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不安を越えてみるという選択


搭乗案内の最終アナウンスが響いた。


超心配性の母は号泣していた。27年間実家暮らしをしてきた娘が知り合いすら1人もいない国境を超えた場所で暮らそうとしているのだから、無理もない。

早速その涙をもらいそうになったので、私は強がって威勢のいい「いってきます」をそそくさと伝え、書いておいた手紙を渡し、ゲートをくぐって顔が見えない距離から泣きながら手を振った。

友人も、ダイスキ!というアイドルのコンサートに持参するようなうちわを作ってお見送りに来てくれていたのに、涙を隠したいが為ファンサービスが不十分なお別れになってしまった。塩対応というやつである。

そうして地元を離れ、羽田空港へ向かうまでの飛行機から撮った写真が、タイトルの写真。こんな景色を見せてもらえるなんて、きっと大丈夫な気がしてならなかった。

しかし私は、もう一度泣くことになる。


東京在住の友人も、羽田空港にお見送りに来てくれた。いよいよだねと話し、また一年後に会おうね!と、笑顔とハグでバイバイをした。そして私はひとり、成田空港へ向かった。

搭乗までの手続きを終えれば、あとは出発の時間をソファで待つだけ。不思議なことに、緊張も不安も寂しさも湧き上がってこなかった。まだ実感湧かないな〜いつになったら湧いてくるのかな〜。そんな風に、余裕だった。この時までは。

やっとアナウンスが流れ始め、チケットを片手に飛行機へ搭乗する為の列に並ぶ。ついに私はゲートをくぐる、、、その瞬間だった。

ぶわっと、涙が溢れてきた。それは本当に突然だった。そこからは、どんどん溢れて止められなかった。

戻れないところまでやって来て初めて、これまで見て見ぬフリをしてきた「不安」という感情が顔を出した気がした。そして同時に、これまで抱いたことのない大きさの「興奮」が、心の真ん中からぐんぐんと拡がっていく感覚を覚えた。


どうしようもないくらい怖くて、どうしようもなくワクワクしていた。

私の場合、誰に言われたわけでもない。向かう先で達成したい明確な目標がある訳でもない。それでも「行きたい」という自分の気持ちをこれ以上無視できなくなったゆえ、今回の決断、旅立ち。私はただ、知らない世界を知りたかった。

新しいことを始める時には、大抵の場合不安が付き纏う。そして私はその不安を、旅立つ瞬間まで周囲の誰にも見せたくなかった。

いや、違う。自分でさえその不安という感情が自分の中にあることを知りたくなかった。そんな気持ちをたったの1度でも言葉にすれば、私はまた″行かない理由″を簡単に見つけられてしまう気がしていたから。

私が知らない世界へ飛び込むには、決意と、希望と、勢いだけが必要だった。不安があると自分で認めてしまえば、″始めないこと″を選ぶだろうと分かっていた。だからきっとこの瞬間まで、不安という感情に蓋をしていたんだろう。

私はこれまでずっと、″始められない自分″が、どうしようもなく嫌いだったから。



***

泣きじゃくる私を見て、飛行機の入口に立つ客室乗務員の方が驚く。私は泣きながら笑って、大丈夫であることをどうにか伝えた。

ここから、第一言語は英語だった。チケットに書かれてある番号の座席を見つけ、その席に腰かける。窓側には、歳上であろう男性が既に座っていた。

私は一度泣いてスッキリしたのか、胸の中には、覚悟と開き直りのような気持ちが芽生えていた。飛行機は離陸体制に入る。

もう戻れない。でも大丈夫、なるようになる。なんとかする。

飛行機はオーストラリアに向けて飛び立った。


大丈夫だと自分に言い聞かせた矢先、早速に試練が訪れた。Arrival Cardだ。

現地の空港に到着した際に提出するカードで、ビザの種類や滞在先の住所、持ち込み物の詳細、その他諸々の情報を記入する為のカード。以前海外に行った際は日本語表記の細かい説明があり、今回もそうだと思っていたけれど違った。

Wi-fiも使えないし、全て分かる程の英語力を身につけないままここに来てしまっている私は、困惑状態。不安という感情に全面からぶつかっておくべきだった、と今更反省しても遅すぎる。



すると、隣の男性が声をかけてきた。「Can I help you ?」

そんな感じの英語だったと思う。手伝おうか?と。神様かと思った。もちろん彼の説明は英語だったけれど、単語を分かりやすく噛み砕いて、優しく、易しく、説明してくれた。そのおかげで、カードの必要記載事項は埋められた。

「Thank you so much」くらいの英語でしか感謝の気持ちを伝えられなかった当時の私は、その回数を増やすことで、感謝の深さと大きさを伝える。

成田空港で涙が止められないほどに爆発した不安という感情は、隣の席の人に優しくしてもらったことであっという間に塗り替えられてしまった。



そのうち、機内食が配られた。ここで黙って食べられないのが私である。先程助けてくれたその人に、あなたと話をしながら食事をしたいという気持ちを拙い英語で伝えた。やけに積極的で挑戦的。号泣した挙げ句Arrival Cardも書けなかったのに。

その人は、もちろんと答えて、最初の質問を投げかけてくれた。それが何だったのかこそ忘れてしまったけれど、食事が終わるまで会話は続いた。ラグビー観戦の為に日本に行っていたこと、IT関係の仕事をしていること、テニスをすること。私もテニスしますよーと、ふたりで小さく素振りをしたりもした。

その時間がとても楽しかった。本当に刺激的だった。私はその短い時間で、早速自信なようなものを身につけた。それは、英語で会話ができる自信ではなくて、きっと知らない土地でもやっていけるだろうという自信。自信というよりも、根拠のない確信と呼ぶ方がしっくりくるかもしれない。


ずっと、始められない自分が嫌いだった。不安で、怖くて、考え過ぎて、失敗や周囲の反対を恐れるあまり、何も始めないという選択ばかりをしてきた。ワーキングホリデーにだって本当は二十歳の頃から興味があったけれど、行かないという選択をする為の理由を簡単に見つけては、そのまま年月を過ごした。

そんな私がやっと自分で始めることを選んだ。そして今、少し前の私が知らなかった新しい世界に生きている。その事実が自分自身に対して誇らしく、嬉しかった。やりたいことをやってみるって、こんなにも気持ちがいい。

飛行機に乗る前、私はたしかに怖かった。不安だった。それでも飛行機に乗り込んでみたら、そこにはもう新しい世界があった。

初めてのことに挑戦するには、勇気が要る。知らないことを知ることは時々怖い。慣れ親しんだ何かや誰かから離れるのはきっと少し寂しくて、未来を不安に思う。でも、何かに対する不安は、それを始めてみることでしか拭えない。

そして、知りたい・やってみたい・行きたい・変わりたいという気持ちを信じて踏み出した先にいたのは、以前よりも自分のことが好きだと思える自分だった。そこには、始めることを選んだ私を応援してくれる誰かがいることも知った。


私はきっと、これからも何度だって何かを始めたくなる。その度にやはり不安を抱いてしまうと思う。

でも、私は知っている。どんな不安が目の前にあろうとも、それを越えてしまえば、越えた先にある世界が、私の生きる場所になる。

その場所は、私にとって新しい世界。一体どんなことが待っているんだろう。誰かと出逢って、言葉を交わして、初めての景色を目にして、知らなかったことをまたひとつ知って。知らなかった自分に出逢ったりもして。

ワーキングホリデーに行ったのはもう4年ほど前のことだけど、こういった自分の経験がこの先誰かの役に立ったり、誰かの勇気に寄り添えたらいいなと思う。今後はもっと、そういう選択をしていきたい。



じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^