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ごんぎつねのこと

文春オンラインで、ちょっと気になる記事を見つけた。

この記事を読んで思い出した。そういえば、noteに下書きしたまま公開していなかった話があったんだ。長女が小4だった頃の、音読のことだ。


・・・以下は、2020年の秋に書き留めたこと・・・


うちの小4になる娘は、「音読」がうまい。

どれくらいうまいかというと、娘が音読する「ごんぎつね」を聞きながら夕食の支度をしていると、思わず野菜を切る手を止めて聞き入ってしまい、「ごん、おまえだったのか」のくだりでは、うっかり涙ぐんでしまうくらいに、うまい。本気で、子役時代の芦田愛菜ちゃんを超えてるんじゃないか?と思う親バカが爆誕するレベルでうまい。

ちょっとここで、「音読」をご存じない方のために説明しておこう。音読とは、小学校における定番の宿題で、国語の教科書を声に出して読み上げるものである。

小学校に入学したての1年生のころは、「どうぞのいす」や「春のうた」のような、短く、ほっこりするものをよく読んでいた。まんまるの目で一生懸命に文字を追う娘の愛らしさに見とれているうちに、音読の宿題は終わる。音読は、私にとって癒しの時間だった。

それが4年生にもなると、お話は長文に。私も家事をしながら流し聞きをすることが増えた。それでも、長女の音読には、ふと家事の手を止めて引き込まれてしまうくらいの力があった。

娘が音読する「ごんぎつね」を何回聞いただろうか。少なくとも5回は聞いたと思う。初めて聞いたとき、私が鼻を赤くすすりながら「上手だね」と言ったら、ちょっと照れていた娘。でも、毎日のように聞いてるのに、毎回毎回目を潤ませる母親に、もはや娘は引き気味だ。呆れたようすで、目を合わせずに「早く音読カードにチェックしてね」とそっけない。


・・・当時はここまで書いて下書き保存し、そのまま書き上げることなく眠らせていたんだった。

「ごんぎつね」は、母を亡くした兵十の悲しみ、ごんの後悔、真実を知った兵十の驚きと無念という、どうしようもない報われなさを味わう物語。誰も幸せにならないお話。

先に載せた文春オンラインの記事については、「まあ、小4なんて、そんなもんじゃない?」と思う。9歳、10歳の子が、どれだけ「人の死」を身近に体験したことがあるだろうか。身近な人の遺体と対面したことがある子、自宅に弔問客がやってきた経験のある子なんて、ほとんどいないのでは? そんな子たちに、「葬儀の準備中に『大きな鍋の中で煮えていたもの』とは何か?」なんて質問をする方が不思議に感じる。40歳を超えた私だって、ごんぎつねの時代に弔問客に振る舞うための大鍋料理を問われても、わからない。芋煮?

そんなことより、兵十のやるせなさ、ごんの懺悔をていねいに読み解けるようになることの方が大事だと思うし、学校にはそういう教育を望むけどね、私は。





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