ヒントがたくさん。小学校教員の我が両親の子育てを振り返る①

小学校教員の両親に育てられた私と姉。
自分で言うのもなんですが、特に大成こそしてないものの、普通に良い子に育ったと思う。大きな反抗期もなく、二人とも国公立大学に進学し、自立して、今は結婚している。

子育てって本当にたくさんの考え方や方法がある。正解はない。
私も今、初めてお腹に子どもを授かっている身として、どういう風に子どもと向き合っていくか、未知。でもまずは、自分が親にしてもらったことを振り返ってみる。

モノより経験を与えてくれた

同世代の人と話すとき、子どものころ流行ったアニメやゲームなどの話にほぼついていけない。トイ・ストーリーをみても、大好きだったおもちゃを思い出してエモくなったりしない。おもちゃ屋さんに連れて行ってもらった記憶が、ほぼ、ない。

子どもの物欲を刺激する場所やコンテンツと触れる機会をあまり与えてもらえなかったと思う。そのおかげか、母曰く「あんたは物欲しくて駄々こねることとかなくて楽だったわー」だそう。

ただ、モノにお金をかけない代わりに、たくさんの経験をさせてくれた。

家の近所をちょっと遠くまで散歩して、帰りは子どもの帰巣本能に任せて「自分たちで帰り道を考えてみろ」と言われたり
家に生えてた花梨の実を、「家の前で売ってみろ」と言われたり
日曜日は親より早く起きて「コーヒーとパンケーキを用意するのが子どもの仕事よ」と言われたり
ありとあらゆる習い事、キャンプ、毎年のスキー旅行、観劇、異世代・異文化交流、こどもの時から、いろいろさせてもらった。

経験が、全て何かに役立っているといえばそうではない。
ただ、最近よく耳にする子どもの「非認知能力」の向上に通じるところがあると思う。

非認知能力  ※ヘックマン(James Joseph Heckman)らによる定義
・開放性(好奇心や想像力)
・勤勉性(自己規律や忍耐力)
・外向性(社交性や明るさ)
・協調性(優しさや思いやり)
・精神安定性(不安を抑える力、自制心)

自分の子どもを信頼してくれていた

小学校教員の両親なので、「ご両親は教育(学業)熱心」だったんだろうね」と言われることもあるが、子どもとしてそういう印象はほぼゼロに近い。

もちろん、愛情をもって大事に育てられた感覚はある。でも、「勉強すること」や「良い学校・就職先につくこと」を強いられた覚えはない。そして案の定、私も姉も宿題をしないことが多かったし、塾も小学校の時に体験入学したっきり、その後は行きたくなくていってない。
(そもそも、宿題という制度がキライ。これは別noteのお題にしよう)

門限もなかったし、就職して遠方に一人暮らししてからは、頻繁に連絡が来ることはなかった。

放任主義は、リスキーではあるが、子どもからすると、「親に信頼されている」という感覚を強く覚えた。大前提に、私のことを大事に思っていてくれてるという感覚も同時にあったからだと思うが。

お小遣い制度がなかった

毎月いくら、というお小遣いをもらったことがない。
私の子どもの頃の収入源は、親戚からのお年玉のみ。親からはなし。

必要なものはその都度買ってくれた。遊びにくときに少しお金をもらうことはあった。でも、そもそもそんなに物欲もないので、あれもこれも買って!!とはならなかった。

初めて親から「お金」をまともに受け取ったのは、大学生になるとき。
いきなり、100万円くれた。

それが、特別なお金だという事はなんとなくわかったし、調子にのってすぐに使いはたすなんてことはしなかった。これもまた、信頼されていたと思う。

お金の価値観って、シビアだし、重要。子どもにどう伝えるかって難しいと思う。
ただ、子どもで何も労働せずに毎月お金が入ってくる小遣い制度には仕組みには違和感を覚える。大学生になって、アルバイトもし始めて、もらった100万円の価値がより身に染みてわかった。

思い返してみると、まだまだヒントになるようなことがあるので、またの機会に。
いつか親にも直接話をきいてみよう。

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