう思って、今日を最後に節制と思いつつ、
一昨日はスタバのシュガードーナツを食べてしまった。罪滅ぼしに45分ほど、ふだんはバスを使うところを歩いた。しかし夜に、母が用意した巻き寿司などお米を食べてしまった。お米も私の体重を増加させる。

そして昨日朝は、これも母が購入して、一緒に食べようと出してきたDean and Delucaのマフィンなど4種類半分づつ計2個を朝から14時くらいまでの間に食べてしまった。

だから罪滅ぼしに前日のコースを駅まで逆行して歩いたし、野菜スープや焼き魚、味噌汁など、かなり抑えた食事にしたのだけれど。

電話で母に愚痴ると、18時とか本当に早い時間に寝てみたらどうか、という提案だった。自分がそうだったらしい。母も私も太る一因は睡眠不足による代謝低下。最近、夜更かしが過ぎるキライもある。夏にどうだったか憶えていないが、100kmウォークのため沢山歩き、沢山寝ていた。その後、宵っ張りになっていたかも。最近は毎週の課題文を作るのに、24時ギリギリまで引っ張ることも多い。


朝読書会『他者の靴を履く』 第6章 それは深いのか、浅いのか
全体が11章まであり、だいぶ本に馴れてきたこともあるし、著者の言いたいコトも語られているような気がする。最初の方は言葉の定義をしていたから。

ブレイディみかこさんが、沢山の記事、ネットも文書も読み、日常生活や政治や社会を通してご自身が考えていることが沢山あるのだろうと思う。それがボロボロ散りばめられていて、その密度が好きな人とそうでない人がいるかもしれない。

好きな人は、多くの概念を駆使して沢山のことに触れて考えることに価値や快感を感じて、それを繰り出してくれるブレイディさんに引っ張られて読む。

好きでない人・あるいは批判的に考える人は、このことを言いたいなら、このことは出さなくても良くないのでは?という疑問が湧いてみたい。その概念を出したいがための記述だったのでは?と。

第6章もそう取れるところがある。
エンパシーを扱う中でエンパスに至るために、その手前でサイコパスとソシオパスを出してくる。ぞわぞわっとする。そこが本当に必要なのか?と思う人がいるのもわかる。

エンパシーには、エモーショナルエンパシー(エンパスが多く備えすぎている資質)とコグニティブエンパシーがある
・エモーショナルエンパシーは、人間のミラーニューロンが働く、(その場で反応する)無意識な共感力
コグニティブエンパシーは、自分で自分の靴を意識的に脱いで、他者の靴を履いてみる(能動的な*)想像力である。         *みちなお追記
エモーショナルエンパシーは備わっているもの、先天性コグニティブエンパシーは後天性
・保育園で、昼寝の時間にはミラーニューロンが働いている様子をみることが出来る。寝始める子がいると徐々にみんな寝ていく。それを遮って騒ぐ子供がいると、みんなが騒ぎ出す。
・イギリスの保育士は、子供がおもちゃを投げて泣いているときに「あなたはいま口惜しいのね」と口に出してあげるという。(未分化な子供の感情に適切な言葉を当てはめてあげているのだろう)。自分の感情がわかると、他者の感情もわかるようになる。自分の感情もわからないと、他者の感情は理解できない。
・コグニティブエンパシーは学習と訓練の果実
・日常生活においては、感情は快・不快を基準としているが、浅いか深いか/貧しいか豊かかという観点で感情を捉えた方が自分の体験をうまく舵取りできるのではないか(レベッカ・ソルニット『定本 災害ユートピア』
ポピュリズム(民衆中心的)、ポピュラリズム(人気取り主義)が現在混同されている。ニュースなどでポピュリズムと言っているものは、浅いレベルの共感で、ポピュラリズム

『他者の靴を履く』第6章  個人的読書メモ

ポピュラリズムのくだりは、『不適切にもほどがある』にて一度の不倫騒動があったアナウンサーの再登板に対して「気分わるい」「それでいいのか?」などネット炎上した動きがこれだろう。阿部サダヲ演じる一郎が街頭インタビューで突っ込んでいく場面で、表面的な反応に過ぎないことが明かされる。


イラつく~!
キャリアコンサルタント技能士の試験結果。21日0時にはWeb上で判明している。しかし試験結果詳細を記載した郵送物はその後、送られる。21日に発送したとして、22日(金)は届かず、25日(月)になるかと思って待っているが、まだ届かない(15時時点)。合格した人には郵送物が届いている。私はまたしても不合格だ。だから結果通知も遅く到着するらしい。腹立たしい!

予想では論述がさらに点数悪化したのだろう。前回59点という、1点足りない象徴的な手法で不合格にされた。おそらく決まり文句を嫌われたのだろう。そこから離れて、本質と思われることをズバズバ書いた。きっとそこが不合格になったのだろう。

面接ロールプレイは、合格ラインにあったと思う。

果たして郵送物を開いたときに何が書いてあり、どう認識するのだろう私は。


というわけでイライラする一日なのだろうか
満月は今日なのか、明日なのか?


あたまのなかがイライラと回転するので、動こうと思う
しかし小雨。

ゴミを出してコンビニまでコピーに行こうとしたが「あっ」。
実家から持ってきた書類が間違っていた。コピーしないほうの束を持ってきてしまった。
なんだか私も相当なピンボケだなぁ。

家で筋トレとかYoutubeに合わせて運動をするか。


うぉー、

結果が来た。見た。なんてこった!

前回までの結果。論述が1点足りずに不合格だった。
今回、同じく論述1点足りず。そして面接の点数はハッキリ改善している。

全ての項目で60点以上が必要

つまり、面接は大変良くなったが、不合格の原因である論述は変わらなかった。書き方は変えたのだが結果は同じ。

もっと論述の点数が悪ければ、今回書いた内容が良くないのだ、という理解に落ち着くのだが、この意味深な59点とはなんなんだ。2回も集めてる。

このあとどうする私?
コレクターか、私は。
不合格パターンのコレクターである。


今週の課題文。
かなりやっつけな文章だが、とにかく出した。第6回。
毎回出すことに意義があるとして、提出することにこだわった。

でも書く材料がないな、と思ったのも事実。
第4回までは書くことは沢山あると思った。でもいまは、要求されているような形に収められる題材がない、と思うようになっている。

・日記の形は読者に読む価値を感じさせない。(この文章なんてまさにコレ)
・しかし私は、日常の機微、心の動きを書きあらわしたい
・読んでもらえるような、心の動きをどう表現したらいいか、表現できるか

合格している人のなかには、日常的なこと、過去の思い出を書いて、かつ、読者が読んで心地よい(読んでデメリットがある)文章を書いている方もいらっしゃる。やりようがあるのかもしれない。

読者にとって読みやすい文章、読者の立場、読者の目線、それらを十分に配慮した文章、かつ言いたいことを伝える文章、それが最上ですよね~。

20240326 Tue.

火曜・金曜の朝読書会はだいたい気分が重い。
今日は超絶休もうかと思った。何となく気が乗らない。

しかし出たら、なぜかインクルーシブな場になり、各人の発言がそれぞれかみ合って、全員の学びになった。本日ファシリテーターをした人(最も苦手とする人)がそういう配慮をしたのだろうか?なんだろう?

前回までより、テキストに対して余裕が出てきたのだろうか? それまではどのように山に登るか必死だった。今日は、ある程度登り方がわかっていた、ということか・・・?


今日は一日雨だろう。

最近、毎日頭が痛い。特に朝起きるときに感じる。
目が疲れている。白目が濁りがち。
体重は増加傾向で、昨日は本当に本当にやばいレベルに来た。体内循環や食欲がネガティブスパイラルに陥っている。
10月頃から気になっている左上腕の腱の痛みが続いている。少しづつ場所を動かしながら、日常的に痛みや違和感を感じる頻度が高まっている。たまに肩や首まで何かを感じる。この状況に対しちっとも改善策が見当たらない。


YeLL5人目さん、レスポンスよく肯定的な対応。
それはありがたいのだけど、本当にそうなのか?
もっと割り切れない気持ちがあるのではないか? 洗いざらい聞き手に伝えることが目的ではないが、つるっと問題解決に入ってしまうのはオカシイような気がする。

どんな質問をしたらいいのだろう。


YeLL4人目さん
今日は少し元気だったけれど、基本まだ本調子ではない様子。

結局、私との6回は全てお茶を濁すか愚痴っていた。それが必要だからそうしていたのかもしれない。私も、話していてガス抜きが必要だと思ったのは確かだ。ただ、ガス抜きをしてその先に行けるかと思ったけれど行けなかった。

そのことを本人も自覚しているようだった。ただ、それを毎回そのようにして課題回避しているとしたら? そのことが問題だろう。

本人とだけ話す限界なのかもしれない。周囲からみた状況がわからず、本人の言い分でいかようにも状況説明を作れる。
とはいえ、私が取り組む姿勢を引き出せなかった、ともいえる。
必要な退行期間をちゃんと過ごした、のかもしれない。
最初の段階で、そのような迷路に入り込んでしまったのだろうか。

うーん、このケースは未完了感が大きい。


このところ毎週の課題文、今回も不合格。

NG理由を書いた講評を素直に読むべきだが、そうはいうけど、これは該当しないんじゃない? そこ? などと心の中で反論している。でもそういっている限り、読み手は増えないのだろうな。増えなくてもいいけど、伝わりにくいより伝わりやすいといい。
でも一見伝わりやすくなったようで、中身を薄くするのはイヤだなぁ。
濃い中身をわかりやすく伝えるって高度なんだよ、と自分にツッコミをいれながら、講評を反芻した。


最近の衝動

諸々整理したい。身の回りに必要なものだけを置いておきたい。不必要なものは一旦見えないところにしまいたい。いま使えるものを全て使って、何か未知の場所に踏み込みたい、いままで見えていなかった景色を観たい。いままでより高い位置かもしれないし、同じ場所なのに見ていなかったものかもしれない。それらに魅了されたい。

実際は捨てていいものが置いてあったり、机が乱雑だったりする。
これまでの延長上で、どうせできないだろうとか、どうせそこに自分は相応しくないだろうとか思っている。そこ=単なるセミナー参加だったり、お店だったり。

もうひとつ、しっかり身体をメンテしたい。太った身体を絞る、可動域を広げる、身体の感覚をもっと鋭敏でスピーディーにする。・・・・・・あんまり沢山書くと、単に老化に抗っているように見えてくる。でもそういうことじゃない。いまあるものをしっかり使いたいという感覚。

そうか、人生、ここまで培ったものを土台に使い倒すフェーズに入ったのかもしれない。

今日は満月だけど、終日雨で雲が覆っている。

20240327 Wed.

ここで触れていない重要なニュースは沢山ある。
書いていないことを記録しておく必要があるのかもしれない。

たとえば
・政治家のパーティー券扱い 政治家としての質が劣化。答弁は茶番にみえて小学生の前でも恥ずかしい。おそらく小学生には見抜かれている
マウリツィオ・ポリーニ、イタリアのピアニスト、亡くなる
・大谷翔平の通訳の賭博問題が、どれだけ大谷の立ち位置に影響を与えるか
能登地震の復旧、インフラ脆弱性のもと短期対処、中長期対応がまだまとまっていない。個別に奮闘はしている状態。
防衛装備品の扱い、閣議決定で輸出できることになった。これはイコール軍需産業を国の政策として表立って認めたことになる。国際的にもそのスタンスを示したことになる。平和国家と胸を張るには、エクスキューズが必要になった。
国立劇場の建て替え問題。昨年の閉館前後から気になっていたがついに入札が2回も成立しないために記事化され、大手メディアに扱われるようになった。(神宮外苑と位置づけがどう違うのだろう、根本的には同じ問題だと思うのだが、全うに扱われているように感じる。国施設と神社の違いか、しかし神宮外苑は経緯としては国民の権利行使なんだけどな)


敵基地反撃能力
より主体的な対応能力を持つ。

(サポートだけでない、より実践性を高める)

この変化が、直近、5年10年、30年、どのような影響を生じさせるだろう?

盾としての守り→海外に舞台を覇権(イラク)強行採決 安全保障関連法、集団的自衛権の行使を一部容認(憲法解釈の変更)自衛隊により主体的に戦う能力を求めている オーストラリア・アメリカなどとの合同演習、

一体どこに日本にとって適切なバランスがあるのだろう?

輸出を閣議決定を経たら実行できると決めて、実際に閣議決定した。
同時に首相は国賓待遇で訪米することが決まった
これだけ見え見えなことを、だれもあまり指摘しない。

防衛費、防衛装備庁、とはいうけれど、
軍事費、武器調達庁、が実態・・・私達は軍事国家になりつつあるのか?

国民・国家の安全のためとはいうけれど、
アメリカのためではないのか?

アメリカのためが大きいが、実質的に国民の安全に貢献してもらいたい。

20240328 Thu.

昨日午後くらいからのザワザワが落ち着かない。
寝ているかザワザワしているかのどちらかだ。


マンションの名義変更(結婚したときに変更していなかったし、離婚して名乗る姓が定まった)のため書類を作成。

もういっちょ頑張ろう。

馴れないことだからか、懇切丁寧な手引書があり関連するYoutubeもあるのに、いまひとつ確実に進めている実感を持てない。どこか曖昧になっているような居心地の悪さ。


今日、3月28日は坂本龍一さんの命日。昨年の今日亡くなった。
つまりこの前後、神宮外苑開発について坂本さんから小池東京都知事など複数人に宛てた手紙が届いていた。そのあと基本的に事態は変わっていない。グリーンウォッシュ ならぬ、よさげな風評づくりに三井が取り組んでいるだけだ。それと気になるのは、福島などで壁アートを書いている人の事務所が外苑前にあるらしく、本人をみかけた。こういった人を神宮外苑開発に使うのではないだろうか?

夜20時から神宮外苑の絵画館前で集まりがあった。
ロウソクなど手に持って、集まった人と会話する場だった。
主催者の人が最初に開催趣旨などをスピーチ、近くの人と会話すること40分くらい、この頃は雨が降り出して傘をさしながらだった。最後に共有したいことがある人が前でスピーチ。最後の最後に、音楽家のサエキケンゾウさんが登場。「今日は音楽家は少ないみたいだけど」と。歓声があがった。

神宮外苑 絵画館のユニコーン像前で集まっていた 
(右)サエキケンゾウさんがショートスピーチ

居合わせた近くの人と対話するとき、私はビクターにお勤めで、坂本さんと交流があったとおっしゃる方と話をした。この場の現在価値や歴史、ビジネスの短期的・局所的な価値、野球場やラグビー場、台湾で日本の建物が内部リノベーションをして使われ街の風格を担っていること、東京の緑をつなぐこと、空の広さに来日客が感嘆すること、等々。楽しかった。

20240329 Fri.

“まにまに”に時間を過ごしてうまくいった一日
まにまにとは、事の成り行きに任せること

https://manapedia.jp/text/6721


朝読書会
ちょっと精神的にはキツめな内容。

弁証法的認知の話。自分があまり得意でないのでちょっとキツイ

身体が起きていなくて、ダラダラした午前中。洗濯はした。


9:30からオンライン講座、今日4回目なのだが、1-3回は欠席して後日録画を観る始末。申込したのにやる気が向かわない。辛うじて、音声オフ・画面オフの「耳だけ参加」をした。内容は面白くて聞いてよかった。


お昼になり、卵料理をつくって熱々を食べる。少し元気になる。


印鑑登録とコピーのため出かけた。
住まいの登記名義変更をするにあたり、改めて印鑑登録。

印刷のため、金曜だけ安くなる場所にてプリントアウト。

そこで気づいた。本日18時から恵比寿での講演会があったのだ。

このまま家に戻らず行くことにして歩きだしたら、通りは桜が満開。

思いがけず桜を見物しながら恵比寿駅へ。

明治通りの桜 早くも花吹雪が出来ていた

一昨日、注文した本を駅ビル内の有隣堂で受取り

カフェでお腹を満たして日仏会館での講演会へ


神宮外苑に関するシンポジウム
・再開発の課題と提案
・都市計画法を適用している神宮外苑開発の実態
・江戸時代、および明治・大正に天皇葬儀が行われたことの詳細を踏まえた場所の歴史的価値

フランス人もこの開発について大変興味関心が高い

思ったこと
・神宮外苑は、本来国有地に準ずる明治神宮の土地である。これをもっと明確に打ち出した方がよいのではないか。(あるいは打ち出しているが無視されがち)
・空中権のやりとりは、すでに周囲が緻密に開発されている空間のなかで、スペースや利益をねん出する方法。それを広大な敷地のなかで適用することは本来の趣旨と異なるのではないか。
・公園まちづくり法の適用は、本来の趣旨と異なる目的で適用している。
・法律の適用、土地区分の変更が行政手続きとして、議論なく都庁内で進められたことは、公園を享受する都民、国民の権利を侵害している。
・フランスでは、歴史的建造物の周囲も含めた開発制限や変更制限がかかっている。したがってエッフェル塔の脇に高層ビルが建つことはない。
・神宮外苑は、国有地に準ずる神社預かりの場所として、一般的な土地と同じような法律を適用せずに運用してきた経緯がある。そのため法律規制を受けずに開発案が立てられたスキが生じたらしい。それは任されていた神宮外苑の責任が問われて当然ではないか。
・非公式投票をネットで行ったらどうか? 都民対象と都民以外の一般投票で、現状再開発案とICOMOS案のどちらかを選んでいただく。そのことに決定力はないが人々の意図を視覚化できる。

個人的メモ

歩いて帰宅。

計画的に考えていなかったけれど、
「まにまに」やって、とても調和が取れた一日になった。満足!

そのまま、とか使う時の、ままに、という言葉から来ているらしい。
「まにまに」やる=計画的にするのではなく成り行きに任せる。

20240330 Sat.

お天気な朝、シーツなどを洗濯。

17日に歩いてから日数が経過しているので、長めに歩こう。

4時間で18km
皇居の方へ行ったら、行幸通りの通り抜けを行っていた。

大がかりに通路を作り、宮内庁や警視庁から大勢の方々が携わっている
アナウンスが面白かった。

通路を人が一方方向へ進むとき
見学ルートに至るまでも通路が設定されています。宮内庁や警視庁の職員たちが丁寧な口調で、流れをガイドしてました。「このまま前へお進みください。この先、手荷物チェックをするので、チャックなど開けて進んでください。ペットボトルなどの飲み物は安全性を確認するため一口飲んでいただきます」穏やかな笑いがおきたw

手荷物検査、危険物検査(探知機)
最初のテントは手荷物検査。一応飲み物を飲んでみせた。手荷物は、ざくっと開けて危険物がないことがわかればよくて、雰囲気は穏やか。

二番目のテントは危険物捜査。立って身体の前面・後面を探知機で確認。

見学路
「一箇所に長く止まらないようにしてください。写真を撮る方は2.3枚撮ったら他の方に譲って、皆さんが皇居の景色をご覧になれるようお願いします」とのアナウンス。あちこちのアナウンスが一貫して丁寧で、気持ちよいコメントだった。「止まらないでください、先に進んでください」と連呼するのと趣きが違う。

行幸通り(といわれたが、乾通りとも言うのか?)
坂下門と乾門の間を通り抜けた

北の丸公園。
都心の公園だが、周囲のビルが木立に隠れてとても気持ちよくて落ち着く。空、緑、池。

空、木々、池、no more Billding。

北の丸公園内 池の隣は芝生


14時過ぎに戻れた、約18kmウォーク。
15時からオンラインで『トリスタンとイゾルデ』開演。
演奏会形式で、東京文化会館(上野)でリアルタイムに上演されている。

固定カメラだが、Zoom機能によりズームや視点移動が出来るので、歌い手や指揮者を大写しにすることもできる。音楽をきいているだけより、特に歌の場合は歌い手を見ながら聴く方が、よく聴けるような気がする。

15時から始まり、終わりは20時近く。休憩2回をはさみ、ほぼ5時間

オンラインでコンサート視聴というのも悪くない

部屋を片付けながら聴こうと思い、少し片づけたが、そうそう片付くわけでもなく気休めだった。それでも十分満足した。


昨日購入した書籍『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』

執筆陣が豪華、多角的に論じられていて読み応えがある。

塚本由晴(建築家)が里山で、細かい仕事を切り出して1仕事1図解に整理して人が手伝えるようにカード化した。このアイディアは、山林管理や復興など、ボランティアに活躍してもらうためにとても役立ちそう。

20240331 Sun.

朝MBTI勉強会

同じ内Nの方の深堀。
補助機能が外Tのため、賢そうに見える。傍から訳わからなくても理屈があることはわかる。
本人にとっては、内側の自分にとっても掴みどころのないものを、ブレストなどして言葉として引っ張り出し、その時々の関心問題意識により切り取った面で語っているそうだ。補助機能が外Fの私は、言葉として引っ張り出したものに脈絡がないので、傍から見て理屈はなく、訳が分からない、あえて当てはめると理想を語っているように見える。

近いタイプの方があと2人いらして、その人達との対話も面白かった。

内F外Nの人にとっては、かなり異質に感じるようだ。

内T外Nの人は、自分が言葉を発するときには、まとまったことを話している。結果として思ったことの部分しか話していない。

内N外Tの人は、試しに言葉を出している感じ、仮置き、今日考えた言葉であり別な日に考えたら別な言葉を当てるかもしれない。そして、何より自分が考えていることを外に出してみて、それで検証する感じ。

確かに外Tと内Tの違いだな。
内向が主機能な人であっても、外向が主機能な人が外へポンポンだして動かしていくように、外を使うんだ。

内N外Fにとっての共通点は、自分の言葉を外に出してみて形が与えられるという点。形にすると少し違うような気がするが、形にしないと相手に伝わらないから致し方なくそうせざるを得ない。


昼前から弥生美術館(竹久夢二美術館併設)まで『槙村さとる展』を観るために妹と出かけた。会期は1月から今日まで。最終日、混んでいるかもしれないと予期していたが、1フロアに6,7人。大がかりな美術展の混雑具合からしたらとても快適だった。

行ってよかった。
最終日に行き、あぁデビューから1990年位で止まってたけど、1990-2010年も漫画を読めば良かったなーと。ドラマ化された『おいしい関係』『Real Clothes』も観なかったし。働いているときは本もテレビも余裕なかった。観てたら漫画に助けられたかも。今年デビュー50周年!

小さな美術館での展示で2フロア、1時間ほどで見終える位。デビューから今までの流れ、題材の変化と槇村さとるさんの道を辿れるように展示。美しい原画と、幼少の手書き漫画にはじまる人生のプロセスが見ごたえあり。セリフが入ってる原稿、愛用のペン、インク、ケシポン、筆、絵具皿なども。

展示概要

丁寧なインタビューまとめ記事

美術館近くには弥生式土器が見つかった旨の石碑

弥生式土器発掘ゆかりの地

途中の中華料理店で焼きそば、入谷のおせんべい屋さんを目指して散歩。みそ煎餅が絶品。今日は他におかき類を試すことにした。

入谷 てこなせんべい みそ煎餅が一押し

昨日放映された最終回『不適切にもほどがある』を正座して(うそ)観た。歌の部分は、年配向け盆踊りと、若者向け“新しい音楽(ドラマのテーマ音楽)”かぁ。徹底して昭和と令和を結びつける。

クドカンにとっても、平成って抜け落ちた時代、という感覚があるんだな。仕事はいっぱいしただろうけれど。

私にとっても、つるっとして(スマホではない)滑り落ちたような時代。いや、そう言ってしまうと私が働いた期間丸々抜け落ちてしまう。なんといっていいかわからないが、私にとっては仕事一色で、時々お楽しみの旅やコンサートが加わった時代。

犬島渚は、大島渚を何かモジっているのだろうか? だとして意味がよくつかめていない。



不思議と予定が詰まった半月。
その時々は充実感や満足感がある。どんな方向へ進んでいるのか、何を目指しているのか、把握したい気持ちもある。でもそれがなくてもいいのかもしれない。

衝動は、片付けたい、すっきりしたい/グリップしたい、掴みたい。

4月からどんな日々を過ごすだろう?

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