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2代目のはじまり セカンドストーリーコーヒーロースターズ店主 水谷佑輔さんインタビュー

水谷佑輔さん(26歳)。コーヒー焙煎所セカンドストーリーコーヒーロースターズ店主。

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2020年4月より東小金井・国立を拠点としてカフェ間借り営業を行うほか、マルシェにも出店する。日本ではまだ輸入量の少ない、タイ・チェンライ産の豆をハンドドリップで提供、紹介している。

今のお店は前オーナーから引き継いだときいて、それまでどんな経緯があったのだろうかと気になり、取材をさせていただいた。


「タイ、行ってみたら?」

水谷さんは、自身が直接訪れたタイの農園から豆を輸入している。そのきっかけは、「大学卒業前に、必ず行こう」と決めていた海外男一人旅だった。

学生時代によく通っていたという、早稲田そば「喫茶タビビトの木」店の店主、尾林さんに行き先を相談したところ、タイにあるコーヒー豆の農場を勧めてくれた。

大のコーヒー好きであった水谷さんは、そうしてタイへ。バンコク・アユタヤといった有名な観光地を2週間巡ったのち、タイ北部の都市チェンライへ飛んだ。農園ツアーなども行う「ドイチャンコーヒーファーム」を訪れた。

チェンライでは山岳少数民族アカ族がコーヒー栽培を行っている。1980年代まで大麻の栽培地で「ゴールデントライアングル」と呼ばれていたが、タイ王室の支援により、コーヒー豆の栽培への切り替えが行われた。

ドイチャン農場でコーヒーを飲んでいると、現地のバリスタは「もっとおいしい豆を作っている農場がある」という。水谷さんはその農場を目指し、奥地に進むことになった。

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↑ 舗装がなく、水没した道路を進んだ先に、洒落た建物が登場*

その名は「アボンゾ農園」。

「アポなしで突然訪れたのに、快く中を案内してくれました。その前に訪れた農場は生産量の多さを重視した農場でしたが、そこは家族経営の農場。出荷量を無理して増やすのではなく、一家が生活できる範囲で品質を高めることを重視していました。何より、とってもコーヒーがおいしかったんです」

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↑ 農場のオーナー、パットさんと(2017年撮影)*

農園オーナーのパットさんは、経済的に困窮しているアカ族に利益がもたらされるような経営方法を模索している。コーヒー豆の産地では、栽培から豆の輸出までを請け負う場合が多いが、カフェの運営まで自らで行っていた。

水谷さんは帰国後、静岡にもアボンゾ農園の豆を扱うロースターがあることを知った。その焙煎店こそが、水谷さんが現在店主を務める店「セカンドストーリーコーヒーロースターズ」だった。

当時オーナーだった、アメリカ人ブライアンさんは、本業の都合で東京への移転を予定していた。ちょうどそのころ、水谷さんは入社した会社を退職することを考えていた。退社後、ブライアンに連絡を取ると、東京都東小金井のocioカフェで会うことに。

ブライアンと東京へ

「正直、とても緊張していました。おっかなびっくり店内に入ると、奥のほうにブライアンが座っていました。彼の第一印象は、明るく、フレンドリー。彼から聞いたお店のコンセプト―生産者のストーリーを届けるということ―がアツいなあと。その場で、東京の新しいお店を手伝わせてほしいと伝えました」

移転までの3カ月間は、怒涛の日々だった。東京で店舗の場所を探し、焙煎機を静岡の店舗から運び出す。毎年東京ビッグサイトで行われている、コーヒーの業界イベント「SCAJ」へも参加した。

そして、東京西荻窪にオープンしたのち3月には、2度目のチェンライ訪問で1年前出会った農園オーナーパットさんと再会。ちょうど豆の収穫時期であった。

農園で働くアカ族の子ども達と一緒に料理を食べながら、お互いの将来の夢を語ったり、コーヒーのことを教えたり教えてもらったり。農園から出て、貧困層の子ども達と山間の教会で遊んだことも印象に残っているという。

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↑ 撮影:水谷さん*

オープン時には、早稲田の喫茶タビビトの木にて、オープンイベントが行われた。大学時代のゼミメンバーや、その時ちょうど来日していたパットさんらもお店に来てくれた

コーヒーを淹れる豆は彼らから仕入れたもの。壁にはタイでの思い出―もちろん、パットさんら本人が映っている写真だ―そして、目の前には当の本人が、コーヒーを飲んでいた。その光景が忘れられないという。

「『人生にこんなに幸せなことってあるんだ」って、思いました』

ドリンクが出せないコーヒー店

「ブライアンは人と仲良くなる天才だなと感じていました。ただ、彼はおおざっぱなところがあって・・・・」

西荻窪で借りた店舗は、コーヒーを飲み物として販売することができない場所だったのだ。静岡と東京、屋台営業の制度が違うためにおきた勘違いであった。やむを得ず、店頭では豆の販売のみ。コーヒーはテイスティング用としてふるまうことになった。

一見通常のコーヒースタンドであったため、「コーヒーは販売していないのですか?」と何度も聞かれたという。

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↑ ドアをくりぬいて営業した。オーナーブライアンさん*

「毎日、ブライアンに焙煎のことを教わりながら、マルシェの出店を計画したり、SNSを更新したりしていました」

始めはほとんど売り上げがたたない日もあったが、だんだん周囲のお客さんに顔を覚えてもらっていったそうだ。

ブライアン 「ネブラスカへ帰る」

ところが1年が過ぎたある日。

「ブライアンが深刻そうな顔をしていったんです。『お店を閉めて、アメリカのネブラスカに帰ろうと思ってる』って。彼は日本に連れてきた家族のことを考え、アメリカに戻る必要があった。お店は引き継いでもらえたらうれしいけれど、そこまで勝手は言えないから、これから先、どうするか考えてくれと」

3カ月間、毎日店に立ちつつ、カフェ『タビビトの木』の尾林さんに話を聞いてもらいながら悩んだという。

結局、お店は継ぐことに。

「でも、正直、やけっぱちな部分もありました。僕は新卒で入った会社を4カ月で退社したあと、正直人生終わったんじゃないかと思うほど落ち込みんでいました。そんなとき唯一やりたいと思えたコーヒーから離れ、新しいことを見つけるのは、想像もできなかった。それに、ブライアンのもとで仕事を始めてから、こんなことって二度とないのかもしれない、というほどにいろんなご縁がつながっていきました。タイの思い出もありました」

西荻の場所は引き払うことになった。焙煎機の引き取り手は、東小金井のコーヒー店ocioに決まっただけでなく、カフェスペースを借りた営業もできることになった。

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↑ 国立のカフェでドリップする(2021年12月)

自分自身を語るように


これまでお店がやってきたことを壊さないように、お客さんに応援してもらえるように、ドタバタで進んできたというこの1年半。

ただ、引き継いだばかりのころは自分でも、「どこか自分事にしきれていない感覚」があったという。

「セカンドストーリーコーヒーの理想の姿は、僕にとってはブライアンが作ったものでした。だから、SNSで発信をしたり、新しくマルシェに参加したり、何かをするたびに、迷いがあった。ブライアンだったらどうするんだろう?と」

それでも独立してから1年半が経った今、引き継いだ当初とは心持ちが変化している。

「店の店主として、タイのことやお店についてお話させていただくイベントで、『あなたはなぜこの仕事をやっているの?』と、自分自身について聞かれることが多かったんです。そうするうちに、自分のことも話そう、と思いました。ブライアンとの出会いについても」

大学では哲学の研究に没頭し、どちらかというと社交的ではなかったそうで、「当時の自分が、今の自分を知ったら、きっと驚くと思う」と語る。

「コーヒーを飲むのに肩肘を張ってしまうような場所ではなく、お子さん連れのお母さんや、お年寄り、いろんな人が入ってこられるお店。タイのコーヒー農園ツアーを行ったり、オーナーパットの紹介ページを作ったり。やりたいこともでてきています。だからこそやれていないこともたくさんある。だから、まだ辞めたくないです」

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〇インタビューの感想

以前、営業時間にお伺いしたとき、気に入っているマフラーをほめてもらったことがある。出会う人のことをよく見ているんだなあと、思った。それを伝えると、「人のファッションは気が付くことが多いんです、自分のファッションセンスはいまいちだけど」と、切り返す。

「フレンドリーで人と仲良くなる天才」だという、前オーナーブライアンさんの接客スタイルとはきっと違えど、その親しみやすさは共通しているのだろうなあ。

取材期間 2021年11月~2022年12月

*印の写真…撮影:水谷佑輔さん

Second Story Coffe Roasters /Instagram https://www.instagram.com/secondstorycoffee/


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