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お弁当と私の青春の話


先日、新しい弁当箱を買った。

ずっと弁当箱が欲しくて、買い物に行って見かけるたびに手に取るのだが、色々考えてやっぱり買わない。ということをかれこれ3年程続けてきた。

インスタグラムに投稿されている色鮮やかなお弁当に思いを馳せ、

いつか私もあんな綺麗なお弁当を作るのだと意気込みながら、

それでもなかなか弁当箱を買えずにいたのだが、

その日は朝から、猛烈に弁当箱が欲しくなって今日は絶対に買うぞと意気込み家を出た。



母のお弁当の話


母のお弁当が大好きだった。

バタバタと仕事が忙しい人なので、手抜きの日もあるし、今日はごめん昼ご飯買って!という日もあるけれど、

朝起きてぼんやり台所に行きお弁当箱にぎゅっと詰まったおかずたちを見ると顔がほころぶ。


高校時代のお昼休みといえば、みんなで机を合わせて食べたり、中庭で食べてみたり、まるで青春ドラマのワンシーンのような


そんなこともあったような気もするが、高校のお弁当と聞いて私が思い出すのは少し暗い思い出である。

当時、吹奏楽部に入部した私は部活動に明け暮れていた。そもそも部活がしたくて選んだ高校だったし、憧れの先輩と同じステージに立てるのかと思うと胸が高鳴った。

あの頃は、ただひたすら一生懸命で、まっすぐまっすぐ走っていた。

大所帯の部活だったので、一年生の時は先輩たちと一緒にコンクールの舞台に立つ事は無かった。部内でオーディションがあったり、しっかりした組織体制があったりして、

そこには小さな社会がちゃんと存在していた。


人が集まらないとできないことが沢山ある。

でも、沢山の人が同じ方向を向いて頑張り続ける事は簡単ではない。

ほとんど休みもなく、少し休むと感覚が鈍ってしまうからと、毎日毎日楽器を吹いていた。

入部した時には、ひとクラス分は居た同級生も、卒業する頃には3分の1程になっていた。

みんなそれぞれ理由があって辞めていったけど、やっぱり寂しさや悔しさみたいなものはあって、空席が出来ていくのは辛かった。

空いた穴は、誰かが埋めて、そしてまた春、新しい子たちが入ってくる。

会社と同じだなと思う。


必死に頑張ることで得られたものは沢山あるけれど、私はもしかしたら部活に逃げる事で安全な居場所を確保していたのかもしれない。

必要とされていると思うことに安堵して、没頭することで嫌な事を忘れていた。


部活が休みの日に、駅前に繰り出してプリクラを撮ったり、化粧をしてスカートを折り曲げて短くしてみたり、

女子高生っぽいこともそこそこやったけど、あまり記憶に残っていない。

2年生になると、だんだんクラスに馴染めなくなった。

商業科で女子しかいないクラス。3年間メンバーも変わらず、部活に打ち込むのは少数派で、放課後の友達からの誘いもだんだん減っていった。

お弁当の時間も話が合わず、あの女子特有の空気感が堪えられずに、ある日教室でお弁当を食べることを辞めた。


何かと『部活があるから、ごめん!』と断っていた。

実際に、部活のミーティングはお昼休みに行われていて、幹部が集まってその日の練習メニューや今後の予定を決めていく。

辞める子が居ればその話し合いを進めたり、行事があれば打ち合わせしたり、何かと忙しく動いていた。

テスト週間になると、部活が休みになる。もちろんミーティングもないのだが、『部活の話いってくるわ~』と教室を出ていた。


教室を出るには都合のいい理由だった。女子のいざこざも、グループや派閥も、流行りの音楽も、土日のデートの話も、ネット上に書いてあった悪口も、

全部嫌になっていた。この箱の中で愛想笑いをしながら過ごすくらいなら一人でいいと思った。


所狭しと楽器ケースが並ぶ部室。あの狭苦しい部屋の片隅で、誰にも見つかりませんようにとお弁当を広げた日のことは、ずっと忘れられない気がする。

高校時代のお弁当と聞いて真っ先に思い浮かぶのはその光景で、

そんな孤独の中でも美味しかったお弁当の味である。


まさか、独りぼっちで食べているなんて思いもしないだろうと

お弁当を詰めてくれている母を思い浮かべると、申し訳なさで胸の奥がきゅーっとなる。家に帰って、お風呂場で泣きながら湯船に沈んでいたのも今となっては懐かしいけれど、

あの時は苦しくて苦しくてしょうがなかった。

今ならもっと、楽しく過ごす方法を思いついたのだろうけど、不器用な私にとってはキラキラした青春とは程遠い、ほろ苦い思い出。

なんとか自分を励ましながら、一人の時間と向き合いながら、友達との距離感を模索しながら、必死にもがいていた。


それでも、高校時代を振り返ってみると、恋愛もしたし、友達とバカもやって、部活にも打ち込んで、授業はほとんどうたた寝して全然聞いてなかったけど、いい先生たちにも恵まれた。悪いことばかりでなく楽しい思い出も詰まっている。

尊い青春時代だな、と思う。


卒業するときには、やっと卒業できる!という気持ちと、これ以上こんなに没頭するものに出会えるのだろうかという不安と、新しい生活が始まる喜びで、変なテンションになっていた。

部活の後輩達からもらった手紙や色紙に大号泣し、暑苦しい自分を恥ずかしく思ったが、

あの部室がなかったら、あの時一緒に頑張れる仲間が居なかったら、学校には行かなくなっていたと思う。

あの日のお弁当の味も、部屋の空気も、

こんなに苦しくても美味しいものは美味しいんだと笑えてしまったことも

今の私を作る一部分である。



自分で作ったお弁当の話


プラスチックの弁当箱に、自分で詰めてみた初めてのお弁当は見栄えもしなくて寂しかった。

半分以上冷凍食品の力を借りて。少し恥ずかしく思いながら職場でお弁当を広げたのだった。


東京に住んでいた頃のお昼ご飯といえば
何に追われていたのか、とにかく急いでいて
コンビニのカップ麺で済ませる日もあれば
昨日の残り物を無理やり詰め込んだ味気ないタッパーだったり。
お弁当に気を回す程の余裕はなかった。

玄関の扉を開けたらすぐ洗濯機とキッチンが並んで
フライパンを置いたらパンパンになるシンクと、コンロはもちろん一口で
まな板の置き所すらなくて
洗濯機も作業台にしてご飯を作っていた。

窮屈な1Kのアパートで
洗い物が億劫だからと盛り付けもせず、、
誰が見てる訳でもないのに、一瞬でご飯を済ませて。


綺麗に盛られたご飯に憧れながら、誰かの作ってくれるご飯を恋しく思いながら、窮屈なりにコツコツ自炊するしかなかった。

それでも何か丁寧に作るということ。

まな板の上でトントン鳴る音も、

クツクツと音を立てる鍋も、

野菜の感触も、鮮やかな色も、

出来立ての湯気が部屋に広がっていくことも。

五感を働かせてコツコツ作るという工程は

とても心満たされていく時間だった。

丁寧に作ってゆっくり食べると、身体がじんわり温かくなって、食べたものが体を作るのだなぁとしみじみ感じる。

お気に入りの器を買って、盛り付けてみる。いつもより美味しそうに見えるおかずを頬張って、思わず笑みが溢れてしまう。

お弁当箱は相変わらず安っぽいプラスチックだったけど、一品ずつ手作りおかずが増えた。

冷蔵庫を作り置きのおかずでいっぱいに出来た日の達成感はこの上ない。

汁物だけは毎日欠かさず作っていた。多分、実家で毎日お味噌汁が出てくるのが当たり前だったからだと思う。

温かい液体が身体に沁みていくとほっとする。

東京に住んで、色んな場所を歩いたけれど

何故か思い出すのはあの狭苦しいキッチンで

都会の騒音が聞こえるアパートも、心細くて少し寂しい1人のご飯も、

戻りたいとは思わないけれど

自分の大切なものが沢山詰まった大好きな場所だった。


ついに弁当箱を買う


弁当箱ひとつから色々思いに耽ってしまったが

ついに、新しい弁当箱を買った。この決断は、私の中では大きくて、今まで何故か買わずに通り過ぎて来た弁当箱を、絶対に買うと決めた心の変化は何だったのか。自分でも言葉にはできない。

でも、そろそろ買ってもいいな、と思ったのだ。

いいお弁当箱に丁寧に詰めてみるという行為

人様からすれば、そんな大した事ではないと思うけれど

私のお弁当にまつわるエピソードは多々あって、そういうものをひとつひとつ思い出しては、ちょこちょことおかずを詰めていくこの時間は、

何だか、しみじみと感じるものがある。

あの時から確実に流れている時間と、少しだけ上達した料理の腕と、まだまだ学びたい気持ちをぐるぐるさせながら

真新しいお弁当箱と向き合うのだった。 


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(お弁当第一弾、チキンカツ弁当の日)







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