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2022年11月前半

今年の秋は、紅葉が美しいように感じるのは私だけの気のせいだろうか。
日本各地、京都・名古屋・長野・鎌倉の秋の風景写真をSNSのお陰でみている。空気が変わり、葉っぱが色づいていく様の美しさ。緑・黄・赤のグラデーション、それを錦と表現するのは、日本列島ならではの感性かなと思う。

20221101 Tue.

YeLLという会社は面白い。
最初にこの会社と接点が生まれたのは、2017年頃クライアント企業としてだった。最近さらに会社が進化していて、上司と部下での週1ミーティング「1 on 1」をサポートするという事業を行っている。面白いのは、その面談相手(聴き役)を主に現役企業人など希望する人が本業以外の位置づけで行っていること、やりとりがシステム上で簡潔すること、マッチングはAIシステムが行っていること、など。

説明会に参加して、単に「1 on 1」を実現するだけでなく、ひいては社会に聴く文化を実現していこうという方向性を持っているらしい。

話を聴くということについて、私たちの実感と一致するような学術知識が広まってきている。具体的には、脳科学の見地から「批判・論評ではなく、受け止めて聴く」ことの重要性や、時間効率化のなかで聴くことが疎かになっている等々。

スキルとして聴くことに長けた人が増えることで、世の中の「聴くスタンダード」がレベルアップすると、確かに社会にとっても良い影響がのちのち出てくるかもしれない。少なくとも、職場で、ちゃんと話を聴いてもらえる社員が増えることはよきこと。

面談相手(聴き役)の立場で考えると、参加したら自分のマネジメント対象以外の人と真面目に話す経験を持てる。これは、自分の現在地を客観的に見るきっかけになるかもしれない。週1回30分500円が事実上スタンダードとなっているようなので、純粋に経験を求める場としてよいのではないだろうか。ちょっとやってみる。


欧州に始まるエネルギー危機。こう書くと雑誌の見出しのようで抽象的だが、リアルに危機感を感じた話がある。
ロシアからの供給が減りノルドストリームが破壊されたいま、ヨーロッパが札束をちらつかせて購入しているそうだ。既存契約より高い値段を提示して。詳細情報を確認できていないのだが、確かイランが輸出している天然ガスを、アルメニアとの契約を破棄させて、既存契約より高い値段でヨーロッパが買っているとのこと。アルメニア自体もエネルギー資源がないわけではないが、豊富ではない。しわ寄せは国民に来る。値上げというレベルではなく、電気やガス自体が使えない、という話は、いままで私は体験したことがない。(国名をはっきり確認できず。BBCか何かオンライン情報できいた記憶)

この図式はワクチンと同じ構図。
生産企業(国)は、より多くのお金を出す方へ売る。そのため契約していた貧しい国はワクチンを買えなくなり、国民にしわ寄せが来る。お金を沢山持っていれば安全で暖かな生活、比較して少なければ危険が高く寒々しい生活。

エネルギー、小麦など食糧などもグローバルな安定を意識して応分を取る仕組みを考える必要が出てきている。
どうやって乗り越えられるだろうか。小さな体験はワクチン供給で経験している。どんな問題がおきてどのように対処していくか。その経験を活かすことができる。

世界はいま、自国最適ではなく、地球最適をどうやって実現するかという課題に直面している。これまでもHIVとか、エボラ出血熱とか、予行演習のような出来事があり、その後、コロナで本番の課題が来たようなものだった。そしてさらにエネルギーのバランス確保、小麦など食料のバランス確保が問題になりつつある。

しかし現実は、地球最適&痛み分けや工夫ではなく自国優先になっている。


今年の冬、どうやって寒い地域は暮らせるのか。
ウクライナへ向けて防寒グッズの支援活動が始まっている。ウクライナだけではない。シリア、アフガニスタン・・・。日本の綿入半纏はんてんとかどうだろう? フリースももちろん。あとホッカイロは歓迎されるのだろうか。お金をUNHCRへ寄付すればストーブ・燃料などを送ってくれる。

20221102 Wed.

昨日のうちに実家へ戻り、朝から庭掃除。木の根元や草の茂みに溜まった枯葉を掃きだす。枯葉を置いたままにしたほうが、地温は保たれ乾燥を防げるが、虫にとって居心地がよくなる結果、樹木にとって悪影響があると植木屋さんが言っていた。
掃きだしていくと、枯葉の下に地面が見えて、ハナニラの細長い葉がひょろひょろ伸びている。こいつは小さな球根をどんどん増やして庭のあちこちに進出してくる。特に木の根の間など、土を掘り起こしにくい場所へ安泰の場を作る。そして繁殖力が強く、夏に気づくと青い花をあちこちに咲かせる。

ハナニラを抜くには、5センチ以上深く掘って、球根から掘り出す必要がある。球根は指の先ほどの大きさに育っているものもあるが、米粒くらいの小さな球根もある。茎が膨らんだ程度の大きさの球根が大きく育っていくらしい。かなり気を付けて掘り出すのだが、土の中に残りがち。木の根の間、石の下などに潜り込んで彼らの楽園をつくってしまう。

ハナニラとの戦いは、ほとんど相手の勝利に終わるのだが、せめてもの抵抗をしている。芝刈りは終わったので、これからのシーズンはこの手ごわいやつとの格闘だ。

基本的に自然界はそのままで十分美しい。実家の庭をどうこうしようというのは、うちのエゴ。それはわかっているけれど、ここだけ好きに作りたい。(←完全にエゴ)


知り合いから本を受け取るのだと出かけた母と、鎌倉で落ち合い遅めのランチ。観光案内ではあまり宣伝されていない小規模で短時間営業のお店だが、歴史あるカフェでランチ。

カフェがある3階から、ちょうど鎌倉駅東口のバスターミナルが良く見える。電車から降りてきた人が改札を出て歩いてくるのも良く見える。

私が七五三のお参りに来た頃は、大勢の人がひしめいていた。昭和の応接セットのイメージで、一人がけのソファに白いカバーがかかっていたように思う。鎌倉在住の文人が、ここで編集者と打ち合わせをしたこともあったのではないだろうか。いま使われている家具はファミレス的なテーブルとイス・ベンチシート。それなりに感じよく利用しやすい。

「扉」のメニュー 最初のページ

メニューは、昔風と今どきなものが混在している。どれも良心的に作られていて、質の悪い加工品ではなく、ちゃんとキッチンで作っている。お店で働く人も健康的に働いていて、お店は17時に閉まる。

ホットドッグ

懐かしいホットドッグを頂く。スプーンは、ケチャップとマスタードを適量乗せるため。ちょっとお上品です。

ちなみにこのお店は、鳩サブレーをつくっている豊島屋の店舗なのです。

結構お腹いっぱいになった。そこで母と別れてから、腹ごなしに、普段なかなか行かない海蔵寺へ寄って隣駅の北鎌倉まで歩くことにした。道沿いにある水曜と土曜しか開いていない豆腐店で、豆腐二丁も購入。

先日、鎌倉ウォークをしたときには海蔵寺へ行く手前を化粧坂けわいざかへ向かって丘の上へ向かった。今日は、谷間へ延びている住宅地の小道を進んでいく。山からしみ出た水が小川になる場所があった。鎌倉の山、だけど山というには、丘のような盛り上がりの際から水がしみ出てくる場所。

東慶寺の入口

車一台が通れるような道の両側に木が生えていて、木のアーチのように木陰がきもちいい。歩いた先にシームレスに続く階段を上がると、山門があってそこが海蔵寺。お寺のいかめしい門構えで区切るのではなく、いつの間にかお寺のスペースに入っている感覚だ。境内はとてもすっきりとして、のびやかな空間が広がっている。

奥のやぐらからの景色や、あれやこれや教えてくださる親切なお爺さんがいらした。
ここは住職さんがとても行き届いた手入れをなさっているとよく聞くところ。植物の話、やぐらの話、こけの話、啼薬師。。。私の知らないことばかり。なるほど、この方のお話を伺うために来たのかもしれない、とふと思う。

背の高い薄い紫の花をつけているのは紫苑
住職さんが毎年天塩にかけている

こんなに色々教えてくださってお礼を伝えるだけでいいのかしら?と思いつつ、ご案内やガイドをなさっているのですか?と尋ねると、いやただ好きで、横浜から来ていて、時々ご住職と話すこともあり、こうしてご住職の思いやお寺のことが伝われば、こんど貴方がご住職を見かけたときに遠くからでも何か伝わるでしょうし…とおっしゃる。
禅寺らしい直線的な思いと、円環的なめぐりあわせが心に残った。

20221103 Thu.

いつもの読書会2つ。
ひとつめ『禅と日本文化』

ふたつめ『精神と物質』ベイトソン
自分という人間の特性や性格は、他者とのなかで作られている部分が多くある。

こうハッキリ書かれると、目から鱗だ。
性格は自分の持ち物で、その責任は自分にある、と思っている。
でもそれは、自分のものでもあるが、他者との間で作られたものでもあるというのだ。他者が異なる関わりをしたら、自分の性格が異なっているかもしれない。検証はできないけれど。

ぴったり同じではないが、相対的に、おとなしい人間だと思っていても、よりおとなしい人と一緒いれば、少し活発な人になることはある。その延長で、自分という性格が他者との間で作られていると考えると、「これが自分だ」と思うものは、固定的・限定的ではないのかもしれず、枠をはめずに生きて行けば、いつの間にか、自分自身が変わっていくかもしれない。

時がたつと自分の性格が変わる、ということは特に若い人は違和感がないかもしれない。自然とそういうことを体験しているから。大人になって、自己確立したと思っているとき、必ずしもそれに限定しなくてもよい、という風に考えると、人生100年時代に柔軟に自分を扱っていけるのではないだろうか。


午後、ファイナンシャルプランナーの方とお話した。たまたまカード会社からの連絡記録がスマホに残っていて、何か重要な連絡なのかと折り返ししたら、営業電話だったというきっかけ。それでもいまどき気になるファイナンシャルプラン。押し売りでない、無料である、ということでお願いしてみた。

担当としてお会いした方は、銀行から保険会社へ転職し、ファイナンシャルプランナーとして複数の会社と契約して活動しているとのこと。

知識のある方と、ふだん家族や友達と話しにくい話題を話せるのはとても面白かった。例えば、“いまの円高は来年も続くのか”“インフレはどこまで進むか”“米国株は来年下落するのではないか””米国で大手企業でリストラが進んでいる影響は今後どうか”などなど。誰も確実は予測はできないが、専門知識があればある程度読めるのではないかと思ってしまう。なかなか相談料を払ってまで専門知識がある方と話そうという気持ちになかなかなれないが、話せると、ちょっとした満足感がある。1億くらい資産があるなら相談する価値があるのだろうか。

お金の話は、こだわりたくないけれど、資本主義社会に生きている限り無関係でいられない。お金が目的ではなく、お金を手段として冷静に見極めていけるといいなぁ。

最近、参考になりそうな書籍は『ソース原理』、『お金の不安と恐れから自由になる!』。どちらも直接的にはお金の悩みに答えてはくれない。むしろ禅問答に近いものがあるかもしれない。でもお金と自分の関係について考えるきっかけになりそう。


ブラジル大統領選。ルーラ元大統領(労働党)が返り咲き、ボルソワナ現大統領(自由党)が負けた。ここも極右・自己中心的な政権となった模様。イタリア・ブラジル、中国・ロシア、そしてこれからアメリカがどうなるか。

20221104 Fri.

一万円札 福沢諭吉の印刷を9月で終了していたとの発表。
一万円札は生まれたときは聖徳太子だった。そして今は福沢諭吉、今度は渋沢栄一。
イギリスはエリザベス女王からチャールズ国王へ切り替わる。

聖徳太子 1958年12月1日~1986年1月4日
福沢諭吉 1984年11月1日(D券)~2003年4月2日、
     2004年11月1日(E券)~2022年9月
渋沢栄一 2024年上半期 発行予定

造幣局HPより

印刷技術や偽装技術、コストとの関連があって新札を発行するのだろうが、庶民としては、時代が移り変わるなぁという感慨ばかりだ。お金は基盤的なもので揺るがないというイメージを小さいときから持っていたような気がするが、それが幻想だということにも気づかされる。


夕方、歯医者へ。
一昨日、詰め物を歯磨きしているときに外れてしまい、それを戻してもらう。そして1週間後だった予定を変更して歯のクリーニングも行ってもらえることになった。ありがたい!

マイナンバーカードの読み取り機が、受付に置いてあった。
「早いですね~」と思わず口にすると、「はい、お使いになりたい方は使えます」とのこと。つい「ご用意していないので、診察カードでお願いします」と笑いながら返すと窓口の方も笑っていた。

20221105 Sat.

Youtubeで今回退任するガルーシンさんの話を聞いた。ウクライナ侵攻以来、ウクライナ側からみると荒唐無稽に見える言い分を堂々と語るこの人は一体どういう人なのか。辞めることでどうなるのか。

媒体を見つけられなくなってしまった。登場する方々は3名。
ガルーシン駐日大使 
元外務省欧州アジア局長 東郷さん 
筑波大学教授 東野さん

ガルーシンさんは、親日家であるという。日本語で自国の主張をとても上手に展開する。今回、駐日大使をお辞めになるということだ。大使のプロとして、日本から見たらオカシイことも自国の立場に立って主張するふるまいもよくわかる。

東野さんがおっしゃる事実、見立てはなるほどと思うものがある。ガルーシンさんに対して矛盾点を述べる場面もあった。冷静かつ敬意をもったふるまいにプロ意識を感じた。

東郷さんがおっしゃりたいことは、わかるような気がする。国と国の間で直接対話して匙加減を調整してきた人だからこそだ。でも議論として成立していなくて受けは良くない。

明日は読書会が2つあり、それぞれ作業があるので少し緊張して寝付きにくかった。

20221106 Sun.


朝7時。メドウズのシステム。

世界がシステム的な動きで現状を作っていることを理解しようという本。「誰か」とか「どこか」に原因があるのではなく、複数の組織や活動がお互いに影響しあって現実を作っているということがわかる。その結果がVUCAといわれる予測不能な世界。

自分が知らぬ間にそのシステムに加担していて、望まない現実を作っているかもしれないことに気づく本。身近なところで、そのシステムの回し方をみて、適切なポイントで介入すると、望む方向へ回りだすことも教えてくれる本。


昼間は1時間ほどかけて初めて降りる駅で、友人と『古事記ミュージカル』を観た。
男性の歌の名手と、女性の曲作りの名手が組んだミュージカル集団。彼らが、日本のよきところへ目を向けよう思いで古事記・縄文のなかにある日本古来の物語や価値、現代につながる風習をストーリーに仕立てて、面白可笑しくみせてくれる。曲作りは古今東西の名曲フレーズをうまく取り入れて、喜怒哀楽を雄弁に示していて、すごい才能だなと思った。プロの歌い手のほか、コーラス隊もいる。このミュージカルで伝えようというエネルギーがすごい。

中身は、アマテラス、スサノオなどの逸話、日本列島に住む人々が大事にしてきた価値観など。

その内容には3種類くらい、①知らなかった、聞いて良かった ②えっ?そうかなぁ ちょっと異論あり ③そうだよね~大方の人が同意するよね という内容があった。いずれも私にとって、なのだが。

古事記と日本書紀の内容の違いから始まり、昭和30~40年代くらいは各地の風土記をどのように子供に教えるか(徐々に教えない方向になっていった)、人の考え方によって振れ幅があった。いつの間にか、あまり教えない方向へ落ち着いている。

その背景には、教育界での右派・左派の力関係があっただろうし、遡ると明治時代の開国時、昭和の第二次大戦後に、イギリス・アメリカ・両国の影響を踏まえた日本の指導層の考え方などが関与しているのだろう。

結果として、日本古来の価値観や智恵が断絶し、いまやグローバル化や西洋思考システムに組み込まれて、日本列島に住む人々の力を小さくしているように思う。

ただどの価値観や、どの智恵を、どのように使うのか、となると、立場によって意見が様々。下手をすると昭和20年までの軍国化していくような考え方に陥る可能性もある。「日本古来の大切な物」と言われても、そこに意図ある取捨選択があるのかなと思ってしまったりするのだ。

そんなことで、彼らのパッションに圧倒されつつ、様々な思いが頭を巡りだいぶ疲れた。

ランチに行ったお店が、自然なものを提供していて(加工品が少なく)美味しかった。こういうお店が各地にあると、人々の食生活のインフラとして有難い。作り続けてほしい。

ランチ おかずは鶏肉・ジャガイモ・ズッキーニなどのポトフ


夜19時半。量子力学のABD。
2つの章が今日の対象。
生物の遺伝情報DNAに突然変異が起こるときに、量子力学がどのように作用しているか。
人間の心が発生したときに、量子力学はどう作用した可能性があるか。

通常起こりうる分子状態から考えると、突然変異が起きるためにはエネルギー的に相当異例な状態になる必要がある。その割に突然変異はしばしば起きている。また突然変異のほとんどはDNAのエラーチェック機能により潰されている。でも、突然変異が起きて、生物を進化させてきた。この不思議な塩梅がどうして起こるのか。

簡単に答えは出ない。確たる証拠はないのだけれど、既存の科学的理論で説明できないことが想像以上に沢山あり、その中には量子力学で説明できるものがありそうだ、と思えてくる。科学で説明できていることは、ごく一部なのだという認識が生まれる。

過去、宗教が人々を導いてきて、それが科学に置き換わっているいま、科学ですべてを説明できるとか、科学万能に思っているが、そうではないということ。

現状の科学で説明できない事象の一部は、量子力学で説明できるのかもしれない。突然変異や、

人の心の発生は、何かひとつの細胞や、ひとつの器官から始まったのではない、ということをいいたいらしい。量子力学が関わるとしたら、2つ以上の関係の中で生じる現象だというのだ。関係性のなかで心が発生する。そういわれると、そうなのかもしれないと思う。

20221107 Mon.

昨日スケジュールが詰まっていたためか、古事記ミュージカルのてんこ盛り加減からか、8時過ぎまで寝坊してしまった。8時からの読書会メンバーをお待たせしてしまったが、のこのことオンラインに加わった。今朝はお喋り中心。


スーパーで、198円だった牛乳が218円になっていた。誰も手を付けないようで、隙間なくビッチリ並んでいる。うわー、今週から値上げか。打撃を受けたが必要なので購入した。ちょっと勇気が要った。値上げしたてに買うことは、ちょっと負けのような気もした。
10月に値上げしていないなぁと思った極上バター700円も、気づいたら750円になっていたなぁ。いつの間にか同じ値段なのに、分量が400gが350gになっていた豆腐1丁とか、気分が悪い。だまし討ちにあったような、自分がザルのような、なんとも言えない気持ち。
当面、その日、その日でお得なお安めなものを購入して、それを活かした食生活にしようと思っている。

明日の予定を考えながら、結局のところ、ぼんやり過ごした。

20221108 Tue.

今日は、お得意の渋谷スカイ(年間パスポートを持っている!)へ。
一緒に皆既月食を見ようと誘ったら手が上がった、7年ぶりに会う友達。

皆既月食と天王星食は1580年以来442年ぶり 次の同時に食が起きるのは322年後2344年
人間のほうも7年ぶりの再会。
加えて夕飯食べる場所を探してヒカリエへ行ったら、友達が新大久保でいってたお店があって、入ろうとしたら3年ぶりに店長さんと再会。
人も軌道が交わった感覚♪
見慣れない部分から欠けていく様子には引き付けられたなぁ、影に入ってからの赤黒い月には落ち着かないような…?!
立体的に星を感じる時間、良かったなぁ。

反対に合わない人には合わないのだ。ここ3‐4年、気になって活動を見ているコミュニティの発展的解散会が、レストランが入っているビルで終日行われていた。だけどそこの人とは今日も合わなかった。星の軌道が交わらない感覚がする。

そう思うと、会ってしまった人とは、良くも悪くも自分にとって意義があるのだろう。

『自転しながら公転する』。これは面白かった。数年を経て、男女がまた会うお話。作者の山本文緒さんが今年急に亡くなってファンも文壇も驚いた方。

それにしても、皆既月食中の赤い月にはザワザワする。

20221109 Wed.

お金の相談。先日のファイナンシャルプランナーと2回目の相談。
結局のところ、市場にお金を出すと、リスクもリターンもあり、いまどきのリスクは読み切れない。昭和後期にお小遣いを郵便局の定額貯金に入れた感覚は、もはや100%払拭せねばならぬらしい。

お金は使ってこそなんぼ。使って、自分にとって活かした形で成仏させるのが一番いいなぁ。


『ソース原理』ABD読書会。
15人くらい30代40代中心の集まりに、こそっと入れてもらった感覚。
事前に1冊の書籍をパートに分けて担当部分を読み、サマリ資料を1枚作る。
オンラインで集まる2時間のなかでは、サマリをリレープレゼンしておおまかに全体をつかむ。その後、2人、4人、全体、と3回くらい対話を繰り返す。

対話は本の把握にとどまらず、現在進行形の仕事場面について気づきが生まれて「自分がやっていることの意味」「けっこう凄いことやっていたな」など意味付けができた。これはすごいなぁ。

仕事は「やって当たり前」だと思いがち。でもやるのは「結構大変」。大変なことをやり遂げても、やって当たり前だとすぐ次に行くのが普通。でも時々、振り返って意義を感じることで次へ進むエネルギーになったりする。


アメリカ大統領選の中間選挙。
ペンシルバニア州で民主党が勝った。共和党のトランプ後継者を名乗る人は落ちてしまった。

20221110 Thu.

朝読書会『禅と日本文化』
俳句を取り上げた章を読んでいた。いやー知らなかったぞ。俳句は、単なる花鳥風月を繊細な感性で切り取ったものではないと。俳句は、その瞬間の意識や無意識のさまを読んでいるのだそうだ。

高尚なものがさらに格が上がるではないか。

俳句を詠んでいる人は、理解して意識や無意識に関わる心の動きを事象になぞらえて読んでいる。そのことに海外の人達が気づき俳句はすごい、日本文化はすごいと反応した。日本ではその後俳句について表面的な理解だけが伝わった。カジュアルに川柳の形になったり、俳句としてでもかなり自由に、具象も扱い難しいルールを緩めることで、いまも俳句はすたれずに残っている。

例えば「古池や かわずとびこむ 水の音」
これは水の音を際立たせる構図を読んでる・・・(もう少し進んで)寂寥・閑寂の境地を描いている・・・って教えられませんでした? それは表面的だというのです。飛び込む音が反響し、その反響ゆえ、静けさを意識させる。その意識は、世界精神そのものと一致している人によってのみ覚醒される、直観を得るというのです。「その意識を持った体験の表現」だというのです。  (すべてをわかりきらないのですが)表面的な話ではないことに唸りました。


母から1人ではおっくうだからとリクエストがあり、一緒に球根を植えた。
実家で、芝生へ肥料まきをしてからチューリップの球根植え。
花壇を掘り返し、ハナニラの小さな球根を見つけたら取り去り、どこかから伸びてきた根っこを切り、肥料を混ぜた土を入れてふかふかな場所を作る。そこへ球根を並べて配置を考えて、いよいよ土中に植える。すっかり土が被るような深さに。芽と根っこの方向を確認して。最後に水を撒く。

花が咲くのは来年4月。しっかり育ってきれいに咲きますように。

仕事と同じで準備9割。植えるのは、ほんの数分。


手放す経営ラボが主催する『ソース原理』のマネーワーク[ミニ講座]へ参加した。

お金は、人を映す鏡。
人間関係は、その人を映す鏡。でもそこには相手の感情も入ってくるから、その人クッキリではない。

お金そのものは感情を持っていないので、鏡として映すときに、とてもクリアにその人を映す。

つまり、その人の内面的なものを映し出す。

さて、人間の内面は、外の現実を作る。
うまくいかないとき、外部に原因を作りたがるのが人間の常だが、本当は自分の内側に原因がある。内側が変われば外も変わってくる。
このことをベースに、お金についてワークすることで、自分の内面を掘り起こし、根源的な自分の願いを実現していこう、という話。

20221111 Fri.

神宮外苑の銀杏がだいぶ色づいてきた。
左右に2列づつ並んでいて、11 11という形にも見える。

11月11日の神宮外苑 銀杏並木
正面奥に見える絵画館。遠近法による設計で実際の距離よりも遠くに見える。

神宮外苑の再開発が進むと、一番左側の列近くまで建物が迫ってきて木が枯れてしまうかもしれない。実際、そのような事例は、昭和30年代に新宿御苑に連なる緑地で起きているそうだ。

そうなると、11 11 ではなく 1 11となってしまう。
そもそも背景に青空が見えるから美しいのであって、ビルの陰になり、夕日が差す時間には暗くなってしまうならば、美しさは消えてしまう。ただ、枯葉の処理が大変だという負担にしかならなくなる。


・そごう売却はびっくり
・FTX経営破綻 暗号資産でクラッシュする人が出ているのか
・ソニーやトヨタなど車載半導体を多く使う企業が企業連合を作る。うまくいくと面白い。どうなるだろう。

20221112 Sat.

結局、軽率な発言をした葉梨法相は辞任へ。その任命のためアセアンへの出発を遅らせた岸田首相。一方、更迭された山際経済再生担当省大臣が、更迭4日後に自民党のコロナ対策本部長に就任している。一庶民として、訳わからん感覚になる。

・流行り病の第8波と言われ始めている。
これから冬で空気に入れ替えが減るので昨年同様、感染は増えるのだろうな。
・アメリカ大統領中間選挙。バイデンは家族と相談。
・ロシア ヘルソン州から撤退。
・イーロン・マスク 今後オフィス出社するよう在宅ワークを認めないとTwitter従業員宛にメールしたとのこと。

これだけ外部の出来事に気を取られると自分自身の内面がおろそかになる感覚がよくわかる。考えたいと思っていたこと、やろうとしていたこと、読みたい本など、明らかに脇へ置きっぱなしになっている。あれこれ


合唱をしていたときのご縁で声楽コンサートへ行った。
いつもその人は、控えめというか、前に出る人がいると脇に控える人。

もともと、何もないところで自分を打ち出すタイプの人ではない。人と人の間にいて、その人が現れるような人。エネルギーを内側で沢山使っている人で、曲を選んだり、その曲の意味を調べたり、下準備を沢山行っている。そのなかから、ひらめきを得ているような感じを受けた。

もっと前に出ていいのになぁ、その人の素敵なところを出していいのになぁと思うのは、私の何がそう思わせるのだろう。私の中にある気持ちを投影しているのかもしれない。

始めと最後のお辞儀はもっとちゃんとした方がいいよ、と愛をこめてお伝えしたい。

もう一人の打ち出すタイプの人は、1曲ごと最初と最後に拍手を貰っている。貴方もそうしてもらっていいと思う。(でもそれを直接伝えるのはどうなのかと思い、ここに書いている。言い過ぎだろうか)


夜、SINIC理論について、最近出版された本の著者から話をきくオンラインに参加した。SINIC理論とはオムロンの創業者、立石一真氏が中心になって研究し打ち立てた理論。世界の大きな変化を、古代から解き明かし、1970年代に発表したもの。その内容が、いま2020年代に信ぴょう性をもって受け止められている。

これまでオムロンの社内で活用され、HPに掲載されていたものだ。それを公開するために著者の中間氏は、2020年代にふさわしく置き換えるべきところをブラッシュアップして出版した。いま社会が変化していくことの必要性や必然性を多くの人が意識しているときに、その兆しがあって、今後、それが現実化してくることは何かを考えるにあたり、とても参考になる。未来予想ではなく、考える枠組みといった理論だ。だから当たる・外れるということではない。

例えば以下のような転換が紹介されている
・物から人のフェーズへ
・適応することが求められる社会から個人の価値観を併存させる自律社会へ
・科学が社会より優位である状態から、社会が科学へ影響力を及ぼしていく

社会のフェーズ変化は、1975年から情報化社会、2005年から最適化社会へ変わると記載されていて実際その通りになっている。さらに2025年から自律社会、2033年から自然社会と書かれている。今後、何が作用して2025年、2033年に大きく変化するだろうか。そのために何を私たちは変えていくことになるのだろうか。生きやすくなるように、望む社会をつくることを目指して。

20221113 Sun.

実家の玄関扉の鍵について。ここ数年調子が悪い。鍵は2つあるのだが、片方しか使っていない。ふたつある意味がない。
その調子が悪い方について、母が新しいスペアキーを作って差してみたら抜けなくなったというのだ。差し込む鍵の問題だと思っていたらしい。玄関のドアノブに鍵が刺さったまま。抜けないだけだから、そこからピッキングできるわけでもなく不用心ということではないが、奇異な状態だ。ということで、明日朝、外出する母親の代わりに鍵対応するために呼ばれた。

ふと思う。今後、母の都合で呼び出しされることが重なったら、私は不満に思うのだろうか。今回は不満とも不便とも何とも思わなかったけれど。

自分と相手の都合で決めた、ということと、相手の都合で決めたということでは、気分が違うかもしれない。今回どうだろう?私は不満だろうか? そうは思わないけれど。

重なると違ってくるかもしれない。どこか自分が犠牲になっていると思ったら、負担になるかもしれない。

理性では、自分も必要があって帰ることに決めた、と思っているのに、どこかで「誰かのせい」と思うとしたら、「自分の自由がない」と思うとしたら、良くない方向へ行く。

できるだけ自分の判断を交えて、行動する。それがとても大事になりそう。


実家へ帰るとき、珍しくひとつ先の駅まで行って、芝生に入れる目土を買いにいった。お店には黒土しかなかったが、それを配達してもらうことにした。配達初回無料、今日は全店20%オフということで少し得した気分。バス待ち30分の間、ベーカリーで休憩し、パンとコーヒーを頂いた。あとでなんとかPayで払えば神奈川割で10%だか20%だか割引だったのに現金で払ってから、しまったなと思う。

この手のポイント獲得、割引に即座に対応できなくて、少々ざわつく。知らなければ、あるいは、企画がなければ、全く平穏なのだけど。

まぁ、つまりポイントに踊らされてるってことですよね。

いつもは紅葉が遅くて12月上旬くらいに色づく年がある鎌倉も、今年は結構色づいている。

住宅街にて、やはり赤は目をひく


家に帰るとテレビがあるので、BBC放送やCNNをみてしまう。
今日はイギリスでRemembrance Dayの様子を流していた。あれ、11/11では? 先週からPoppyの飾りをキャスターたちが着けていた。

・アメリカは選挙。
・ロシアとウクライナ
・COP27
・大臣任免で遅れて参加した岸田首相
・パキスタンの水問題
・サッカーWorld Cup
・イスタンブールでの爆発事件

20221114 Mon.

実家のカギ。
このために今回は帰ってきたのだった。

鍵をみてくれるサッシ屋さんが来る時間帯に、母親が出かけていく。
ちょうど入れ替わりになった。

50年も使っている鍵なので、どうも合わせが微妙にズレているらしい。うまい具合に鍵を抜いて、鍵自体を調整してくれた。当面このままで使えるので、もしシリンダー錠に替えるならお知らせくださいとのこと。あっさり、20分ほどで完了。

そうか、2024年にこの家は50周年を迎えるわけだなぁ。その時に植えたバラ、多くは絶えてしまったが、このバラは今年見事な花をつけた。ケヤキは大きく枝を広げて毎日枯葉を落としている。

お昼に帰ってきた母と春巻きや野菜炒めを食べながら、「老人介護施設ではこんなシャリシャリした歯ごたえの春巻きなんて食べられないから、ここで過ごした方がいいよね」「そうそう、私はここで過ごさせてもらいますよ」と母。おだやかな午後。

今日もハナニラと格闘。来春、成果が見えるだろうか。


SINIC理論を一昨日に続いて別な場で聴いた。
場によってフォーカスするところが少しずれるので、深く聴ける内容が変わる。2点測量・3点測量のように立体的な理解につながる。

今日は変容ということに関心が高いコミュニティだったこともあり、人間がどの方向へ進化・深化することが来る相変化につながるのか、という質問や議論が多かった。

個人的には1970年代に書かれた「不良老人」という言葉が何を指しているのか気になって質問したのだが、その他の行くつかの質問とともに取り上げられなくて残念だった。新しい社会に適応できない困りものとして「不良老人」という言葉が使われていた。質問したのは、問題なのは年齢ではなく人のスタンスだろうと思ったからだ。でも40代中心とみえる集団にとっては、後期高齢者の集団が社会的にも大きなインパクトを持っているし、確かに社会問題になっているので、年齢で区切ることでスッキリするのかもしれない。

おそらく元々の「不良老人」とは、働きづめだった人が労働から解放されて、もっと楽をできるのかと思ったのに現実は想像より楽ではなかったと不平を述べる、社会のお荷物になる、医療費を無駄に使う・・・というイメージなのだろう。

ただ思うに、いまの80代も70代も(もちろん90代以上も)本当に個人によって異なる時間を過ごしているということ。自分が60代の手前にいるということでこのワードに引っかかることは、他者からみたら大いに年齢起因のことなのだろう。それもあるが、そうでもないのだ。各年代が個人のスタンス(心の持ち方)次第で、如何様にも在りざま(being)が異なるということを念頭に置くことで、見えるものが変わってくることを共通認識にしたい。

だから、バズワード的に「不良老人」と言っていることを、2020年代の今は見直していいのではないかと思うわけだ。

12日に質問したかった、もう1点。「海外へ向けた発信をしているのか」については、中間さんたちの活動に注目して目を付けてくる方がいらっしゃるようだし、それに触発されて英文出版も考えていらっしゃるようだ。スタンフォード大学の方とオンラインディスカッションをしたとか、オランダからコンタクトがあったとおっしゃっていた。

海外の目線が入ると、日本で前提としていることに疑問が差し込まれるかもしれない。それも楽しみなことだ。それによって当たり前と思っているものを見直して、囚われなくてよい枷ならば外し、価値あるモノなら大事にする機会になるから。

20221115 Tue.

小雨と雨上がりの曇が交互につづく東京の街。薄手のダウンもちらほら。何よりクリスマスの飾りつけや音楽が秋冬を感じさせる。

11月前半からもうクリスマスなんて早すぎるなぁ。「何もない時期ってのはないのかい?」と意味なく、おっちゃん口調になってしまう。だからといって、ハロウィンとクリスマスの間に別な行事を入れるわけにいかないし、紅葉は年によって時期がずれるしなぁ。

クリスマスセールが長いと店舗は儲かるのだろうか?


昨日の質問の件で感じたモヤモヤがまだ続いている。あぁ、自分は対人関係が出てくると、どうもダメなんだなぁ。


国連が地球上の人口が80億人を超えたと発表。
人類がここまで栄えたことを祝ってもいいのかもしれない。



貴重な時間を使って、読んでくださりありがとうございます。
11月に入り、秋らしい気候や景色を味わう期間でした。内面は充実しているようで、もやもや足踏みしているような実感でした。
個人的内面を書いた文章に過ぎませんが、読んでくださった方の心に何か動きが感じられたら望外の喜びです。

師走が近づいてきて何かとせわしくなってくるかと思いますが、皆様どうぞお元気でお過ごしください。11月後半も充実した時が紡がれますように!

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