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七色に光るジュエリーを身に纏って


キラリと輝くジュエリーに興味を持ったことはありませんでした。そんなわたしだから、デパートに行ってどれが欲しいか見ておいでよと母から言われても、その下見を先延ばしにしてばかりいたのです。


「厄年には、親から長いものをプレゼントするんよ。何がええ?」

そう問われたのはもう1年以上も前のことで。そういえばわたしが幼い頃、母が祖母からネックレスを買ってもらっていたことを憶えています。わたしもこれは母へのお祝いなんだと思って、お小遣いでストラップのようなものを渡したような気がします。

記念になる長いものと言われればやはりネックレスしか思いつかず。でも多くのお金を遣ってもらうのも忍びないからと思い、金額だけを気にして選んで見せたものは、あっけなく母から却下されました。なめんなよ、と。

そんなことを言われてもジュエリーの相場さえ分からないわたしはもう探すこともやめて、母がこちらに遊びに来た際に一緒にデパートを訪れてその場で決めることにしました。


もうすっかり本厄に突入して数ヶ月が経ち、わたしたちはやっと一緒にデパートへ出掛けることが出来ました。

お目当てのブランドはなかったけれど、ただ何となく、ダイヤモンドがいいかなとは考えていました。光を受けて輝く姿は素敵だなと思っていたし、何歳になっても身につけられるだろうから。

これまた何となく、ひとつのネックレスの前でわたしは足を止めました。ショーケースに並べられたダイヤモンドたちは、見つめると思わず目を覆ってしまう程に眩しい。

何かのご記念ですか?と店員さんに問われ、果たしてこれは記念なのか分からずもごもごしていると、厄年のものを、と母が代わりに答えました。



「厄年の贈りものは、長いもの・七色のものと言いますから。光に当たると七色に光るので、ダイヤモンドのネックレスはぴったりですよね。」と、店員さん。

長いものというのは知っていたけれど、七色のものというのは母も初耳だったそうで驚いていました。

七色は、虹の色。空に虹が架かるとわくわくします。ある人がわたしをイメージしたとき、虹の色を描いてくれたことがありました。わたしは一筋縄ではいかない自分の中に在るあらゆる部分を自分自身で認めていたから、そのイメージが凄く嬉しかったんです。

ダイヤモンドについて何も知らなかったけれど、七色に輝くと聞いて、一気に興味が湧いてきました。最終的に、これから歳を重ねていくつになっても身につけられるものが良かったので、普段遣い出来るシンプルでさりげないものを選びました。



首元に輝く一粒のダイヤモンド。すこし背筋が伸びて、自然と胸を張る。鏡に映るその輝きを見つけて、ほんのり高揚する。なるほど、これがジュエリーを纏うということなのか。

きっとこのダイヤモンドがキラリと輝く度に嬉しいと思うのは、家族や周りの人たちのおかげで毎日を過ごせていることを感じられるからだ。こんなの、紛れもなく愛じゃないか。

はじめは両親からプレゼントしてもらうことに躊躇していたけれど、贈ってもらうことにはこんなにも素敵な意味がありました。


厄年に対してこんなことを思うのは少しおかしいのかもしれませんが、厄年を無事に迎えられたことが有難いなと思います。

これまで重ねてきた経験が、感情が、柔らかく乱反射して周りを照らせるように生きていこう。そして、これからもたくさんの経験をすることで、もっともっと自分を磨いて、ダイヤモンドのようにキラリと七色に輝けるよう。首元に一粒の愛を纏って、胸を張って歩きます。


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