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コロナガラパゴスの徳島で3人が感染確認:今こそ寛容と中庸の精神を

死ぬまでに読み込みたいと思って、モンテーニュの「エセー」を読み続けています。

仕事場には岩波文庫版を携帯して、休み時間や合間にちょこちょこ。

自宅では特別給付金で購入した、白水社版をまったりと。

読んでて思うのは、モンテーニュの寛容さと中庸の精神がすごいってことなんだ。それが、随想録の形式だから徒然なるままに綴られているので、終始一貫して優しさをたもってた人なんだなって、感心させられています。

今日は休みの日なんで、整骨院で整体してもらってたら、従業員の人が「いや~!!!」と大きな声を出したのさ。「???!!!」ってみんなが驚いて、「どしたの?」って聞いたら、ネットのニュース速報見てたみたいで、「徳島でコロナが3人でたんやって!」って。

もう、院内大騒ぎさ。。。

徳島っていえばさ、県外ナンバーの車にあおりかましたり、石ぶっつけたりした、江戸時代Japan的な閉鎖性が全国ニュースになりました。今までに感染した人も、村八分に遭って転居を強いられています。

普段はおだやかで、人当たりもいいだけに、裏の県民性が怖すぎなんですね。

みんな個人主義の自己中心性丸出しみたいな人間の癖に、同調圧力の強烈な社会で息の詰まるような生活してるから、イザってときに簡単にファシズムのダークサイドに堕ちてしまうのよ。

原因は何かというと、一番は商売人気質の合理主義精神。江戸時代から藍商人や材木商人が羽振りを効かせてきた土地柄で、高等教育機関も医歯薬理工系大学しか存在しない。ある意味エコノミックアニマルランドなんですよ。損得勘定と自己保存本能のみ。

教養ってもんがない。教養ってのは知識じゃない。人徳のことなんだ。人徳ってのは、論語の言葉を借りれば、「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。」の二つを実践しようと心がけることなんだと思う。

自分がされて嫌なことは、人にしないようにしよう。もしも、間違ったことをしたなら、今度は同じ間違いを繰り返さないようにしようと。。。

そして、人徳を養うのに孔子様は文化を推奨されました。音楽、演劇、文学、哲学、西洋絵画、書画骨董、詩。。。これらは、人の心に栄養を与えるものだから。

進学で東京に行ったとき、日曜日の午後に絵を描くために人々が公園に集まってたり、音楽界や美術展覧会に周囲の人間が足を運んでたり。。。カルチャーショックをうけたなぁ。

かくいう私も、哲学科に進学しますと言ったら、教師から「それだけはやめとけ」って言われました。キチガイになるって本気で思ってたようだ。ま、完全な間違いではないかもしれませんが。

防疫の観点から感染者情報を流してるんだろうけど、今回の報道なんて見ると、今日中に特定されるだろうし、介護士の職場や男子大学生の通う学校でのハラスメントは、人生に終わりを告げるほどのインパクトだろうな。。。

人は、自分に正義を感じ、強さを誇る時、異常なほどの高揚感を持ちます。スポーツの応援程度の熱狂ならまだしも、病人やその家族を叩きのめすなんてことは、野蛮以外のなにものでもないと思うのですよ。

人間ってのは土壇場に本性が出るって言いますが、自分の本性が獣以下って悲しくないですかね。

そんな、周囲の人間が蛮行に明け暮れたルネッサンス期のフランスで、理性を失わず生き抜いたモンテーニュ。偉人とは中庸を維持し続ける人なんだなって思うのです。「エセー」の中にも偉大さとは何かという考察がありますが、日々の日常を人として全うすることだと書いてありました。冒険やスタンドプレーのすごさが偉人の条件だと思うことが、そもそもの人間理解の間違いなんだと。

今日も残りの時間は、モンテーニュさんと本の中で対話するとしますか。。

モンテーニュの本には難しい言葉は出てきません。哲学に触れてみたい人にはオススメですよ。

ぐりこ・おまけ 049






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