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2022年8月前半

厳しい気候が続いた半月。
戦争についてニュースが増える時期だが、今年は例年以上にリアルさが増す。

20220801 Mon.

蓼科から帰った日。7月29日から今日まで長野県茅野市での4日間。とても天気に恵まれ、青空・白い雲・くっきりした山並み・青々した草木・心地よい風、すべてが良かった。レンタカーを駆使して、友人二人にこの地を満喫してもらって何より。

茅野や諏訪の辺りは、歴史・自然・食べ物が揃っていて、深堀してもしきれないくらい興味がつきないところだと思う。縄文土器、黒曜石などの遺跡、諏訪神社、守矢神長官と物部氏の話、中山道の宿場町、諏訪湖、八ヶ岳・アルプスの山々や高原、高山植物などの植生、蕎麦、酒蔵、味噌、おやき、鉄山等々。

駅へ向かいがてら、主だったお土産場所をまわり、製麺所直売の麺、野菜・みそ加工品・寒天など家に帰ってから楽しむ食材を購入。送料無料期間だったので友人は桃を自宅へ送っていた。信州産は少なくてほとんどが山梨産の桃。とても美味しい。

予定していた特急で、猛暑の新宿へ覚悟して帰った。


20220802 Tue.

まだ蓼科の余韻が残っている一日。

そこで感じたことは、私は「決着をつけない」ということ。飲みかけの紅茶をそのままにして後で飲もうとして忘れたり、洗った包丁を拭いてすぐにしまわずに乾燥させるためガス台に置いて忘れる。私が思い出す前に、それを友人がささっとしまっていた。

紅茶を後で飲んでもいいし、包丁はいずれしまう。だから、どちらでもいいのだが、今行うか・少し先に行うか。こういうことを通じて、人との違いを改めて感じる。

今回は「決着をつけない」ことを自分の傾向なんだなと改めて認識した。
そこで何かしなくては、という気持ちに駆り立てられたのが、本日。

イライラした。
部屋の不要なものに対して。
本来の場所にあるのではなく、一時置きされたものに対して。
自分のなかで矛盾したものに対して。

そこでもうひとつ気づいたことは、
メリット・デメリットどちらもある事象に対して、決着をつけない宙ぶらりんが多いことが私の傾向。一旦何等かの決着をつけることはそれで終生そのままということはなく、それを先のタイミングで見直すことに意識的になるということがあってもよいのでは?ということ。それをできず、だらだらとしていることだ。

さながら句読点がなく文章が続くようなもので言い切ってくれたいいのに、なかなかそうはしない状況を選んでいる。一度決着をつけたら、状況が整理されたり新たな手を打つことができるのに、問題点を明確にせず保留する傾向が強いということを改めて自覚した。

決着をつける、保留にする。どちらか、状況により適した方を選択する。

保留が多い私は、保留にするメリットがあるのかを考えて、あるいは決着をつけるデメリットを考えて、今までよりも決着をつけてもいいのかもしれない。

保留にできることは、ひとつの能力ではある。
でも決断できないから保留するのだとしたら、決断するエクササイズをしてみてもいいはずだ。


20220803 Wed.

昼間の雷雨。
スタバの大きなテーブルで作業していたら、いきなりの土砂降り。全国的に線状降水帯の被害が出たこの日、渋谷では午後、急な土砂降りが1時間ほど続いた。8人満席に座っていて、反対側にいた白人カップルは、いきなりの雨に驚き笑い写真を撮っていた。

この店には道路沿いが大きなガラス面になっていて、2階から道路を見下ろすような位置にある。雨粒が跳ねるようだ。私の左側にいた20代くらいの男性は、声に出して「すげ~」「これはすげ~」とつぶやくように、話しかけるように、右側にいる私の方へ顔を向けている。なぜならその方向に窓があるからなのだが、何となく私は「ほんとすごい、ビックリですね」と答えた。

何となくこういうとき、言葉を交わすとちょっといい気持ちになる。すごさを共有した感じが心地よい。だからといって何か会話するわけでない。それから小一時間、先に席を離れた彼は、さっと帰っていった。


20220804 Thu.

8/3に感じた焦りというかイライラ。「決着をつけない」について再燃。

その結果、本屋へ行き、気になっていた記事が掲載された雑誌を買う。

ついでに、気になっていた漫画を大人買いすることにする。探すと全8巻のうち半分しかない。これも、実は人から借りるか、中古を買うか、ぐずぐずしていた案件。この本屋で以前も眺めたことがある。そのときは在庫がもっとあり、欠けているのは1冊だけだった。それだけど「決着をつけて」先に進まねば、ここで決めよう、ということで、予約注文した。そうしたら、店員さんが親切にも他店に問い合わせてくれて、通常予約注文なら2-3週間かかるところ、2-3日で手に入れられるよう手配してくれた。

アマゾンで買う方が早い、のかもしれない。ぐずぐずしている間にそれも考えてた。でも実行していなかった。

本当はもっと、大事なことに決着をつけるべきかと思うが、超手近なところで小さく解消している。うーん、これはこれで否定しないけど、これで終わったらだめだよ、自分。

この3年くらいの変化を書き出してみる。
ほんとにじんわり変わっているだけ。でもじんわり変わっている。


朝は『禅と日本文化』鈴木大拙著を音読する読書会の初日。参加者はこれまで『インテグラル心理学』、『インテグラル理論を体感する』を音読してきたメンバーで、あれこれ候補本を出して新たに取り上げた本。

たまたま私が挙げた本になり嬉しい。それなのに、前夜興奮し、早朝覚醒し、二度寝したら10分遅刻してしまった。まったく・・・。

この本は、昭和13年、1938年に書かれた本で、原本は鈴木大拙が英語でアメリカの大学での講義用に作った原稿。それを北川桃雄という方が日本語に翻訳したもの。漢字や言葉使いは古い。音読すると読めない箇所も当然沢山出てくる。”蔬菜そさい”、”禍々まがまがしい”など。

見た目にはとっつきにくい文面で難しく感じるし、自分が読むときに読めなかったり自信なく読むこともあるのだけれど、音声で聞くとすんなり意味が伝わってくる。この文章の密度の濃さが素晴らしいと思える。

メンバー5人も面白く読んでいる様子。良かった、この本にして。


20220805 Fri.

昨日注文した漫画が全巻揃ったと電話が入った。あら、早い!

今日のうちに受け取ろうと夕方出かけて行った。
世間の流行りのピークは、山を越えたのかもしれない。『チ。』を読むのだ。

私が続けて読んできたインテグラル理論に関連した読み方ができるらしい。3-4か月前に友人からこれが面白いときき、読もうかな?と思ってから時は過ぎて今日。その間に、知人のなかでも少なくとも3人が読んでいる。ぜひ読後感総会でもしてしゃべりたいものだ。



ロシアの駐日大使ガルージンさんが広島にて献花。明日の平和式典に招待されていないので本日いらしたとのこと。ウクライナ侵攻に関するコメントはいちいち憎たらしいと感じるコメントを発するこの方だが、招待されていなくても献花にいらっしゃることは立派なことだと思う。

本来は、こういう場こそ、ロシアも正式に招待してともに平和を祈るべきではないかと思うし、広島の人達にもその思いがあるのではないかと思う。核の脅威をちらつかせることは許せないが、平和を希求する点は同じではないかと思うからだ。広島県には正式招待できないようなプレッシャーがかけられたのだろうか。自発的に拒否しているのだろうか。


20220806 Sat.

母の誕生日。
今回は誕生日らしい視覚的イメージをメインに、かわいらしい小さなホールケーキを買って実家へ向かった。スポンジとデコレーションクリーム、苺とラズベリーが載っているシンプルなケーキ。4回目のワクチン接種後の体調不良からだんだんと回復してきている。

誕生日は小さくてもホールケーキ?!

母は広島出身、広島生まれ。

原爆の2,3か月前に、岡山へ疎開していてから原爆に遭わなかった。祖父(母の父)が招集されて一人で育てていた祖母が、まだ小さかった母の弟の手を引き歩いていると、道ですれ違った若い人に「そんな小さなお子さんがいるなら、奥さんは広島にいてはダメですよ、広島は大変なことになりますから逃げなさい」と言われたことがきっかけだったそうだ。

普段から慎重な祖母が、道行く人の話を素直に聞いたとは珍しいことだと母は言う。私もそう思う。広島から岡山は近いとはいえ、わざわざ親戚を訪ねていく行動を起こした祖母は英断だった。

その祖母をみて、私も、と広島から疎開した人がいるという。

もし人に自分を活かすセンサーというものがあれば、そのとき祖母のセンサーは生きる方向へ針を向けていたに違いない。


夜、母が「花火をしたい」という。珍しい。

誕生日だからかな? 「やろう、やろう!」
線香花火を2袋持ってきて「好きなのよね、これ」と。久々、何年ぶりだろう。匂い、繊細な火花。小さくしか発火しないものがあったり、大きな玉ができて見事な花火を見せるものがあったり、ひとつひとつが違う。7,8本したところで、もう充分と、母が切り上げた。部屋に入ってお茶を入れる。

 


広島県知事のスピーチ、素晴らしい内容。SNS上でも多数シェアされていた。

この機は全世界の人に訴えるタイミングとしては、とても効果的(悲しいけれど)


20220807 Sun.

終日実家にて過ごす。明日から猛暑・酷暑らしいので、昨日より暑いけれど

朝読書会7:00-9:00『世界はシステムで動く』
朝ごはん
除草剤散布
お茶、漬物・残りおかず・お菓子をつまみながら、だらっとした昼ごはん
冷凍庫の掃除
軽い夕飯
夜読書会19:30-21:30『量子力学で生命の謎を解く』

冷凍庫の掃除。うちの冷蔵庫はいつも、どの区画も満杯。いずれ整理しなくてはと何度か話していたので、夏だけど、2人居るからと急遽敢行。

冷凍庫の中身をすべて出して、発砲スチロールに入れるのとそのままと。そしてトレイを洗い、カテゴリ毎まとめて入れ直した。入りきらないものが出てくる。これは何?という包みが出てくる。スープらしきもの、これは今日食べてしまおう。

一人で行うとうんざりする作業だけれど、二人で勢いつけてやればゴールまでたどりつける。

今日は、冷蔵庫はやめておこう。また次のタイミングに。

うちは見事に冷蔵庫も冷凍庫も満杯だ。スカスカな状態が定常だという家からしたら驚くだろう。実際私は結婚した相手の実家冷蔵庫を見て驚いた。空気を冷やすものではないよ、と思ったものだ。


20220808 Mon.

今朝の母は、少ししゃっきっとしていた。84歳。年齢相応だが、身体がだらっとしているのと、しゃきっとしているのではだいぶ印象が異なる。体幹が緩んでいるか、体幹の支えが利いているかでずいぶん違ってくる。

その支えをつくるためには、力を込めて筋肉を緊張させるのではなく、前後・左右に体重移動させて軸を感じることが一番だと思う。その軸、足元から頭のてっぺんまでを感じていたら、そのときしなやかな軸が出来ている。

そのように今の私は思うが、それは誰にでも通じる感覚なのだろうか? 老年になると事情が変わってくるだろうし、人によって感じ方や認識の仕方が違う。


8:00-9:00読書会に参加し、すぐに実家から逗子へ向かった。今日一日、友人が行うイベントの手伝い。手伝いといっても仕事は受付や物販を行うだけで、大半はイベントのプログラムを一緒に視聴している。印象に残ったことは、参加している方々同士が、お仲間と会場で楽しく交流する様子。逗子の地縁同士が顔を合わせてつながったり、遠方からいらした同じ探求テーマの方とリアル初体面でご縁が太くなる場を垣間見た。

今日は暑い日だが、1日冷房がきいた地域のホール内にいると体は冷えてくる。そして、19時を回るとだいぶ疲れてきて19時半ごろに失礼してしまった。

今日の場は、最初に関係者が集う場で祈りの言葉があり、プレイベントがあり、メインイベントがあり、交流があり、祭りのような音楽と踊りでクロージングされた。これを組み立てたのは主催者のセンスと人脈だなぁ。

20220809 Tue.

今日は長崎原爆投下の日。

『高橋源一郎の飛ぶ教室』8/5(金)放送分(NHKラジオ)を聞き逃し配信できいたら、古市寿一が原爆被害者との対談や、堀川惠子さんという広島出身のジャーナリストが原爆がなぜ広島に落とされたのかという話を題材に、3人での鼎談が面白かった。

(対談はふたり、鼎談は三人なのだと、これを書いていて知った。鼎談とは、重々しい対話の場のことを指しているのだとおもっていたけれど、三足の台から来ているコトバだった。)

ひとつめ
日本人は、戦争を天災と同じようにとらえているのではないか? という論点。

だから深い反省もなく今を歩むし、戦争の翌日から全く異なることへ向かえたのではないか?というトーク。

なぜその状況が起こったかと考えずに、その状況を被ったと思う捉え方のことを「天災」といっている。                                                                  

天災だから耐えられる、という面もありそうだ。
天災と捉えることは、その発生過程に一切責任を持たないという捉え方でもある。う~む、日本の無責任体質&天災に強い人々が生まれてくるなぁ。

ふたつめ
戦争体験は語り継げるものなのか?

1) 正確に語り継ぐことはできないが、正確さに意味があるのか? 
一人の語り部が、その人の周囲にいた人の声からも受けて語っている。一人の人の語りでなく、複数人からなる語り

2)本当に語ってもらいたい無念な思いがある人は死んでしまっている。
残った人に何が語れるのか? 

3) 語り手は語りたくないという人の気持ちもあるのでは?
私の祖父は、戦争体験について聞いても教えてくれなかった。日中戦争で中国、太平洋戦争で南方のジャワ島へ行っている。教えてくれと頼んでも機嫌悪く何も語ってくれなかった。またTVドキュメンタリーなどで「自分だけが生きてきた負い目」があって話せなかったということもよくきく。

みっつめ
「戦争の話はもう聞きたくない」「同じ話は聞き飽きた」ということは、戦争を直接体験した世代の子供や孫がよく話していた定型句だ。昭和50年代ごろだろうか、正確には覚えていないけれど戦争の記憶が過去のものになったとき、このフレーズを聴いた。

今回の放送では、同じように聞こえる戦争の話のなかに、個別具体的なストーリーがあり、悲しみがあり、事実があるということを改めてゲストたちが表現していた。例えば、『世界の片隅に』主人公のすずさんから発して「あちこちのすずさん」のように、いま色々な体験が語られている。

一周まわってここへ来た、ともいえるし、いま聞く耳を持った人達がいる、ともいえる。どう捉えるか、人ぞれぞれだけれど、「いま聞く耳を持った人がいる」「聴きたいと思っている」という事実を大事にすることが、今後の幸せな生活につながるのではないだろうか。

ラジオ番組の冒頭で、高橋源一郎は自分の母親の体験を物語として朗読した。京都から広島行きの夜行列車に、少女だった母親は、京都から乗り込んで軍の事務所で働く予定だったのだそうだ。本来広島にずっと居るはずだったが、極度のホームシックのため実家へ数日帰っていた。広島へ戻ろうと切符を買いに行ったら、目の前の人のところで切符が売り切れてしまった。当時、列車削減や、軍用のための乗車が優先されていたという。乗るはずだった夜行列車は朝8時頃広島駅へ到着し、母はそこから陸軍省へ徒歩で向かって原爆投下時間8:15を迎えていたことになる。

切符が売り切れて乗車できなかったので、母は命拾いして、のちに高橋源一郎が生まれたことになる。ここにも、偶然、生を受けた話がひとつ。

沢山のつながった命がある。そしてそれ以上につながらなかった命がある。



このnoteで使っている日付&曜日の表記をエクセル表で作っていて、今年の大みそかまで作成してみたら、2022年12月31日は土曜日だった。すっきりと、なんだか区切りがいいな。大きな変化がないようでいて、確実に物事は変わっていく。


今日から『チ。』を読むぞ! 遅っ! と我ながら突っ込みを入れながらも。だって購入した翌日から実家に行き、昨日は一日外にいたもの。

さっさとやることで、流れをつかむことが出来そうだと思う。しかし一方で、私はその流れをつかまずに、木のようにじっとしている感覚は自覚している。時間の流れが他人と違うのだろうか。
それは言い訳か? 尊重か?


20220810 Wed.

昨日、デザイナーの三宅一生さんの訃報が流れた。

折りたためるプリーツ・プリーズのデザインが好きで、いくつか持っていて、何度も何年も着ている。

一番の思い出は、2008年12月ウィーンでのこと。パッケージ旅行に参加して半日自由時間にウィーン学友教会でのコンサートチケットを購入できた。ミッシャ・マイスキー(チェロ)、ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)など。ヴィオラ・ピアノも加わる室内楽で、おそらくオーストリアや近隣のヨーロッパ各国で活躍している人達が4,5人。日本に来日するとなると、高額チケットになるし、そもそも有名どころを集めることも大変。それが、ウィーンは、ジュリアン・ラクリンのおひざ元でもあり、会場に来ているお客さんに顔なじみがいるらしく、とてもアットホームな演奏会だった。

そこで何が三宅一生と関係あるかというと、ミッシャ・マイスキーは、舞台衣装としていつも特注したプリーツ・プリーズを着ているのだ。そして私は旅行中、コンパクトにたためてしわにならないこの服を持ってきていて、ジャケットとスカートを着てコンサートへ行っていたのだ。そして私の席は、舞台上、右側に作られた横5-6人、4-5段の臨時設置席。舞台に出てきたミッシャ・マイスキーは、黒い上下で、上着はマオカラーだった。

誰も気づきはしないだろうけれど、ひそかに、ミッシャ・マイスキーと同じプリーツ・プリーズを着て壇上にいることがこそばゆかった。それも黒。なんという偶然。日本人にとって、現代版着物のようなもの、と思って着て来たので、誇らしくもある。そんな思い出が懐かしい。

そういえば、
忘れていたが、勤めていた会社の社服をデザインしたのはこの方だった。一番深い縁といえばこちらかもしれない。最初は不思議に感じたが、来てみると機能的だった。汚れは落ちやすい・冬は暖かい。男性でも女性でも着て違和感のないユニセックスなデザインだった。社員には配布されていたが、2000年を数年過ぎたあたりには廃止されたらしく、平成に入ったいつ頃からか、古い社員しか社服は持っていない。

この方も、広島で被爆した方。恨まず、前向きな創造エネルギーを楽しんだ人生だった。合掌。



お台場にある日本科学未来館ドームシアターにて「9次元からきた男」を観た。友人の間で面白いという話をきいて。9次元とは、いま私たちがいる三次元の次、4次元目に時間があり、その先に5つも次元があるのかと思っていたら・・・そうではなく、三次元の手前に6次元あるということらしい。量子力学や素粒子の世界。

お台場
ダイバーシティ横のガンダム 日本未来技術館内の展示①益川さんサイン ②地球モニター

そうなると、この10年くらいの間にノーベル賞を取った人達の功績が、身近なことに思えてくる。スーパーカミオカンデをつくった小柴さん(2002年受賞)。小林・益川理論の二人、南部さん(2008年受賞)。みな素粒子の研究だ。

ニュートリノという素粒子は人間の身体を、いまこの瞬間にも何個も通過していくし、地球さえも通過している。なんて言われても、知覚できるわけでもないし、不思議な感覚にしかならない。でも今日の映画で一歩近づいた。


20220811 Thu.

今日も高い気温。

図書館へ返す本をギリギリまで読んで、10時から1時間半、Work with Source著者のTom Nixonさんと、出版社令三社の座談会をオンラインで聴く。Tom Nixonはイギリス人。ヨーロッパでの対話や、コミュニティ活動の在り方を参考にすることはとても利益があると思う。枠をつくり力で引っ張るのではなく、対話しながら骨格を作っていくスタイルだから。

書籍は秋に出版されるそうだ。いま翻訳プロジェクトとして翻訳を進めていて、プロジェクトとして翻訳する方法は新しいスタイルで非常に興味深い。卓越した訳者ひとりではなく、もう少し幅広い人々が参加して、新しい領域を早く紹介することができるように思う。

新しい領域とは、これまでの学問領域に縛られず、またベストセラーなどの売上力学に寄らず、関心高い人が集まるような領域をイメージしている。世界中にある多様な知見のなかで、関心高いものを関心がある人達にまず届けることができる方法だと思える。

午後行われるワークショップや、来週行われる京都での読書会に興味ありありだ。今回は行けない。行ける人がこの内容を活かせる人なのだろう。参加した人がFacebookなどにシェアしてくださるのはとても有難くて感謝している。参加したのとは全く異なるレベルだか、垣間見ることの価値も感じる。



午後2時開演の演劇へ出かける。久しぶりの下北沢。駅前は広場のようなスペースがあり、空が広く見える。今日の空は、上空にて筆で空をかきまぜたように薄い雲筋を描いていて、低い空には入道雲のようなもくもくした雲がある。空の上はもう秋。

下北沢駅前からの空 13:40頃


「天の秤」@小劇場 楽園 面白かった。

よど号ハイジャック事件の機内を中心としたお芝居。

1970年実際にあった事件で、特攻教官だった機長、妹がポリオ被害者となった若手CA、寿退社が常識だった時代のベテランCAなどが時代を醸し出している。

事件のことは繰り返しTV報道していたおぼろげな記憶があるだけで詳しく知らない。だからピョンヤン(北朝鮮)へ行く前に金浦空港(韓国)へ行っていたのかなど、あとでググりたいことが沢山あった。

役者さんたちがそれぞれ役にハマっていることと、セリフや場面展開がテンポよかったことが印象的。

機長:表面は柔軟性があるが芯は肝が据わっていて、清濁併せ吞む感じ。
CA指導教官:場面展開をひっぱっていく役。包み込むやさしさと適格な判断が両立している人。
大臣:ダメダメ政治家らしさが本物っぽかった。嗅覚は鋭い爬虫類のような人。
CA3人:それぞれの経験を十分生かして持ち場を担っていて、当時の機内もこんな感じで乗客を守り、赤軍派に応対していたのだろうなと想像された。
犯人:底の浅い、でも信じるものがある純粋さをもつ人。思えばよく成功したなぁ。
JAL役員:民間らしく柔らかく、少しおっとりしているが良心的だった。CA指導教官とともに乗客の安全を第一に据えて、航空会社としての責任を果たす対応をしたことが、人質解放へ結びついたことがよくわかる。
副操縦士:控えめながら「副」としての役割を果たし、限界も感じている様子。
政務次官:難しい世渡りをしながら大臣が打つボールをうまくラリーしている様子だった。

ラリーしていたら、思いがけず自分にスマッシュが飛んできて、どう返すか、という一大事に直面する。「一刻も早く乗客を安心させたい。(政務)次官は盲腸といわれているが、役に立つ盲腸だってあっていい」と軽口をいえるような度量があったらしい。よど号事件は犯人が亡命、人質・乗務員は帰国して無事決着がついた。しかしラスト、1992年の悲劇は知らなかった。唐突にも感じたが、人間的な内面を持ちつつ、外面は政治家としての在り方を通しがこういう人が居たのか。この人が主人公だったのか。

劇中、「旅客機の乗客と、天秤にかけたのは何ですか?国家の威信ですか?」と次官が尋ねて大臣がそんなたいそうなものではない(コトバは私の記憶のもの)と大笑いする場面があった。何とのバランスで決めたのだろう? たまたま北朝鮮が日本に温情的な対応をしたのは、韓国と対立していた故の匙加減だったのだろうか。

この次官は、自分と大臣、自分と父親、いつもバランスを意識して、少し”公”のために重く、いつも”私”を軽くしていたのかもしれない。


夕方、渋谷SKYへ上がってみた。

台風の影響でかなり風が強く、もしや閉鎖しているかもしれないと思ったけれど、幸い入ることが出来た。屋上の風は強くて、幼児は飛ばされるのではないかと一瞬思うほど。だけど山の日で人出は多かった。

ほぼ満月の月。私のスマホではうまく撮影できないが美しかった。

渋谷SKYから東方の眺め 8月11日18:51 夕暮れ直後


20220812 Fri.

台風が近づくという。

朝方の急な土砂降りのため、午前中は少しだけ涼しかった。
今年は東北地方の雨被害が深刻だ。数年前は、西日本と九州。いつどの地域に自然災害がやってくるか。持ち回りなのか、くじ引きで運が悪いと続くのか。

御巣鷹山での慰霊が行われている。同じ日、その時間に私たちは東京から徳島へ向かって船に乗っていた。飛行機で来るのかと心配されたことはつゆ知らず

なんと、昨日観たお芝居が今日から中止だという。感染者が出たため。気の毒としかいいようがない。徒労だというのだろうか。しかし観ることができた私たちにとっては貴重な舞台で、それをもたらした人達の営みはかけがえがないものだ。


20220813 Sat.

台風が接近している。
とはいえ、止んでいる時間帯もあり、強くなったり弱くなったり、昼前に一度鋭い閃光と大きな音がして雷が落ちたが、風はまだ強くない。

部屋で20年間分の様々な本・書類・物品を整理しているところ。思いのほか、音響製品やPCの付属品など電化製品ジャンクが多い。嫌々、動画を流しながらやっているので、はかばかしくは進まない。まず明らかに捨てるゴミと分別し、残りを大まかに分類しているけれど、それでは右から左に動かすだけともいえる状態。ひとつひとつ手にとりながら、始末をどうしようかと考えている状態。はぁ、

案外化粧品の捨て場が困る。容器と分けて捨てたいし、水道にすべて流すのは気が引ける。わざわざ水を汚す必要はないのだから、と、油など吸収させるためのちり紙や布・新聞紙に吸い込ませて、容器を洗って分別した。靴箱一つ分で30分くらいかかっている。

【ニューヨーク=共同】イスラム教預言者ムハンマドを題材にした小説「悪魔の詩」で知られるインド出身の英作家サルマン・ラシュディ氏(75)が12日、米東部ニューヨーク州で講演の直前、男に襲撃された。目撃情報によると、刃物で首などを複数回刺され大量に出血した。詳しい容体は不明。男は現場で拘束された。米メディアが伝えた。

日本経済新聞 8月13日

わわ。
サルマン・ラシュディといえば、1989年出版された小説がイスラム教を冒涜するものだと命を狙われた人で、日本語に翻訳した人が1991年に大学で殺された時には震撼した。卒業してもう離れたときだったが、あの大学ビルに入ってきて殺傷したということが恐ろしかった。

今回は、米ニューヨーク州にて2500人ほどが集まるイベントで、壇上で切りかかられたとのこと。24歳の男性が誰にも制止されることなく実行に至ったそうだ。安倍元首相の銃撃事件を思い出す。ニュースは世界中をまわるから、模倣犯のような「厳重な警備が無い時に実行する」テロが増えるかもしれない。

オープンな相互信頼がある空間を危険に陥れるような事件。Covid-19 コロナウイルスが親しい人と安心して会食する場を危険な場に変えたのと同じ意味が生じたように思える。

もし神様という存在があるならば、そうでなくとも人間を越えた意図があるとするなら、人間を分断しようとしているのだろうか?それとも分断を越えた叡智の発揮を迫っているのだろうか?


20220814 Sun.

夫の実家でお盆の集まり。夫の母は88を越えていて感染者数のこともあるので、夫の姉妹弟と叔父だけが集まっていた。私もそこへ1時間半ほど参加。

丁度明日から母を連れて長野へ行くので、夫の車を借りることにしていた。早めに切り上げて車を借りたら、私が戸を出たあとに「車を借りに来たのか」と義姉の声。はぁ、そう思うのね、と認識した。ある面から見たらそうだ。

集まりには、ピンチョス風なおつまみを持参した。

前の晩、赤ピーマン・ジャガイモ・エリンギをオリーブオイルで素揚げ、茄子やオクラを素焼き、カボチャをレンチンしておいた。あとはちくわ・アジ素揚げ。これら一口大にしたものを、15cmの串に刺す。どんな順番がいいだろうか。彩り・二つ一緒に食べたときの食感・串の最後が抜けにくいもの。それらを考えて一番奥をエリンギ、串の先を茄子、ちくわ・アジは分散させて、スタンダードな順番を決めたら、あとは機械的に刺していく。人数は少ないので、20本だけタッパーに並べて、保冷バッグで持参。

手間がかかるけれど、こういうことをするのは好きだ。普段はしないが、集まりのときに何をつくるかを考えるのは結構好きだ。すべて自分で仕切るとなると大変だけれど、いまは形だけ参加しているので楽なもの。

場に合わせて、義姉・義妹は「美味しい」「きれい」と言葉にしてくれた。これでよしとしよう。

家の近くの駐車場は夜22時から安くなるので、それまで駐車場があるカフェで2時間読書で時間をつぶしたが、そのあとは路駐させておいた。


20220815 Mon.

割引料金時間帯が終わる朝8時直前に車を出して、鎌倉の実家へ向かう。途中、スタバでモバイルオーダーして、JIMOTOフラペチーノ「山梨 ててっ!!ぶどうホワイト チョコレートクリーム フラペチーノ」とコーヒーを調達。普段はモバイルオーダーしないが、車で短時間路駐して買うには便利さを実感した。やまなし葡萄フラペチーノは、昨年、談合坂SAで売り切れで飲めず残念だったので、ちょっと嬉しい。甘ったるい葡萄果汁が朝のエネルギーになっていく。

順調に実家まで。
そこで約一時間、母の出発前の用事を少し手伝う。荷物積み込み、共同購入している牛乳を担当宅へ取りに行く、ブルーベリーの実の収穫、洗濯物の始末、ごみの始末など。車ではクーラーを使っていたが、朝の空気は暑くて、これだけで結構汗だくになった。

11時、いよいよ出発。
ルートはしっかり考えていたのだが、今日は、ちょっとずつ分岐を間違えて遠回りしたドライブ日和となってしまった。NEXCO西日本高速道路にだいぶ気前よく支払ってしまった。

その1)藤沢から茅ヶ崎JCT経由で八王子へ出て中央道へ乗るはずだった。それが、藤沢から湘南台の方へ北上してしまい、海老名から厚木へ入った。

その2)厚木から八王子へ行けたら傷は浅かったが・・・。
違うとわかっているのに東名に入ってしまった(”圏央道””八王子”という文字が見当たらず、東名・新東名ではないが“東京”でもないぞ、と惑ってしまってイケナイ方へ行ってしまった?!)。そのため大きく遠回りして御殿場から富士五湖道路を通って、富士吉田から大月へ行き、そこで中央道へ乗った。

まぁ、母親はドライブ好きだからいいことにするか。
雲に覆われて富士山は見えないが、山梨県の連なる山並みをみて眼福だった。「山ばかりあるのに、やまなし県」とか、アホなことを言いながら。昼食やトイレ休憩など3回休んで。

母と私が何度も感じたことは、木陰に入ると同じ車内にいても、ぐっと体感温度が下がるということだ。藤沢の街中であっても、中心部を走っているときと、片側に林がある場所とでは、瞬時に体感が変わった。高速道路でも、両側が開けている場所は暑く、大きく育った緑地帯に挟まれた場所では、ぐっと身体が楽になる。構造物による日陰とは異なる体感なのだ。

最近街路樹を切ったり、神宮外苑の森の大きな木を1000本切る(若木を1004本植える)話があちこちにある。しかし、やはり木を切っている場合ではない。

木を育て、木陰を街中に作ることは気温を下げたり空気に清涼感をもたらす確実な方策だ。
これから温暖化が進み、熱中症で倒れる人が多いのではないかと懸念されているが、救急搬送や倒れた人への対処など結果に対する対症療法的な施策をするだけでなく、温暖化が進んだ状況で、温度を下げる智恵の実践に該当することだと思う。

8時過ぎに出発してから20時前に目的地到着。
温泉に浸かってスッキリした。さすがに目が疲れている。今日は早く寝る。

(三角形の二辺を移動するルート。安全運転して正味5時間で行けるコースを、休憩や温泉も含めて倍以上かかっていた。遊びすぎた。)



こちらのページをご覧くださり、ありがとうございます。

自分に内側・外側で起きたことを書いています。書きつつ、書けないこと・書かないことを選んでいる事柄もあるなぁとも思います。

言葉になって記すことができたことを有難く思います。読んでくださる方がいらっしゃるので書けているのですから。

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立秋を過ぎましたが、まだ厳しい天気が続き体調を整えるためにひと工夫がいるようです。どうぞ皆様お元気でいらっしゃいますように。

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