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「起こした人」と「起きたことがある人」

Youtuberの酒村ゆっけさんの動画「趣味を仕事にした結果、新卒で会社をやめました」を見て、考えさせられたこと。

新卒入社した数ヵ月で、会社を辞めて無職になる、という決意をしたことが、とてもすばらしいことだと、感嘆した。その人生のなかで、ゆっけさんは「自分の好き」とは何か、を真剣に考えて、行動に移しているのだ。

すげえわ。ゆっけさん、かっこいい、惚れてしまう。

履歴書や、世間体、成功法則などを考えたら、私には到底できない。なかなかできないことではないか、と思う。人の目から見た「正しいレール」を外れることを恐れる人には、一番の恐怖ではないか。

ゆっけさんがYoutubeで語れる経験値の高さ、うらやましい。

今年私は、32歳になる。えらそうになってしまうが、今までの人生で、世間の人がなかなか経験をしない「できごと」が数件あった。みんなそれぞれ苦しかったり挫折したりする「できごと」を経験する。それが普通だと思って必死に生きてきたが、20代半ばでようやく気が付いた。

「みんなの人生、そんなに『できごと』起きてないのかも…」

20代のサトリ、だったかもしれない。「起きたことがある人」は、なんとなく分かる。影や、含み、憂いが目の奥にあったり、言葉で表せれない間を読み取る能力があるからだ。なんとなくそれを感じて、その人に「あのう…立ち入ったことをお聞きしますが、もしかして壮絶な人生を歩んでこられたのでは?」と聞くと、だいたい微笑みながら「たいしたことないですけど、実はちょっとこんなようなことがあって…」と話を打ち明けてくれる。

私は夜になると、たまに電話を無性にかけたくなることがある。夜になると、時々「できごと」の影が色を濃くして、私に囁きかけてくる。そんな日は人恋しくなってしまい、普段は電話なんかめったにかけないのに、かけたくなってしまう。「起きたことがある人」に分かってもらえる話をしたくなる。根性論とか精神論、ありきたりな自己啓発本にのっている成功法則、「じゃあ、病院行けよ」という結論で片づけない彼らの人生経験から得た器の大きさに救われる夜があるのだ。

「起きたことがある人」には共通点がある、と私は考える。「できごと」を通して失敗や苦労をしたリアルな体験談を語れるということだ。私は生意気な性格であり、偉い人や先輩たちの中でも常識や正攻法しか語れない人の話をうさん臭く感じてしまい、苦手である。

ゆっけさんは、あの歳でリアルな実体験を語れてしまうのだ。これは大きな財産である。世の中は「新卒で会社を数ヵ月で辞めて、無職になった」ということにどう名前をつけるかわからないが、これは勇敢な挑戦だと思う。そのあと、みごとYoutubeで有名なインフルエンサーになっているんだもん。勇敢すぎるチャレンジャーである。

ゆっけさんは、「起こした人」だ、きっと。

私は32年も生きてきて、若干焦っている。自分も挑戦はしたい。しかし失敗したときにプライドやメンツが傷つくのを恐れて、挑戦に二の足を踏む年齢になっているのではないか、と。人生にはまだまだやりたいことがたくさんある。けれど、30年近く人の顔色を窺い、人に振り回されるのをよしとした生き方をしてきたから、挑戦するには、まずそれらを破壊する作業から始めなければならない。若さはメリットがたくさんある。若さは勢いで挑戦できる。しかし、歳を理由に、過去を理由に挑戦しなくなったら、それは老けなのか。どうでもいいことを堂々巡りしながら、最近それをずっと考えている。

ゆっけさんの動画を見て、自分に問いただした。

「挑戦をする力、恐れない力、とりあえずやる力を本気で発揮しないまま、自分は歳をくってるんじゃないか。」

驚愕の事実を自分で引き出してしまい、その痛さに身もだえる。自分でブラジリアンワックス脱毛して、めっちゃくちゃ痛かったときと似ている。そうそう、いままで安全地帯にいる人生選んで、たいして何もしてこずに、ただ歳とってたわ…と。

いままで自分のいる環境が嫌で、2回転職をしようとしたけれど結局頓挫してしまった。やっぱり変えることが怖かったからだ。でも、もう一回挑戦できるとしたら?何回も挑戦できるとしたら?やっぱり自分ができることをやってみたい、と私は願っている。たいしたことはできない。スキルも実行力も乏しい、丸裸の状態だからだ。

けれど、少しずつ今まで隠してた能力を出して、失敗することにたいしての恐怖を乗り越える訓練はできるんじゃないかと思う。少しずつだけど、これからやっていこう。まずはそこから、やっていくしかないね。

そうしたら、いつか「起こした人」に、私もなれるかもしれない。

そう思って、今夜もゆっけさんの動画を再生する。

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