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2022年5月前半

2年ぶりのゴールデンウィークを経て、街の空気は伸びやかで穏やかな季節に入った。北海道の方が関東より暑い日もあり、

20220501 Sun.

長野は一日雨。叔父さんと母・妹と私、四人で山小屋で過ごしている。

昨日ドライブして長野の景色を満喫し、今日は雨が降るさまを窓枠を通して眺めるだけの日。歩数は300歩もいかないのではないか? 外を鹿が歩くこともない、ひたすら雨の一日。

熊楠の分厚い本『南方熊楠大辞典』をパラパラめくり、午後は内田樹の『日本習合論』、夜は淀川長治についての本『淀川長治の遺言』を読む。合間にご飯作り。といっても朝ごはん、間にお茶とおやつ、夕ご飯。昼は適当で十分だった。


3月下旬に鎌倉の山(3/30-31)、4月中旬(4/18-22)に熊野・白浜へ行った体験と『日本習合論』とリンクする箇所が複数ある。例えば神仏習合、日本人にとっての祈り。そして淀川長治さんの話は、魂の話とリンクする。

日本人、そして世界の中でも「宗教」という形で確立されていたものが、揺らいでいる。一方で、何か精神的・霊的など、的確な言葉がないもの、つまり形がなく定義しにくい「何か」を大事にしたいというエネルギーのうごめきが、同時発生的に起きているのではないだろうか。日本では神社や寺の御朱印集め、古墳ツアー、縄文遺跡/目に見えない感情をビジネスの場で扱うようになっている/魂がふるえる(という表現が一般的に受け入れられる)

魂がふるえる 塩田千春展 2019年 六本木 森美術館


人が判断する時、頭で判断する0.35秒早く無意識下で判断しているという実験結果がある。人が意識して頭で決めているつもりなのは、幻想だというのだ。

日本には昔から「肚が決まらない、肚が決まる」という表現がある。何か自分が知覚している意識の他にも、何か影響を与えているものがあるのではないか、という感覚だ。それをエネルギーのうごめき、だとしよう。

そしてエネルギーのうごめきというものが、魂の動きだとしたら、赤ちゃんは、素直な動きに従っている。だんだんと育っていく間に、社会規範を身につけると同時にその魂の動きが損なわれていく場合がほとんどだ。それを正直に追いかけて貫いた人の一人として淀川長治さんも挙げられる。もちろん社会人として立派に仕事をなさり、30年以上民放の映画番組で映画の紹介をしてきた。晩年には叙勲も受けている。1909年明治生まれ、1998年平成10年に亡くなり、今や映画ファンしか知らないかもしれない。中学時代から映画館に入り浸り、映画から様々なことを学び、チャップリンとの出会いがありこの方の映画観の主軸となった。人生の100%が映画だと言える人だ。この方の一途とも言える映画への愛情を追求する姿は、今、好きなものをYoutubeで広める人々や、魚くん、玉置浩二さんなどと、通じるものを感じる。

バランスよく、学校の勉強ができて会社勤めができることを優秀としていた世界で、何十年かをかけて、ある意味特殊な存在が徐々に広まり市民権を得るようになり、多くの人が「それもあり」から「それでいい」、そして「それがいい」と変遷してきたように見える。そのように何を良いとするか、マジョリティの受け取り方が変わっていくのではないだろうか。


20220502 Mon.

今日は晴れ。東側の窓から朝日が差し込み気持ち良い。

バスで温泉へ。10時過ぎに出発し、13時半頃戻ってくる。途中、雪を被った山並み、早春の山、桜やたんぽぽが咲いている里の風景。そんな景色をバスから眺められた。蓼科山、八ヶ岳、少し離れて南アルプス。これだけ重層的な景色を見渡せるのは幸せなことだなぁ。

都会にいると、ビルと空、それだけな単純な景色が多く、空はビルで四角く切り取られている。大きな空を見られる場所が近くにあることは、人間の権利であり、人間が健やかに生きるために誰もが享受する基本的なものではないかと思う。

昼間に入る温泉も、なかなか快適だ。人はまだ少ないし半露天風呂では青空が見える。まったりした空気漂う脱衣室で、少し目立っていたスタイルの良く姉御肌な40代くらいの女性。目線が強くて、一緒にきた人との会話からも力関係が見えるよう。いい人、強い人。ちょっと緊張感を感じるその人が洗面台にいる間はドライヤーを使いに行きにくく、ちょっと遠慮してしまった。その人が母と何か話をしていた。体重計に乗って、ニヤッとして母と目が合ったそう。母は「満足?」と声をかけたら「はいっ」とお姉さん。お互い強者だなぁ。

温泉に入って戻る頃には、少し雲がかかってきてクリアだった山並みが、それほどでもなくなっている。景色は刻一刻と変わっていく。当たり前でもあるけれど、そんなことを実感して嬉しくなる。いい景色はその時にしっかり見て味わうが良い! その時の景色はその時だけのものなのだ!

20220503 Tue.

朝ごはん。今日も晴れていて、朝食を囲むテーブルは朝日が差し込み明るい。トーストしたパンをさくさくと音を立てて4人で食べている。この瞬間、幸せなひとときだなぁとふと思う。

明日、私たちは帰る。最初に購入した食品で丸4日と初日夜・最終日昼まで、実質5日分、4人の食事をほぼほぼ賄った。妙な満足感。

<食材>

トースト用イギリスパン(8枚切り)2袋、黒パン少し、くるみ・杏入りパン

野菜(ピーマン、エリンギ、豆苗、セロリ、レタス、柿えのき茸 なす各1パック、なめこ2パック、きゅうり5本、トマト8個、キャベツ半分)

豆腐2丁、こんにゃく1枚、卵10個、チーズ3種類、ソーセージ5本、鶏手羽元8本、牛肉・豚肉

りんご2個、清美オレンジ8個、ヨーグルト1パック、牛乳1本

<作った料理>

けんちん汁、セロリと手羽元スープ、なめこ汁、たまごスープ、スクランブルエッグ2種、目玉焼き、焼肉、焼きそば、セロリときゅうりと豚細切れの炒め物、なすとベーコンエリンギ炒め味噌風味、トマトサラダ、セロリきゅうりサラダヨーグルト風味、きゅうり林檎サラダ、ピリ辛こんにゃく、豆腐ステーキ、

天ぷらまんじゅう
面白そうだと買ってみた。ほんとに薄皮まんじゅうが揚げてある
長野独特なものなのだろうか?


20220504 Wed.

今年は諏訪神社にて御柱祭の年。7年に一度、前の開催から6年後に行われる。コロナのため、大勢が関わるこの行事の実施方法を見直したそうで、今回は山から木を運ぶ山挽きにはトレーラーを使い、行事の中で盛り上がりの大きい木落(川を越える過程)は実施しなかった。里挽きは間近になって実施することを決定し、観光P Rを敢えて行わなかったそうだ。

滞在している場所から近い山からも木を切り出してあった。見晴らしよい場所、木はここで何十年も里を見守り、風雨に耐えて真っ直ぐ育ってきたのだろう。

木戸 第一の御柱用に伐採したモミの木

里引き続き倍旧のご厚情を賜りたく、切にお願い申し上げます。

蓼科から帰る日。レンタカーを2日しか借りられなかったので、後半は車なし。駅に出るためにタクシーに来てもらった。運転手さんは、40代と思しき男性で、地域のことをさりげなく教えてくださる。それでもしやと思い「昨日今日と里引きですが、運転手さんも関わっていらっしゃるのですか?」すると「はい、昨日引いてきました。」 そうか、今日も仕事がなければ里引きに行ったのかもしれないなぁ。

東京に勤めている人でも、この時期は帰郷するそうだし、地元企業は協賛している場合もあり、企業名でハッピをきている人をいぜん見かけた。もしかすると御柱休暇があるのかもしれない。←未確認。いやいや、有給だろう。


20220505 Thu.

前夜9時ごろ戻ってきた。みんなと一緒に数日過ごしたためか、今日は脱力。旅行後の洗濯や片付け、読書続きなど、ほぼ室内でゆるゆると過ごした。留守中に届いた本。『進化の構造2』 発行時5600円の本が12000円から35000円もして中古サイトで販売されている。12000円ほどで書き込みのないキレイな状態の書籍を購入できてホッとした。

この本は、インテグラル理論を理解する上で、とても重要な参考文献だけれど、絶版になっている。インテグラル理論が2018年前後から活発に読まれるようになり、5年経過した今、原典に遡る人も増えているだろうから、再販してもらえたら有難い人が大勢いるのではないだろうか。

再販サイトに登録し、出版社の春秋社にも個別問い合わせフォームにて、ぜひ出版してもらいたいとお願いを送ってみた。もっと大勢から出版社へ依頼したら再販してくれるだろうか。電子書籍だけでもいい。

古本が高すぎて、一時は図書館から借りたらかなり離れた葛飾区から本が貸し出された。

20220506 Fri.

整形外科など用事済ませつつ、今日もついついゆっくりしていたら、ひとつスケジュールをすっかり忘れていた。19時半から読書会があるのに外出中だった。そもそも事前サマリー作成ができていない。なんということだ! 読書会を失念したことはこれまでなかったのだけれど。長野でのんびりして、すっかり忘れてしまった。いやいや前日、その本を手にしていたのに。

すっぽり抜けるのは、手帳に集約しているスケジュールを毎日確認しないから起きること。今日も確認していなかった。それと、自分の頭の中で何かを考えたり彷徨っている方にエネルギーを取られて、それ以外のことへの注意が向かなくなってしまうから。そんな自分のトリセツを改めて思い返しながら急いで家へ戻る。

恥ずかしながら20時から参加させてもらった。準備していないのに、暖かくニヤリと参加させてくださった皆様に感謝。

疑問を出したり、感じるところをシェアした結構いい対話になった。最近気になっている神仏習合、明治時代に日本人が近代化と引き換えに置き去ったものを今新しい形で取り入れているのではないか、ウクライナとロシアで起きていることは人の意識発達のフェーズの違いと対応させて説明できそうだ、などなど。リフレッシュした後だから、メンバー誰もが新鮮に考えられるのかもしれない。メンバーが発する言葉に、はっとすることもあり、こういった対話の場はとても居心地よく刺激になる。


20220507 Sat.

勤めていた会社の創立記念日。ゴールデンウィークと重なる場合が多いこともあり、段々と創立記念日であることを積極的に社内で取り上げないようになって久しい。しかし、会社の理念、どういう志で会社が成り立っているかを振り返ることは、古いようで新しい。現代はパーパスという呼び名で、現代に相応しい定義を盛んに行なっている。パーパスを意識しビジネスに組み入れることは、業績目標を掲げてそれを達成するだけとは違う深みや広がりをもたらす。


土曜朝、山カフェというN H Kのラジオ番組がある。今日のゲストは鈴木俊貴さん。少し前のワイルドライフにてシジュウカラが単語や文法を使って、仲間と会話をしているという発見を紹介していた。今日のインタビューでは、その発見に至った経緯を中心に本人の言葉で取り組みを聞けた。

例えば
https://sites.google.com/site/toshinsuzuki/research

・シジュウカラが鳴くので朝5時前に起きてしまう
・鳥がオウム返しをする種類があることは知られていた
・単発の単語(例えば何らかの感情を表すもの)しかないと思われていた
・ところが、シジュウカラを観察していたら、文節を組み合わせて使っていることがわかった。そこには鳴き声に単語があり、文法があった。

これはドリトル先生は本当にあり得るのかもしれないと思えるような、動物学として大きな発見だ。その発見がどのようになされたのかと話を伺うと、インタビューからわかるのは、楽しんで、面白くて研究を重ねていったらここに辿り着いた、ということだ。ここにたどり着くからこの研究をしたのではない。大きな発見をするために、研究をしたのではない。興味深いと思ったことを研究していったら大きな発見につながった、ということだ。

私たちは、よくベストプラクティスを研究する。成功事例を研究する。そのことによって成功する確率を高めようとするのだ。あるレベルまではそれが効果的だけれど、その先は、このアプローチの延長上ではたどり着けない。

大発見は大発見を目指したのではない。偉人は偉人になろうと生きたのではない。(金持ちは金持ちになろうとしてなった人と、意図せずなった人がいると思う。金持ちになろうとする人は大勢いるが、実際に金持ちになるひとは少ない。)

話が逸れたが、シジュウカラの言語を見出した鈴木さんが気づいたことは、
・人間だけがにんげんの世界の中に留まっている
・シジュウカラの世界を知ると、(人間の個人を観ている、警戒する相手:威嚇、大丈夫な相手;近くでも活動する)世界の認識が変わる
・これからの研究により、人間が見る世界の認識を変えることにつながるかもしれない

と考え、現在も研究を続けているそうだ。これからも注目していきたい。


20220508 Sun.

出羽三山は山開きのタイミング。5月から9月は登山者、参拝者がいるが、それ以外の期間は寒く雪のある時期で山も宿坊も閉じている。山開きのタイミングに出羽の羽黒山に高名な思想家、哲学者、僧侶と山伏が集まり行われた対談。

日本の知性でもある方々が登壇する座談会をオンラインで視聴。

内田樹、内山節、藤田一照。この御三方の話は、知的好奇心をかき立てメモする事が沢山ある。実際、話を聞きながらスマホにメモを取ったら、この3人のコメントばかりだった。

お話の一部
・身体性を伴う学び、知は、必ずしも言語化できない(藤田一照)
・言葉は先祖から代々集積されたものを発している(内田樹)
・霊性とは、いわゆるスピリチュアルとか特殊能力ではなく、人類の集積や自然の営みを意識していること(内山節)(三点目は私なりの言葉選び)
・近代以前に戻るというより、近代化するために、ないがしろにしたものを改めて統合する。かつての霊性ではなく、これからの霊性(内山節)
・コミュニティでの意思決定にて必ず投げかける問い
 ー自然はそれを求めているか?
 ー祖先はそれを求めているか?(内山節)
  +
 ー子孫はそれを求めているか?(私が追加)
・幸せに暮らしているか=それを思うことが祈り 宗教化・儀式化されない祈り。現代は祈りとは儀式化されたものという入口に片寄っているかも
・祈りがあるからこそ、力を持つ仏像や山。
 →もともと力がある場もあるし、祈りが力を高めていることもある
・山の力が落ちている。ひとつは観光地化、祈りがない。
 例、富士山。力ある山だけど、観光登山対象として力落としてる。
   経済力は上がっている(内山節)


一方、心に沁みて、何かを得ているのだけれど、言語化できないことをおっしゃるのが星野先達。祈りについて、場について、お話されていた。体感して腑に落ちるという経験は頭で理解するだけとは異なる。体感する知性は、言語化しにくい、それはロジックで示せないからなのかもしれない。


ゴールデンカムイ。ヤンジャンで無料公開していた。本日までと知ったのが、4月末。最終日の今日、なんとかコンプリート! 

前日の段階では絶望的だった。スマホの画面では細かい文字を読み取れず、いちいち拡大しているとスピードが遅くまどろっこしい。タブレットを持っていなくて、本当にどうしようかと困惑。コンプリートしないで手放してもいいのだけど。そして思いついたのは虫眼鏡みたいな、拡大シートを持っていたということ! 丸善で売っているそのシートをスマホと目の間に入れて、自宅で読むなら恥ずかしくもないだろうと。

タテ 5.5cm ヨコ 8.5cm

この方法をあみ出した午後からが早かった。前日70話。午前中で150話だったところ、21時に314話へ! 午後は、ペットボトルに病院で仕入れたストローを備え付けて集中体制。きつかったけれど、樺太前後から俄然面白くなりスピードアップ。

登場人物については、時々わからなくなるので、一蘭を見つけてそれを手元で参照できるようにした。また読了後、脈絡が曖昧なところは解説サイトを見つけて補った。

>登場人物

登場人物に関する詳しい情報 例:アシリパ


はぁ。

私が育った頃は、アイヌ民族についてそれなりに説明は聞いたことがあった。ただ東北から上がっていった日本人とアイヌの対決という文脈ばかりだったように思う。昔、北方民族とアイヌが交流していたことは、鏃(やじり)の遺跡を見たときに常呂遺跡などで知ったけれど、それは3−13世紀のこと。近代にシベリアの民族と交流があったとは、想像が及んでいなかった。漫画は、史実を組み合わせ再構築して描かれているので、漫画の通りではないが、そのような交流もあったのだなと思うと、近代の知見が欠落していることを強く認識した。

そして今30代、40代の方々は、さらに授業で伝えられていない場合が多く、ゴールデンカムイを通じて初めて知ったことも多かったようで、漫画が教科書がわりなんだなと感慨深く思った。


20220509 Mon.

ロシア戦勝記念日

もう戦争しない日

正義だから戦うというロジックの矛盾


この日までに戦争の結果が出ているだろうというおぼろげな感触があったけれど、実際そうはならなかった。むしろ長期化する雰囲気の方が濃い。モスクワで行っている式典の間にもウクライナにてロシア兵が攻撃を行なっている。


実家へ。

B B C放送で、アメリカでバイデン大統領が「法律にサインする」とセリフを述べてサインする場面を放映していた。そんなパフォーマンスが、この事態の改善に貢献すると思っているのだろうか? それがこの事態に必要なことだと真面目に考えているのだろうか? あまりにアホらしくて悲しくなる。あなたが行っていることは火に油を注いでいるようなものだ。

ドイツのショルツ首相の発言も、この日、ナチス・ドイツの反省と、戦いを繰り返さないことを確認するはずなのに、戦意明らかなスピーチだった。前首相のメルケルさんなら、もっと意義深く毅然としたスピーチをしただろう。

ロックバンド、U2のボーカルのボノさん、8日、キーウ地下鉄の駅で演奏する様子が報道されていた。ゼレンスキー大統領の誘いでサプライズなイベント。ヨーロッパで連合国としての戦勝を祝い、平和と統合を願うため、戦下でできる最大限のことで祝意を示したのかもしれない。


20220510 Tue.

実家にて除草剤を撒いた後の、今年初の芝刈り。草取り。


エリザベス女王、97歳。歩行困難のため移動に支障があり、国会での政府方針伝達をチャールズ皇太子に代わってもらった。エリザベス女王は年齢に関わらず、綺麗な色の服を着て、しっかりした顔つきをしている。目が輝いて好奇心に満ちている。くたばったヨボヨボな感じを受けないのは、手厚く周囲がケアしているからであろうが、あの目の輝きはすごいなと思う。

必ず近いうちにやってくるエリザベス女王が亡くなるXデー。混沌としてきた世の中はますます重しを無くしたように混乱していくような気がする。揺らぎが生じて、イギリスの、大英帝国の、ロスチャイルドなどの、今からみたら横柄で独善的な資本ゲームが変わっていくのかもしれない。


フィンランド・スウェーデンのN A T O加盟について、これはロシアにとって逆行する事態。これまで中庸を保つ形をとっていたのに、一挙にN A TOテリトリーとなる。ロシア暴挙に対する反応であって、熟慮の結果を思えない。それだけ脅威に感じているということだが、どのような形で現在の軍事侵攻が終わると各国首脳は考えているのだろうか。


15年くらい前、何度か通った料理屋さん、新潟県上越市にある「たぬき」の店主から達筆な手紙が届いた。今年3月、たぬきの料理を撮影した写真が出てきて、それをお送りしたからだ。この店は二人で切り盛りし、料理・生花担当の方、お客さんのお相手をしてくださる方、そんな分担だった。

15年くらい前にお店に何度か通ったのち、相方のお一人が亡くなりお店を閉めた。今年十三回忌だったそうだ。亡くなったのがお正月で、その十三回忌を春に行う直前に写真が届いたのだそう。
相方が亡くなったのち、気丈に元気にしていらっしゃることは時々連絡して知っていたが、写真を送って迷惑かもしれないという思いもあり、また、どんな文面を添えたらいいかも少し考える必要があった。
でもちょうど良いタイミングに、法事の参列者と写真を見ながら懐かしむことが出来たとのこと。相方さんのおかげで自分も勉強し成長したとのこと。そんなことが書かれていた。

送ってよかった。


20220511 Wed.

Vironでパンを購入。もはや贅沢品だ。でもパリパリした食感が絶品で他のお店とは違う。今日はこんな贅沢をする理由もないし、むしろカロリー摂取も支出も節制した方が良い時期なのに、近くの本屋へ行ったついでに贅沢した。

いつの間にか、ものの値段が上がっていく今日この頃。

パソコンも日々値段が変わるという。半導体の値段や部品調達状況が日々反映されるというのだ。そんな生鮮食料品のようなものだったのだろうか? インスタントコーヒーを買おうとしたらいつの間にかパッケージの容量が少なくなっていた。1パックの値段はむしろ下がっているのだが、容量も少なくなり100gあたりの値段が高くなっている。

物価の変動をきちんと把握するためには、4月以前の値段と容量を覚えていないと、どれだけの値上げなのかわからない。把握していなければ、なんとなく食費が1.5倍になっていた、という曖昧な状況に陥る。この状況は腹立たしい。把握したいという気持ちがありつつ、全て把握することは面倒だ。せいぜい4, 5品しかできないなぁ。

こうなると、お金の使い方、考えるなぁ。

これまでも日常生活では基本的に節約し、価値あるところでは枠に囚われない支出も行なってメリハリをつけてきた。価値あるところで枠に囚われる必要があるのかもしれない。

食べ物は、健康的か・悪い材料を使っていないか・値段が材料や手間と釣り合うか・コストパフォーマンスが良いか、などが指標。必ずしも値段の高さではなく、安くてもコスパ悪いぼったくりは利用せず、高くても十分価値あるものを時々楽しみ、普段はできる範囲で作ることが栄養面も費用面も私は納得できるだろう。

お金はエネルギーだという人もいる。流せば流れてくる。縮こまりたくはない。


整形外科で骨折後のリハビリ。マイクロ波照射。8分。

長く続けているけれど効果あるのかはよくわからない。照射しない場合と比較実験しているわけでないから。今現在、骨折したところは繋がり、日常生活に支障はない、しかし、ふとした拍子に力が入らないことがある。そのため物を取り落とすことが2週間に一度くらいある。

昨日は冷蔵庫に入っていた茶筒を取り落としてしまった。その拍子に茶筒の蓋が開き、冷蔵庫の中で日本茶の葉を散らしてしまった。特に不注意をしていたわけでもないけれど、左手で取り出そうとして落とした。こんなことがあると、茶道の席に呼ばれても茶碗を持つことが怖くなる。

やはり手の専門に見てもらおうかな。普段、右手とは違う違和感を感じるのだ。時々小指の第一関節から先が痛いとか、薬指の第二関節のあたりに違和感があるとか。神経の問題だとすればここでしっかり直しておかないと将来指が曲がり動きにくくなるかもしれない。人生100年時代、身体のパーツは大事に使おう。

来週、しまなみ海道のサイクリングへ行く。2日間で70キロ余り。アップダウンもある。先日膝痛のためレントゲンを取り関節に異常はないことが分かったけれど、今日も階段を降るときに右膝に痛みが出る。これはどのようにケアすればいいか、そもそも準備として何に気をつけたらいいか、手首のリハビリついでに理学療法士の方に伺ってみた。

膝のお皿の下、内側が痛いのは、靭帯ではなく大腿四頭筋の腱なのだそうだ。大腿四頭筋のストレッチ、腰周りの筋肉・関節の柔軟性を高める、サイクリング中は休憩時に膝を冷やす、そんなことをアドバイスしてもらった。ありがたい!

服装や持ち物の準備もさることながら、身体をメンテしながら行くことが最重要課題だ。身体を大切に使う実践経験値を高めている今日この頃。


夕方。昨日の晴れに続いて、今日も雨は降らず。天気は曇りがちだけれど日照もあり、穏やかな一日だった。


20時からインテグラル理論のオンライン講座。門林さんのレクチャー。早くも5回目最終回。うち2回は録画視聴していて、密度低めな参加状況になってしまった。しかし参加した3回に得たもの・感じたものは、深く印象に残っていてインテグラル理論を日々生かす際の参考になっている。録画を再度見ることを前提に門林さんが資料を作成してくださっているので、ゆっくりまた見ていこう。

門林さんは、丁寧な語り口で、ご自身の豊富な知見をシンプルにまとめて権威づけせずに教えてくれる。インテグラル理論は、さまざまな理論から構築されたメタ理論で扱う情報量が多い。さらに人生や世界に対する捉え方(認知、目線)を提示している。だから学び手が、どのような情報をどんな文脈で受け取り、どのように理解していくか幅が出てくる。導き手の世界観によっても幅が出てくる。富士山にいくつか登山道があるように、インテグラル理論にもいくつか道があるように思う。自分にしっくりくる道を見つけられると同じ山を楽しく登ることができそうだ。


20220512 Thu.

母親のパソコン購入。

もう10年近く前にデスクトップパソコンを買ったけれど、あまりそれを使わず、その間にiPadやスマホが登場し、メールやたまに文章作成をこなしてきた。作業しやすい画面で、家の中のフレキシブルな場所でパソコンを使いたいという。

デスクトップパソコンは、もはやO Sアップデートも出来なくなっていて、新規購入しかないという結論に至ったのが4月。意を決して、母と私のパソコンを同じメーカーのものにして、ある程度私がサポートできる体制にし、かつ、手厚い有料サポートも入れることにして、ノートブックパソコンを買うことになった。

国産PCはサポートが手厚いようだが、値段が高い。H Pは私が前回購入した時にハズレ端末だったようで痛い思いをしている。それでレノボに決めて、店頭で14.5型を選び初期設定もその場でしてもらうことにした。サポート含めて11万円。アタリ端末で4、5年持ってもらいたいものだ。端末に慣れるというコストもあることだし。

初期設定のため、夕刻の2時間半程を藤沢で過ごすことになった。P C選びや購入手続きをして結構疲れたね、とまずは、この辺りのソウルフード古久家へ。二人でシェアすることにして、前菜3点盛り・五目焼きそば・餃子。素朴で美味しくて、昭和感溢れるレトロな店内が愛されているお店だ。二人して炭水化物で太るねと言いながら、久しぶりに堪能してきれいに平げた。まだ時間は2時間近くある。隣のビルのスタバへ。オープンスペースにあり、ほぼ席は埋まっている。空いた端から埋まっていく。運よく二人がけを見つけて読書しながら時々おしゃべりをした。周囲は勉強している高校生、会社帰りの女性たち、母子、一人で来ているおじいさん、私たちのようなおばあさんとおばさん。空気がよどみがなく、流れがある場所だった。やはり藤沢はいいなぁ、住みやすいところだなぁと感じる。

古久家

ちなみに、藤沢は、40年位前からペデストリアンデッキを作り、2階レベルで線路を跨いだ北側と南側の行き来ができるように駅周辺が構成されている。元々あった地下道も最近整備されて綺麗になった。利便性が高く、誰もが住みやすい場所なのだ。名店ビルという名称の誰にも馴染みがあるビルを近々建て替えるという。利便性を損なわず、入居店舗も従来店も活かした形になることを願っている。

私たちの隣にいた女子高生二人に変わって、男子高校生が二人やってきた。彼らも前の二人と同じく、ストロベリーフラペチーノを飲んでいる。「うめぇ。」素直でかわいいなぁ。


20220513 Fri.

『「わかりあえない」を越える』読了

かつてその人々は、テロよりもずっと穏やかな方法で苦痛を表現していました。わたしたちが経済的、軍事的ニーズを満たすためにとった行動によって、彼らは、自分たちの最も神聖なニーズが蔑ろにされていると感じ、その痛みをわたしたちに伝えようとしていたのです。ところが、私たちがその痛みを共感的に受け止めなかったため、彼らは苛立ちを募らせていきました。最終的に、その苛立ちはおぞましい形に発展したわけです。

p.186『「わかりあえない」を越える』 訳)今井麻希子、鈴木重子、安納献 2021年12月発行 
原著 Speak Peace in a World of Conflict by Marshall B. Rosenberg 2005年発行

これを読むと、プーチンの問題と、プーチンを取り巻くわたしたちの問題があると思い至る。その人々=プーチン達、わたしたち=西側諸国・NATO。どちらの人にもこの文章を読んでもらいたい。

・プーチンが正しいわけではないし、西側諸国が100%正しいわけではない。ゼレンスキーだって正しいだけではない。
・このまま戦いを続けて、どちらかが負ける、というストーリーを実現させていいのだろうか?その後、世界はどうなると思っているのだろうか。
・ウクライナとロシアの関係だけでなく、世界中の国々の関係性を考えたら、戦っている場合でなく、対話することが喫緊の課題だ。その時ロシアを諫めるだけでなく、西側諸国の過ち(例えば、ロシアを侮っていたのではないか)なども対話する必要がある。

「べき論」ではなく「ある論」。現状を認めた上で、その一段深いところにある願い・希望・ニーズを明らかにする。お互いのニーズがわかると人間どうし分かり合える領域がグッと広がる。国と国の関係性も変わる。
歴史的な流れを尊重しその中で生まれた痛みに敬意を払いつつ、個人を含む、部族を含む、民族を含む、国を含む、地球を含む論理でそれぞれに居場所を作る。


20220514 Sat.

昨晩放送されていたNNHKラジオ『高橋源一郎の飛ぶ教室』で坂上香さん(映画監督)が出演していたのを聞き逃し配信で聞いた。

映画『プリズン・サークル』を監督した人。映画は2020年に公開され、その後、地方で上映されたり、オンライン上映されながら徐々に広まってきた。ラジオでは、映画監督になった経緯や、転換点となったアリス・ミラーとの出会い、アメリカでの撮影経験、島根県での『プリズン・サークル』撮影のエピソードなど、この方の考え方や人柄が感じられる内容。最近メディアに登場するようになったのかもしれない。段々と受け入れる準備が整ってきてこの映画が必要になってきているのだろう。

人を人として接すること、近しい人がその人を心から尊重すること・大事に思って接すること。それを誰しも必要としている。反対にそうしてもらえず、傷ついている人には、その傷つきを理解し、どのようにそこを紐解いていくのか、専門的な知見が必要な場合もあることを多くの人が知ることで、適切な手当ができるようになるはず。坂上さんは1990年代から関心を寄せ取り組んでいらっしゃるそうだ。

テーマとしている暴力からの回復は、悪いことをした人は悪い、という理解から一段深めて人を理解し、アプローチすることで再び人になっていく。



鶴瓶が聾者の父親役を演じる父娘物語。街の開発が絡んでいてその経過とともに、父と娘、父と地域、娘と恋人との関係が深まっていく。『しずかちゃんとパパ』 鶴瓶が役者として芸域を広げているなぁと感じる。(このNHK番組はすでに放映終了。アーカイブ配信あり)

最近、各地で再開発が進んでいるが、それに反対する運動も起きている。

単にデベロッパーが建物や街の動線をきれいにして、そこに入るこ綺麗な店舗から高めな家賃を集めるビジネスモデルは、既存の街の人的つながりを無視していたり、個人商店が排除される力学が働きやすい。すると、これまで500円位で食べられたような店が一軒も無くなり、1000円払っても量的にも栄養的にも満足のいかないこ綺麗な店に変わる。提供される食事は、添加物が多い加工食品にシフトする。素材を活かしたメニューは非常に高額になる。

こうなると、収入によっては払えない人が生まれてくる。それは、街の人々の暮らしやすさを犠牲にすることになる。お金があり、活躍している層だけに居心地良い街になる。

このようなビジネスモデルでは街が衰退するのではないだろうか。一時的にデベロッパーは儲かるだろうけれど。

高円寺でのパレードチラシ
元々高円寺のイベントだったが類似した状況の住民がここへ合流することになった

藤沢や、渋谷を歩いていて思うことは、街づくりも大事だし、そこにいる私たちの行動も街を作っているということ。お互いを思いやり、例えばゆっくり歩むお年寄りがいたら、その動きに配慮して歩くことで、その街は暮らしやすくなる。ここはゆっくり歩む場でないとぶつかるようだと、適応できる人しか暮らせない街になる。多様な人が暮らしやすいことは、自分も暮らしやすいということ。他者もじぶんも大切にすることが暮らしやすさを作るのだと私は思う。

大きな空、水、トイレ、風呂、安心して眠れる場所、食事、本、学び、そういったものを誰でもが享受できる


20220515 Sun.

妹に付き合って、ベイスターズのガルズ・フェスティバルへ。雨が降りそうで降らず、時々日がさして眩しくなる程度の過ごしやすい日。

阪神対ベイスターズ。横浜は投手を3人も投入しているのに、うまく運ばない。ヒット数は大して変わらないのに、阪神は普通に手堅く進めている。打順は阪神ばかり先へ進み、横浜はゆっくりと一巡した。6−1の時点で、ベイスターズファンの妹は「もうこれ以上悲しい思いをしたくない」と帰ることに。結局8―1だった。

大谷翔平選手は、昨日100号に続き15日には101号ホームランを記録。

横浜中華街を抜けて、みなとみらい線へ。同發で中華菓子・にら饅頭・肉まんを購入。

穏やかな1日。
一つだけ、穏やかではないことがあった。なんと電車の中で叱られたのだ。妹と並んでお喋りしていたら、妹の隣にいた50代くらいのオジサンに「うるさいっ」と叱られたのだ。少し前に私が笑った声が若干大きかったかもしれない。けれど、マスクをして普段通りに話していただけだと思う。
「少し静かにしてくれませんか」という声かけなら素直に受け取れるのだけれど、小学生かのように叱られて、驚いた。
そのオジサンには、ひどく気に触るような何か事情があったのかもしれない。
もちろん下車するまで5分ほど黙って過ごしました。

母はP Cを木曜日に購入後、初期設定してもらって家に持ち帰ったのだが、忙しかったり疲れていたらしく、やっと本日梱包を開けて、なんとかgmailを使い始めることができたことを電話で確認。80代。頑張っている。

私は火曜日に出発するしまなみ海道サイクリング旅行の準備がほとんど済んだところ。普段の旅行ではギリギリに準備するが、今回は持ち物が普通の旅行と違うし、体力的な問題もあるし、色々準備を心がけた。

あと、スマホのメモリ確保、アイシング用のスプレー購入、サイクリングコースの最終的な検討だ。お天気も良さそうだし、景色を楽しみながら元気に完走したい。


戦争は全く終わりそうにない。小泉悠、東野響子、兵藤慎治、佐藤優 各氏らの話をフォローしている。次なる危機に備えるような、新しい枠組みも提唱されていない。

お読みくださりありがとうございます。
全く個人的なことを書き連ねたものです。
もし何か共通する部分があったり、何か浮かぶものにつながったら嬉しいです。


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