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2023年8月前半

夏休み真っ盛り、国内外観光客、学生でにぎわう都内や観光地、
盆踊りや花火へ人が集まり喜びを交歓する
コロナは地味に流行っている

これからの世界をどうつくるか
関わる動きが表側でも、裏側でも進んでいるのだろう
自分育て、地域育て、国育て、国と国の付き合う営み育て、
地球育てとはいかず地球の声を聴きながら、
自然の営みのなかで、人間が生きる塩梅を学ぶとき



20230801 Tue.

夜半の雷と雨で3時頃目が覚めてしまった。そこから5時頃まで起きていて、また6時過ぎまで寝たところ。

朝6:30からの音読読書会に、新しいメンバーが加わった。その人は私のことは覚えていなかったので、半分肩透かしもあるが、むしろ面倒でなくて良かった。初対面のように接すればいい。

もう8月かぁ、
誕生月だ


月イチ友人と、今日は恵比寿でランチ&お茶

恵比寿駅ビルAtre内 コダマはお値打ち

ランチを食べていると雨がザーッと降ってきた。しぶきが上がるような激しい降り方。線状降水帯にしてはまだ甘い。これから移動してお茶をしたいのだが、うまく空席が見つかるだろうか。駅近、改札正面にあるカフェ店内をサーッと見回すとあるある。席を確保してお喋り第二部へ突入。
 
彼女は家族で琵琶湖へ行ってきた。障がいのあるお子さんが居心地よいような取り組みをしている場所。車いすでの旅行は事前調整もその場の配慮も必要になる。そんな大仕事をしながら自分自身も楽しんできた彼女はタフだ。行っている間に、施設にいる実母の急変連絡もあり、さらにストレスが増すがそこもうまく対処して、よく確認し、かけつける必要はないことがわかり予定通り旅行を続けたそうだ。戻ってきてお母様のケアにも入る。そんなことを重ねて、自分自身のストレスが高まり、今日は眼科診察を受けた帰りだという。
 
話をきいて、私には出来ないなあと関心もするし、ドラマの多い人だなとも思う。話すことでスッキリする部分があるだろうし、誰にでも話せるものでもないから、私もそれなりにお役に立てているかもしれない。
 
今日は私にも話すドラマがあった。彼女に初めて5月29日からの一連の話をランチを食べながら聞いてもらった。これまた話せて聴いてもらえる相手は限られるので有難い。自分のなかで整理し、ある意味正当化していることを一旦外に出してみることは、私にとって必要。
 

映画『ミッションインポッシブル デッドレコニング』

 
PART ONEか~
ちょっと退屈したなぁ。
列車のバトルって、他の映画でも見せ場になっていて(鬼滅の刃でもあったし…)だいたいパターン化してくる。だいたい読める。今回も想定内でほとんどのことが進み、最後に、普通はないシーンがあったけれど、それが長すぎてやや退屈してしまった。
 
今どきの映画、もう少しぎゅっと短くできるはず。


明日はYeLL、プレイヤーさんとの話。あと4回あるうちの1回。
どういう話になるだろうか。
現在地はどこか。
プレイヤーさんに見えている景色、プレイヤーさんにとっての前進は何か。
サポーターの私からみた景色、プレイヤーさんの伸びしろ仮説、
何を灯台として進めることが適切だろう。
その場で何が生じるだろう。


7月31日に会った友人が、100kmWalkに参加するといっている。私は気になっている。でもいまの状態で参加したら、30キロくらいでリタイアしそう。準備しても70キロくらいでリタイアしそう。完歩出来た場合も最後の20キロ、いや残り3キロでも、とても嫌々歩くことになりそうだなぁ。完歩したら、私も結構やれるなとか、これならスペインの巡礼の道も歩けるとか、思えるだろうか。

そんなことを考えながら、これにチャレンジするのはいいけれど、外に材料を見つけて自分がやるべきことを回避する理由にしていないか?という突っ込みが浮かんでくる。

いつもそうだ。
片方に引っ張られると、もう一方が引っ張る。

以下自問自答
やるべきこととは?
回避してどんな得を得ているのか?
私にとって本当のチャレンジは何か?

やるべきこと:
タスクレベルで部屋の片付け、自分の心のなかのゴミ掃除、何か注力してやりきること(100km歩行はこれにあたる)

回避して得ていること:
失敗する屈辱を避ける、安全領域コンフォートスペースに留まる。
完璧主義の裏返し。(裏返しても完璧主義にはならないけれど。)

これを続けるとどうなる?:
一生、語っているだけの人生。危険もなく、うっすら満足する人生。

そのとき尊重されていない自分はどういう自分?:
体験したい自分。自分自身に変化を感じたい自分。
できれば自分以外の何かに寄与した実感を持ちたい自分。

語っているだけだと、日々生きるけど、何も達成しないだろう。
"本当のチャレンジ"に直結はしないけれど、歩き通せたらそれはそれでひとつ達成したことになる。

意味のない達成にすがるような気もするが、やってみてもいいかも。
やってみたがっている自分もいる。

20230802 Wed.

今日は、幼い頃に週一回会っていた友達の誕生日。
その人は二十歳になる前から漫画家としてプロ活動をしていき、その頃から疎遠になってしまった。元気だろうか。

Webをあちこち探すと、いたいた! 元気みたい。
大御所とのインタビューでは”謙虚で実力供えた人物”という感じだなぁ。

紡木たく、『ホットロード』が大ヒット。熱心なファンが生まれた。
確かに、くらもちふさこの描く絵と雰囲気がどこか似ている部分がある。



YeLL プレイヤーさんの話をきいた。
いい感じかと思ったが・・・やっぱり教授になってしまってるみたい。

いい感じだったところは、プレイヤーさんが自分で工夫したヒアリングを行ったこと、それを受けて次の策を決めて準備していること。私は話を伺い、どういうところを工夫したのか伺い、プレイヤーさんの考えを支持し、工夫を素晴らしいとお伝えした。次回はその先の話を伺える。とても楽しみだ。

やはり教授してしまうという部分。こうなるのは私が言いたいから、彼が聞こうとする力関係が生じているのだろうか。実際あったやりとりは「教えて貰ったことに感謝する」関係を作っていた。自分に役立つことをここでゲットできることが現在の自分の能力にプラスすることになり、話した成果になると思っているのかな、と彼の期待に応えようとした結果、私が教えるスタイルになった。

なにかをゲットするより、自分なりのやり方を見つける体験をして、その重要性を実感してもらうほうが大切な時期だ。
ひとつ自分なりに道を開いたら、次もやってみようと思える。その積み重ねがその人の力になる。

だから教授するでなく、この方の学びを支援して、学びを得られたことを一緒に喜びたい。
どんな問を発すると役立つだろうか。


免許証書き換えと注文書籍受取のため、猛暑の14:30出発。
それなのに、また私らしいポカをした。免許は眼鏡等なのにメガネを忘れていたのだ。あえなく視力検査の手前で出直すことに。更新料3000円はそのまま返してもらった。

カッコ悪いなぁ。本来なら写真撮影してもらうスペースを素通り。写真スタッフのおばさんが「なんで帰っちゃうの?」おじさんが「3000円返却してた」との声に、笑って返すこともできず失意のまま、二つ目の用事だった本屋へ向かう。
一気に二つの用事を片付けるはずだったのだけれどね。

途中、豊川稲荷(神田錦町二丁目)、五十嵐稲荷神社の脇を通った。豊川稲荷なんて、変わったビルだなぁと道の反対側の建物をじーっと見たらそこに細く鳥居があり、その奥になにかを祀ってあって、ここが神社なのだとわかった。五十嵐神社はそれと比較すれば神社の体裁ていさいがまだ残っているが、広い敷地もなく、かろうじて御神木と本殿を祀った建物と多めの木々から成り、一般住居の並びにある。

豊川稲荷(神田錦町二丁目)
五十嵐稲荷神社

都会の神社は、このような形であっても、残されていることが貴重な価値だ。神田錦町・小川町、こういった町だから残っているのだろう。

神田~神保町 地図  (緑字:五十稲荷神社、豊川稲荷)

取り置いてもらった岩波の雑誌を店で受取り、コーヒーフロートを注文して座り込む。明らかに観光できているフランス人4人家族が暑さから避難してここで時間をつぶしているようだ。夕方の日差しになったら、みんなで出て行った。この時期の観光は大変だよなぁ。それにしても、良い場所を見つけたよなぁ。本屋の奥にあるカフェスペース。

何年ぶりか コーヒーフロート

雑誌の新潮45が杉田水脈の発言扱いを誤り廃刊に陥ったが、岩波『世界』などこの手の雑誌、案外と売れているようだ。特集によって、売れる号・売れない号の差が大きいようだ。
岩波『世界』は今回安倍首相のレビューを扱った7月号が大いに売れて、在庫ゼロ、重版をかけた。安倍さんを評価するひとも、批判的な人も両方にとって興味深い内容。

ちなみに同じ雑誌が図書館にもあった。が、ほとんど読まれた形跡がない。『Hanada』のほうがよっぽど読まれている。


夜電話で母いわく、「今日、眼医者へ行くために出かけたのだけれど、どうしてこんなにヨロヨロ頼りなく歩いているのかと我ながら驚いた」と。うーん、最近、特に今年、さらに特にこの夏、母上はゆっくりフラフラ歩いているよ、と思う。時々、アキレス腱を伸ばしたり腰のウォーミングアップをしてから歩いたときは、ちゃんと歩いている感じにみえる。
「疲れているんじゃない? 体操してから歩く方が、ちゃんと歩けるよ」とは伝えた。

半年か1年前なら「そういうのは年寄りっぽい。こうしたほうが若々しい」と言えば、やっていた母だが、一段老人の階段を下りたなぁ。

それをどうにかしたい、少なくとも、可能な範囲のなかで最も快適であってほしい、と思う。でもこれは私のコントロールなんだろうな。

母は意識では違うと思っても、身体は老化していく方向。

私にとっては年を取っていくことはどういうことか、身をもって見せてくれる先生でもある。
私自身について教えてくれる相手。
いまや夫も失った私にとっては貴重な存在。


20230803 Thu.

昨日から、カストラート・カウンターテナーについて、動画やWeb記事を読んでいる。7/31藤木大地さんのコンサートの余韻。

スペインからイタリアへのプレゼントとしてイタリアへ送られたのが、イタリアにとっての最初のカストラートだったそうだ。(スペインでのカストラートはどういう位置づけでどのように始まったのだろう?)

18世紀(1700年代)、ローマ教皇など宗教界の力が大きい時期、教会では女性は歌ってはイケナイことになっていた。ボーイソプラノがいる少年合唱団はその名残。宗教曲が最上とされる社会において、幅広い音域をカバーし、なおかつ表現力・パワーを最大にするために、去勢した男性=ソプラノの声をもち、男性なみの体格から豊かな声量を持っていたのがカストラートだ。

同時代バロックの大作曲家といえばヘンデルで、彼が沢山の素晴らしい曲を作り、そのなかには高音で、技巧的なオペラや歌曲があった。音域も技術的にも最高度を追及したことから、それを歌えるカストラートは大人気。

その分、収入も良かった。小さな町の教会の合唱隊に、歌がうまい男の子がいたらカストラートになる夢があったらしい。貧しさから抜け出す手段、手に職を付ける手段になっていて、熱心に親が子供の才能を訴えて歌を学ばせようとしたらしい。しかし成功するのはそのうちの1割に至るかどうか。

流行ったのは70年~80年の間のことで、現在はカストラートは禁止された。

現在は去勢することなく、カウンターテナーやソプラニスタという高音を出す男性歌手がいる。カウンターテナーが低音寄り(アルト・メゾソプラノ・ソプラノ)、ソプラ二スタが高音寄り(ソプラノ)という区分もあるらしいが、定義は厳密ではないそうだ。
もともと声楽は女声・男声という区分をするが、このあたり、性自認・トランスジェンダーの考え方から今後どうなっていくのだろう。(もちろん高音を出す人、イコール女性的という意味ではない)

現役ソプラ二スタ 木村優一さんのnote

最後のカストラート アレッサンドロ・モレスキ(4分)

映画『カストラート』のメイキング映像(50分)
映画を観ていないが、このメイキング映像は大変面白かった。カストラートの声をいかに映画に取り込むか。歌手の力量と音響技術との合作だ。


カストラートについての説明(20分)

フレディ・マーキュリーは、性自認男性で、バイセクシャルで、7オクターブの声が出た。彼はカストラートとは無縁、つまりそのような職務意識は持っていなかったが、声量がパワーがあり幅広い音域を歌えるという点で、とてもオペラティックだった。Queenの楽曲のほか、モンセラート・カバリエとの演奏に現れている。


二度目の神田免許更新センター。
メガネをかけて視力検査を通過し、晴れて、免許更新完了。
旧姓併記も出来た。
戸籍は近いうちに書き換えるので、それが済んだらICチップの情報変更手続きをしよう。

運転免許試験場や更新センターは、社会の様々な場所に居る人が集まってきて面白い。ある意味、野球場と似ている。
それに対応する職員の人達も、味があり面白い。語調というか、人によりその人独特の口調で、誰にでもわかるように、なおかつ権威的でなく確実な表現をする。

受付の人は、過不足なく手際よく確認する。

更新講習の方は、①研修内容に集中し、それ以外のことをするな ②終わったら個別書類を提出せよ ③寝るなと伝える。③については「居眠り禁止です」とは言わずに「皆さん日々お忙しいなかと思いますが」と思いやった上で「上のまぶたと下のまぶたがくっつかないように」して①を完遂せよと注意を促す。

1日に何回も、年間にしたら何千人もの人を相手に、伝えて指示してきた人が作ったカタ、それが面白い。


免許証の写真、これまでと違って髪の毛を染めていないから、一気に白髪頭となり、背景の水色に馴染んでいる。水色に黒と、水色に白では、ずいぶん印象が変わって驚く。

家に帰って、これまでの免許証、パスポートを並べて顏を見比べてみる。
大学生から今まで、各々5,6枚ある。だいぶ変わってきたなぁ。

50歳を越えたら、自分の顏に責任を持てと思って来た。誰か有名な人が別な年齢で似たことを言っているかもしれない。50歳以降の私の顏、数年ごとに変っている。途中変な顔になっていたが、今はオッケー。

20230804 Fri.

今日は2023年で最もラッキーな日とされている。
大安、一粒万倍、天赦日。
7/26-8/12まで開いているライオンズゲートの中程。

SNSで新しい取り組みを宣言するひと、
今日が誕生日の人、
皆さんそれぞれに今日を意識している様子がSNSから伝わってきた。

そんななか、私は今日をどう過ごそうか、特段のことがなく手持無沙汰のような気もするし、落ち着かない。変な私の状態。

最近、人との交流が復活したり、何となく動きが多い。今日も元の職場の同僚からもメッセージが入ったなぁ。外界が動いている。

特段の出来事はないけれど、内面で決心する。

・100km Walkに出る&完歩したい →申込した&準備事項を調べよう
・掃除して不要なものを整理・廃棄・譲渡する →台所・机下の床など掃除
・離婚届の手続きを行う →本日貰ってきて、記入して先方へ送付完了

あいまいなものを置いておく、ごちゃごちゃした中でも生活していく、というスキルは役立つ面もあるが、それによって見えなくしているものが沢山ある。

究極は茶室のような、必要なものだけがあり、すっきりして、美しい。必要なものはそれぞれ置き場があり、水屋や物置に整然と置かれている、
そんな状態で暮らしたら素晴らしい。それが当たり前な家も沢山あるだろう。

ふふ、つまりは、やりっぱなし、ということに尽きる。
ごちゃごちゃ言いたいのは私のさがかな。あれっ? ごちゃごちゃ?

20230805 Sat.

ウクライナ和平の話し合いが行われた。
サウジアラビアにて、中国やグローバルサウスも集まり開催したという。

トルコ、中国、グローバルサウスなど各国が存在感を現わす中、サウジアラビアはイランとも国交正常化を果たし、潤沢なオイルマネーを活かして世界に打って出ている。勢いがあるサウジアラビアは、ウクライナとロシアに対してどのような働きかけを行うのだろうか。

これは裏で他国がイニシアティブを握った動きなのだろうか?


今日は色々なイベントやお誘いが重なる一日だった。
1)中学同級生のミニ同窓会 
 クラス幹事として行くべき、帰国中の友人もいるので行きたかった。
2)この7,8年来の友人の50歳誕生日ライブ
 前回のライブに行けなかったし、満を持して行う場に集いたかった。
3)2度もリスケした昔の職場仲間3人のお喋り候補日
 先方要因で2度リスケになり、1)2)と重なった。

結局、最後に入ってきた案件を選び、かれらの話を聞き、自分の離婚話を聞いてもらうことにした。1)2)は私が行かずとも何ら影響がない。3)が一番今の自分に必要だった。

たいがいは私が聴き役になるので、二人の話を聞いた後、私が最近こういうことになっていて・・・と話すと俄然盛り上がった。ランチ後のお茶はその話題満載。「ある意味、義母様がいなくなったら関係変わるかも、ということだったのに、そうはならないんだね」「うーん、吹っ切るには旅行とか身体使うとか・・・?」
あれこれ盛り上がってくれて、それが楽しい。

実家へ帰る途上、やはり誕生日プレゼントは当日に無いと面白くないなぁと、乗換駅の横浜で高島屋へ行ってみた。あちこち見て、結局1階のアクセサリー売り場で見つけたネックレス、青い色が涼やかで、触ると少しひんやりする融点が低い天然石を選んだ。この色は気に入ってくれるだろうか。

20230806 Sun.

母の誕生日。
毎年、広島の平和記念式典を流して一日が始まる。

今年は広島サミットの後を受けた式典となる。あのとき、核について核抑止を是認するような形で文書が出された。広島市長の挨拶ではそのことに対して明確に意見を述べ、政府に対して核拡散防止条約への批准を求めた。

幼少時、母は広島市在住で、原爆の数ヶ月前に岡山へ疎開していたため原爆を免れた。そのまま住んでいれば確実に被爆し、生命があったかどうかわからない。

昨日用意したアクセサリーは気に入ってもらえたようだ。良かった!
お昼は遅めの時間を予約してある、つるやのうなぎへ。

鎌倉の有名店ながら、いまだ足を踏み入れたことがなかった。母の願いは「この場所で健康に生きていけること」とのこと。この夏はバテ気味だし、どうも半年1年くらいの間に老化が勢いづいているように感じるので、しっかり栄養つけて休んでもらいたい。土用の丑の日に食べていないし、本日誕生日のごちそうにしよう。

そういうプレゼント企画だったのに、今月私も誕生日だからと割り勘に。

鎌倉のお店だけあって、お重の模様は鎌倉彫
サイズは五段階あるうちの真ん中

1階はテーブル2卓のみ、2階に座卓がいくつかあるそうだ。母はテーブルがよい。お客さんが来てから焼くので、20分くらいしてから食べ始める。

わりとさっぱりしている鰻、お米も美味しい(って、平凡な感想だけど)。

20分待って、20分で食べた。

帰りは駅まで歩いて、母が乗るバス時刻に合わせて、ロンディーノでコーヒーを頂く。
お店の人は、母のことを認識していて「いつもので宜しいですか」と聞いてくださる。私はそこまでではないが、私と母の関係は、おそらく前回行ったときにインプットされたようだった。二人揃っていれば私も認識される。

7/31のコンサートと花火の話などをして、つまり母に聴いてもらって、お店を出た。「今日は席があってご一緒で良かったですね」とお店の方。

■ニュースから
実はあまり報道されていない。サウジアラビアでのウクライナ和平へ向けた会合について。ネット記事を探せば報道されている。

ウクライナ和平に関する会合をサウジアラビアにて開催。

後日出たレポート 

印象としては、エネルギーや食糧の確保といった差し迫った共通課題に加えて、ビジネスにプラス要因が生じるよう立ち回るのかな? ビジネスがサウジアラビアの目的であり、平和でないとビジネスが回らない、という切り口がメインに見える。

倫理的にどうこうというより、多くの国を巻き込むには、ビジネスと連携させることが実際的、との考えなのだろう。


20230807 Mon.

暑さを凌ぐ。映画2本。一本目は絵画、二本目は音楽。

■わたしたちの国立西洋美術館
8/7国立科学博物館のクラファンが1日で1億円集めたとニュースになった。予算制約が厳しいことは同じ国立美術館の活動の一旦を、2020-2021休館期間を中心に記録したドキュメンタリー。
現在関わる人々の姿を通じて複数の観点〜世界遺産登録に伴いル・コルビジェによる前庭から建物全体を当時の形に近づけるプロジェクト、展覧会の裏側、運営はだれのため、国立美術館の役割、予算や人員などが描き出される。

改装後にまだ行っていない私は行って体感したい(翌日行く約束が丁度あった)。松方コレクションを集めた当時の日本に思いを馳せ、常設展も見てみたい気持ちになる。



■RUDE BOY
映画『プリシラ』(1995)公開当時、観た興奮を話したら、英会話クラスの男性教師が、ランバダ、レゲエ、1980. 1990年代のロックやポップスがいかにスカの影響を受けているか熱弁をふるったことを思い出した。スカ自体を知らず、あのとき掴みきれなかった全容を音源とともに紹介してくれる。

この分野に詳しくない私も、1960年代のジャマイカやイギリス、白人社会へ黒人が参画していった摩擦・ジャマイカ人の哀愁、音楽が若者白人とジャマイカ人を結びつけた象徴ウェンブリー・スタジアムなど、インタビューと要を得た再現場面、音源から追体験した気になった。

ジャマイカ人のリズム感は風土と歴史から生まれたもの。それをベースに生まれたレゲエってこういうものだったのね、内から湧き出す音楽が人々をひとつにする、音楽は水のようなもの・色はない、などが響いた。
キーワード: TRUJIAN RECORDS、D・リードのサウンド・システム

昔のものを大事にしたいというより、その営みへの敬意、感謝、そして社会の中で進行していく様への関心、どこか何かで触れ合うことへの期待、そんなものがあるからかな。時間と空間の拡がりを味わえる映画だった。

20230808 Tue.

友人と久々に会うことになり、上野へ。
暑さ凌ぎには博物館・美術館など涼しいところがいいねと相談し、国立西洋美術館の常設展企画『美術館の悪ものたち』を観る。たまたま昨日、この美術館に関する映画を観たので、それも手伝い、常設展をより面白くみることができた。

作品のセレクションそのものが、豊富な所蔵品から何を選んでくるかに腕を見せてくれている。中には特別に面白い工夫をした展示もあって、とても楽しく観ることが出来た。美術館の人に伝わるといいなぁと思い、見回りスタッフの人に聞こえるように、この気の利いた展示について少し大きい声で賞賛した。

下記写真は、細密に描かれたペン画の実物は、およそ20cm✖40cmくらいの作品。そこは本当に緻密で、細々見るには忍耐がいる。でも細々見ると面白い。こんな動物がいるのか、とか、こんな可愛らしいキューピットがいるとか。
そんな面白さを伝えるために、拡大図を並べて置いて「ここにいくつの生物が描かれているでしょう?学芸員はいくつ見つけました」と表示されている。角を曲がると、答えとして生物が描かれた場所が〇で囲われた絵図。
絵を楽しませる工夫に、私達も楽しませてもらった。

中世の恐ろし気な絵。そこに生き物がいくつ描かれているか、というクイズ

その後、上野不忍の池脇にある精養軒本店にてランチ。
昔ながらの洋食を出す昔ながらのレストラン。上野の博物館があるあたりから5,6分歩くけれど、席数が沢山あるので穴場だ。上野駅近辺より入りやすいかもしれないし、あのあたりも結構お値段するのに比べたら、2,000円以内でしっかりした洋食セットを頂けるのは良心的だと思う。

上野精養軒


夕方、妹と秋の佐渡旅行の手配。
JTB金券を長年持っていて、使いどころがなかったのでこの機会にJTBカウンターで旅行手配をすることにして金券を使った。

9月半ばに二泊三日。レンタカーはすでに予約済。

JTBが契約している宿を調べてもらうと1泊は予約できるが、もう一泊は取れない。カウンターでJRチケット、ジェットフォイルの手配等もろもろ進めていただいているかたわらで、Googleマップから宿を探して、良さそうなところが予約可能かネットで見たり、電話連絡してみる。

こういうことをしていると、旅行手配会社の役割は何なのか線引きがあいまいなことを体感する。カウンターで親切に対応してくれているスタッフの方も、ちょっと複雑な気持ちではないだろうか。契約していない宿もあるから、当たり前といえば当たり前なので気にしてはいないかな。

カウンターでの手配中に一泊分の宿は見つからず、JTBさんにお願いすることが完了したので、妹と桃パフェを食べに行った。

そんな約束していたっけ?と、ふと気になったのだが妹は行く気満々。メールのやりとりを辿ってみると、ああ、書いてあった。そういえば、えっ行くの?と思ったのだった。

桃丸ごとをつかったパフェ、豪華だなぁと感嘆しながら注文してほっとしたところで、何気なく希望している宿へ連絡してみたら電話が繋がった。おお、良かった。これで佐渡旅行が確定した。

予定外の桃パフェ


20230809 Wed.


長崎平和記念日。
長崎市長、被爆者代表、国連グテーレスさんのコメントが印象に残った。毎年、広島のほうに気が引かれて長崎は過ぎてしまう傾向があるが、今回は丁寧に読んでみた。

長崎市長 平和宣言

 今年5月のG7広島サミットでは、参加各国リーダーがそろって広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と面会し、被爆の実相を知ることの重要性を自らの行動で世界に示しました。・・・(略)・・・ しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという「核抑止」を前提としています。・・・(略)・・・

 核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。・・・(略)・・・

 日本政府と国会議員に訴えます。・・・(略)・・・

 地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。

市長スピーチより一部抜粋

被爆者代表 工藤武子さん

 現在は、小学校などの平和学習の場で、被爆2世の方々と製作した紙芝居を使い、被爆体験の証言活動に取り組んでいます。・・・(略)・・・

 今、我が国には、被爆者の願いをしっかりと受け止め、核兵器廃絶と平和な世界の実現に向けて活動を続けている高校生がいます。・・・(略)・・・

 その若者たちの姿に勇気づけられ、私は未来への希望の光を感じています。放射能に汚染された灰色の世界ではなく、命輝く青い地球を次の世代に残すために、これからも力の限り、尽くしていくことを誓います。

被爆者代表 工藤 武子さん "平和への誓い"より抜粋

国連グテーレス事務総長

恐ろしい核兵器が使用される危険性が、冷戦以来かつてないほどまでに高まっています。・・・(略)・・・核兵器が完全に廃絶されるまで、核保有国は決して核を使用しないことを約束しなくてはなりません。そして、核のリスクを排除する唯一の方法は、核兵器を廃絶することです。

グテーレス国連事務総長 挨拶より抜粋

■ニュースより
アマゾンに関する南米8か国によるベレン宣言を採択。
乱開発によりアマゾンの熱帯雨林の損失スピードが非常に高まっていることが、原住民の生活が深刻に脅かされていることを多くの人々が心配している。それに対する、国レベルの見える動きがあることに希望を感じる。

しかし具体的な共通目標をまとめるには至らず、共同宣言は出せなかった。各国が共通するテーマ、例えば先住民の権利保護、水質管理、健康問題を掲げているが、石油・ガス油田開発のような各国の利害が一致しない領域は課題確認にとどまった様子。

8か国=ブラジル、コロンビア、ボリビア、ペルー、エクアドル、ガイアナ、スリナム、ベネズエラ


20230810 Thu.

義母様の墓参り。新盆だ。
明日から出かけるため、お盆中日にはお参りができない。そのため早いけれどお参りへ。

3つというか4つ。
夫の家、同じ区画にある石塔が8つまとめてある先代永代のお墓、向かいにある大叔父の家、叔父の家。

14日にそれぞれの家がお花を供えるだろうから、邪魔にならないように小菊のみを差すことにした。こういうやり方がどうなのか、わからないけれど。3日も経つから枯れてしまうかな。

私としては、それぞれのご先祖様にご挨拶する。

特に家の先代永代のお墓には、無事義母様が旅立つことができたことへのお礼。家のお墓は、お会いしたことのない義父様、先日旅立った義母様へ。

この前のお彼岸にも、最後の挨拶だと思って来た。
今回こそ最後だろう。

お寺の前にある豆腐やへ寄ったら湯葉がまだあった。
氷をビニール袋に入れて冷やして持たせてくれる。

ここの湯葉は美味しい。
初めて夫の親戚一同とお会いした場がこのお寺だった。その時、夫の大甥に当たる人が湯葉をお土産に下さったのだ。大甥の母上、大叔母の法要だった。そこで仕出しの他に、湯葉をその場でみんなに出してくれて、それを私が感激して食べたものだから、お土産にしてくださったのだ。

夫との間柄が怪しくなって数年、ここ4,5年はその人とは会うことがなくなってしまった。親戚づきあいが出来て良かったなぁと思うような面白く素晴らしい方だった。こういうことになって残念。

図らずも、湯葉で始まり、湯葉で終わることになった。

美しい夕空が広がっている。
景色を観ようとずんずん歩いてホームの端の方へいくと見えた!
雲の向こうに沈みゆく太陽が隠れ、放射状の光で周囲の雲が光っている。
スマホを忘れて撮影できずに眺めていると、ホームから撮ってる人が2,3組いた、そうそう、これは撮りたくなる!

20230811 Fri.

なんと体重が増えている。最近のうなぎや桃パフェのためかしら。反論はできないな。

朝読書会。
最近の金曜日は、コーチとクライアントの対話を書き取ったものについて、何を意味しているのか、どういう観点で話しているのかを読者同士で話し合っている。

15時過ぎの特急あずさで長野へ。妹のお盆休みに合わせて三泊四日。

早めに母から誕生日プレゼントをもらった。
数日前に私がプレゼントしたのと同じお店のものだった。たまたま、横浜高島屋でみかけたそうだ。そりゃそうだ、私もそこで買ったのだから。

■ニュースから

ウクライナでG7

キーウで開かれた協議。G7主要7か国やグローバル・サウスを含めて58か国の大使らが出席。ウクライナの閣僚も参加しエネルギー安全保障の分野をめぐって議論した。
戦争を継続しつつこのような国際会議を開催できるとは、防空的にも、国内政治を国際政治と協調させる面でも、すごいことだ。戦争だけにフォーカスしていない。

20230812 Sat.

妹と、”世代間格差が定着し、親の世代より貧しくなることが確定している社会構造だ” という話をした。

祖父母や母と交流があった、ユダヤ系アメリカ人Cさんが、30年くらい前にすでに、アメリカ社会に生きる自分達の子供達は、中産階級にギリギリ留まるか、その下へ陥る可能性があると話していたそうだ。1990年くらいのこと。

母は、1950年代半ばに祖父の仕事でニューヨークに住んでいたことがある。そのときに家族ぐるみで付き合いのあったCさん家族。

私も親のような年収に追いつくことが目標だったが、全くそんなことに至らず、ふがいないと思っていた。父と違い女性だからか。父と同じところまで昇進出来ないからか。その要素もあるが、もはやそれが無理なのは自分のせいではなく、日本の経済状況の必然なのだと思えるようになったときは少し気が休まった。

それを30年前にアメリカで言っていたのか。アメリカの後を10年遅れで追いかける日本、その人に先を見据えていたのは20年分くらいなのかな。

最近、世代間格差というと生涯賃金と年金・社会保障の総額という話になる。そのことも重要なのだが上記で私達が問題にしているのは、物価を加味した生涯賃金が右肩上がりではなくなったこと、および、同時代の賃金格差が拡大して、社会構造として中流のボリュームゾーンが上下に分かれたことを言いたいのだ。その結果、クラス感・階層が生まれている。しかし、それを的確に説明する資料をうまく見つけられなかった。

生活実感でいえば、祖父母の時代より父母の時代のほうが、より豊かで便利で快適な生活になった。我々の世代は父母に比べてベターな部分も一部、例えば電子化に伴う利便性はあるが、全体的に貧しくなっている。

平和繁栄した時代のなかで生じる差、それは個人的な努力差なのか、社会構造からやむを得ず作られるものなのか。

>ニッセイ基礎研究所 ・・・こちらも結局は年金と紐づけた話になる
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=35298?site=nli

日本でいえば「中流」というお金持ちでもなく、とりたてて貧乏でもない、生活にはそれほど困らない層が安定的に存在出来たが、現在はちょっとしたことで簡単に貧乏な生活に陥ってしまう状況になっている。

妹は私より3年くらい後に勤め始めたので、ほぼ同じ世代といってよく、似たような感覚をひとしきり話した。

差が生じたとき、日本人は最近は一億総中流といった「みんな同じ」連帯感で社会を作っていた。そこをもう一度取り戻す工夫をするのか、あるいは、クラス感あるなかで「和をもって尊しとなす」という調和を作り出すのか、あるいは調和などは捨て去るのか。そのあたりを国の方向性として考え選択しなくてはならない。


レンタカーを借りられたので、今回は移動しやすい。
天気も良くて、ドライブがてら温泉とハーブ店へ行った。
しかし妹は片頭痛がするからと、ひとり留守番。

妹は、片頭痛がするとどうしようもない、腰はヘルニア手前で仙骨近くの背骨が固まっていて動かしにくく腰痛は致し方ない、仕事は忙しくて変えようがない、という状況にいる。

何とかならないので、耐えるしかない、付き合うしかないという妹なりの結論なのだ。

周囲は何とかならないかと提案するけれど、たいがいのことはお試し済で功奏しない。気をもむが、私達も付き合うしかないようだ。


広い空に様々な雲が浮かんでいて、さながら「雲の日」だ。昨日「山の日」だったから。


20230813 Sun.

あまり愚痴を言わない母だが、最近、父の姉の話になると止まらなくなる。

父の姉は、ある意味困った人。当時あまりぐちぐち言わなかった母は偉いと思う。でも当時言わなかった分、いま同じ話を繰り返す。

どうやら父の稼ぎの多くを姉が吸い取っていたらしい。私が小学生のころ、家が貧乏だと思っていたのはあながち間違いではないらしい。妹を生むことについても、父は姉の許可を取る必要があったらしい。変な話だ。

そんなパターンで進んでいたにも関わらず伯母(父の姉)は満足しなかったらしく、祖父(母の父)の会社へやってきて無心したらしい。父の職場へもやってきたことが複数回あるらしい。

しっかり吐き出さないと、母はきっと成仏できないのだろう。
伯母のエピソードを一生分繋げたら小説になりそうだ。


夜、母が「肩甲骨をこう動かすと気持ちがいい」と話してくれたので、我が意を得たりと「そうそう、肩・腰はどちらも身体の大きな関節だし、その近くにリンパ節もあるから、ほぐすといいのよ。肩は、前かがみになった肩首で固まりがちだから・・・」と言ったら、「そんな首を突き出した格好なんて・・・」と母が笑いながらも憤慨して妹に訴えた。

うーん、別に母が首を不格好に突き出しているというつもりはないのだけれど、(実際は本を読んだりしているとそうなってるし、普段の姿勢も最近とみに背中が丸くなっている)、そう言ったと等しい効果を生んでしまった。

言い過ぎなんだよなぁ。私。

説明するつもりが、相手はそう受け取らない。

全てを言わず、母が肩甲骨を動かしてきもちいいと言ったことだけを、共感すればよかった。

この場に妹がいて良かった。
母は妹がいるこの場を通じて、何が気に障るか教えてくれた。
こういうことはよくあって、私が学んでいないだけなのだけど。

20230814 Mon.

朝、妹はリスがベランダを走っていくのを見たと。私は、東側の窓を開けたら、ザッと音がして、鹿が離れたところまで逃げて行く場面に遭遇。鹿はこちらをみて近づいてこないことを確認して、また草をみだした。

三泊してもう帰宅日。
いつものように朝食後掃除、ひとやすみして帰途へ。
掃除が早く終わり2時間くらい時間があった。やっとそこで母は、ごろっとカーペットの上に横になり私達とお喋りしながら身体を緩めていた。

重力に応じて浮腫むくんでいく足をほぐしたり、本を読んだりして前かがみになりがちな肩まわりを緩めたら、ぐっと身体は楽になり、一日の疲れも多少軽減するというのに。なかなかそうはしない。ごろっとすることが、怠惰で良くないことだと思っているらしい。ごろっとすることは、怠惰ではなく、身体のメンテナンスのひとつなのになぁ。

妹もごろっとして、私は椅子に座って、3人の頭が立体三角形をつくるような体制でお喋りが続く。落ち着いた幸せな時間。


帰りの特急内すぐ後ろの席は、2歳くらいの元気な女の子だった。小学生くらいのお姉さんもいて楽しそう。お母さんは終始小声で穏やかに話している。女の子は比較的やりたい放題、言いたい放題。同乗していた2時間弱の間、1/4くらいは寝ていて、あとは喋ったり、座席を蹴飛ばしてみたり、興奮してせっついていたり、子供のエネルギーは果てしない。

ここでお母さんが声を荒げて叱ったりしないところが、空気をほんわかとしたものにして、周囲も仕方ないかという気になる。穏やかななかでも、言い聞かせてくれたらいいなという気もして、席を蹴らないでくれたら母は寝たのになぁとは思う。でも子供の明るいエネルギーを前にして、目くじらを立てる気にはならない。

自分にも子供がいたら、その生命力に感嘆しただろうし、愛おしく思っただろうな。いろいろと要らぬ心配もしそうだ。過保護になっただろうか?


帰ってきて、昨日届いていた夫のメールを開いた。
送った書類について何の連絡もないので、送った連絡のあとに再度メールしてお墓にお花を供えたことと書類について必要あれば時間とる旨連絡したのだがどんな返事だろう。

なんと「レターパックは届いているがまだ開封していない。お盆明けに対応する」と。

そうくるか。
この人はこちらの動きをまっすぐ受け止めたりしないのだ。
期待しても怒っても肩透かしを食らう。

一瞬腹を立てようかと思ったが、笑えるとも思った。
この先、理不尽で予想外な申し出がないことを祈る。

20230815 Tue.

昨日までのすべすべした肌が懐かしい。台風が近づいている亜熱帯気候な空間へ戻ってきた。今回は体重は安全圏に入っている。ほっとする。
お菓子も食べたが、全体的にゴハンは健康的だった。


終戦記念日。
天皇陛下のお言葉

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来78年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
これからも、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

子供心に、アメリカと戦争をしたのにアメリカ人と仲良くしたり、彼らを尊重していることが少し不思議に思われ、憎まないことが偉いと思っていた。

少し智恵がついてきて、へつらっているとも思うようになった。

だんだんとその感覚が薄れていくとともに、アメリカ人だけでなくイギリス・フランスなども敵国人だったこと、中国や東南アジアの各国からは憎まれていることを知った。でも戦争当事者の憎しみを引き継ぐのではなく、平和にお互いを大切にしていく感覚が良い事で普通だと思って来た。

いままた、過去の感覚を思い出し、その感覚と持ちつつ、お互いを大切にしていく必要を感じる。100%安心するでなく、リスクを察知しながらもバランスを取りながら進むことが大事になっている。

天皇陛下が「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」という言葉を改めて述べられたことはそういうことではないだろうか。反省する中身には、被害者・加害者両方の視点があり、それを越えたところに平和があるのだと受け取っている。


終戦記念日の天皇陛下のお言葉を聴いたのち、『ウクライナ戦争の200日』を読了。

実際にこの戦争が終わるとき、200日が何日になるのだろうか?
巻末に時系列に主だった出来事が記載された年表というか、日表がある。とりあえず最初から読もうと思ったら、何ページも続いてどこまでいくのか?とおしまいを確認したくなるほどだった。2022年2月24日に始まり、この本では同じ年の8月30日までが論じられている。そこから1年経過するわけだ。
和平の道も見えず、仲介もならず、決着もつかず、200日が2000日となりかねない。2027年8月まで続くなんて?!

7人との7つの対談が収録されている。高橋さんとの対談は2パートある。
・東浩紀(批評家、作家)
・砂川文次(小説家、元自衛官)
・高橋杉雄(防衛省防衛研究所防衛政策研究室室長)
・片淵須直(アニメーション映画監督)
・ヤマザキマリ(漫画家、画家、文筆家)
・マライ・メントライン(ドイツ人、翻訳家、通訳、エッセイスト)
・安田峰俊(ルポライター)

全体的に小泉さんが発揮するわかりやすさに助けられ、多角的に戦争を見ることができる内容。小泉悠さんのオタクな部分は、砂川さんや高杉さんとの話で顔を見せる。

1年前の対談を読んで、そこで論じられていた核リスクがそのまま現実化している。
どちらかが決定的に勝利する道筋は見えないとする議論はそのままいまも言えること。

それ以上に劣化ウラン弾、クラスター爆弾が西側から導入されるという戦争内容の凶悪化が進んでいる。

誰もが状況を憂慮しているが、戦争を止める力にはなっていないし、止める道筋を誰もつけられないし、止める取り決めも出来ない。

日本について、本質的な防国を考える前に、反応的に軍備増強や具体的軍事アクションへと意識が集中してしまっている。そのまえに各国とのリスクをどう想定しどう回避するか、日本にとっての守るべきものは何か、それをどう世界へ伝えるのか、日本と連携する国を増やす戦略などを掘り下げ、アクションプランをつくるべきだ。

日本に置き換えてみて、表面的な反応が
・当時より、ずいぶんと軍備化が現実的に進んでいる
・ロシアが隣にいるリスクを、日本人がリアルに感じる度合いが高まった。
・広島サミットで、核兵器による抑止効果を認めてしまった。一方で、それこそが変えるべき事柄だという意を強く感じる人もいる。
・平和であることを

終戦の日に平和を希求することが、この軍備化が進む現実に対して、どう行動できるか、どのように考えることができるか。
政治に何を求めるか。
個人として私はどういう考えや行動を取るか。

色々な意見はあるだろうが、戦争にしないことは皆が堅持していてもらいたい。
平和のための戦争はあり得ない、と私は思う。


終戦記念日は、敗戦記念日。
昭和20年の昭和天皇の音声を友人が紹介してくれていた。

音源
https://www.kunaicho.go.jp/.../taisenk.../syusen/syusen.html

原文の意味がわかりにくい部分があるので、現代語訳ともいうべき、ちきりんさんバージョンを併せて読む。

この天皇のお言葉は、外国から押し付けられたものでない。天皇を意を汲んて文章作成し、内閣が事前に内容を確認したもの。

この文章をゆっくり読むと、戦争に向かう前にやるべきことがあると思えるし、様々な方法で平和な日々をつくって行きたいと思う。

1952年 昭和天皇が初めて開催された全国戦没者追悼式でのお言葉

「今次の相つぐ戦乱のため、戦陣に死し、職域に殉じ、また非命にたおれたものは、挙げて数うべくもない。衷心その人々を悼み、その遺族を想うて、常に憂心やくが如きものがある。本日この式に臨み、これを思い彼を想うて、哀傷の念新たなるを覚え、ここに厚く追悼の意を表する」


8月4日は最強運の日だというものを読んだり、
8月8日を最大とするライオンズゲートは、7月26日~8月12日まで続くとか、
8月22日一粒万倍日中心に8月19-23日吉日が続くという記述も発見。

暑いけれど、何かとよき日もあるようなので
日々前向きに楽しくやってまいりましょう。

おススメしたい聞き逃し配信 8月24日21:55まで
ヤマザキマリとその夫ペッピーノさんが出演。後半、磯田道史さん(歴史学者)とのお話もさらに面白いですよ。



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