大丈夫を渡せるように
与えてもらうばかりで、更に与えてもらうことを待ち望んでいた20代前半。何故だかわたしにだけ魔法がかからなくて、奇跡も起きない。いつも待っているだけのわたしは、そんな風に嘆いていました。
20代後半に差し掛かると、与える人になりたいという気持ちが漠然と膨らんできました。これというきっかけはなかったけれど、不思議と確かに芽生えていった感情です。
そう考えるようになると、わたしは自ら行動を起こしていくことが増えました。リスクがあってもトライしてみる。失敗することの恥ずかしさより、挑戦することの誇らしさを好むようになりました。
一体わたしは誰に何を与えることができるだろう?わたしの何が誰かの役に立てるだろう?
そう考えたとき、わたしはこれまでの経験で積み重ねてきた沢山の「大丈夫」を、そのとき必要としている人に渡したいと思いました。
与えるというのはなんだかおこがましい気がして。でもせめて渡せるようになりたいなと思うのです。
打ちひしがれそうになって、立ち止まったり、一歩踏み出すことを躊躇ったり。一度止めたその歩みをまた始めることは、とても怖くて勇気の要ること。少なくともわたしにとってはそうでした。
慣れ親しんだ場所を離れて新しい世界に飛び込むことは、どうしようもなくワクワクして、同時に隠しきれないほど不安だったりもしました。
でも、大丈夫でした。いつも、大丈夫でした。
わたしが歳を重ねることを楽しいと純粋に思えるのは、その度に大丈夫を手に入れられるからなのかもしれません。
自分で行動して、選んで、間違えて。失敗して、落ち込んで、涙して。助けられて、立ち上がって、笑ってみる。
ほんの少し時間が経てば、その傷あとに触れたってもう痛まない。ただ、それは経験として刻まれて、わたしの一部となる。
そうしてどんどん大丈夫を増やしていくと、うんと生きやすくなりました。
このわたしの経験が、誰かの役に立てたのなら。こんなに嬉しいことはないなと思うのです。
高みを目指そうにもそれが何処なのかいまいちピンとこないわたしは、歳を重ねる毎に経験を重ねることで、深く潜れるようになりたいと思っています。
大切な誰か、そのとき隣にいる誰かが、もしも落ち込んでしまうようなことがあったとき。わたしがもっと深く深く潜って、ふんわりと抱きしめられるように。その心にぴったり届くことばを選べるように。大丈夫を、渡せるように。
じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^