あとがきという名のデザートを
『大丈夫を重ねていく物語を』
読んでくださった方、ありがとうございました。
こちらの記事、節目となる誕生日までに仕上げようと下書きに眠らせていたものですが、創作大賞のハッシュタグをつけて投稿したら少しでも多くの方に触れてもらえるかもしれないという小賢しさから、締め切り当日にぶわっと書き上げました。
少しでも多くの方に触れてもらえるチャンスが欲しいと思ったのは、私の抱いていたこの気持ちが、それを出来る限りことばとして表したこの文章が、もしかすると同じ時代を生きる誰かの小さな励ましになれるかなあ。なんて、おこがましくも思っちゃったからです。
実際に、noteやTwitterでそのような反応を伝えてくださってとても嬉しかったです。時間をかけて、読んで、感想を届けてくださって、ありがとうございました。
私は、自分の人生を他人のせいにせず、自分の人生の中に他人を認識して生きたいという思いがあります。生まれた環境や他人の影響は確かに受けてきたけれど、いつだって最終的には自分で選んでいます。
しかし、実は途中まで私は大きな勘違いをしていました。本当に望んでいることを選択しなかったことを、誰かのせい、環境のせいにしようとしていました。本当にやろうと思えば、いくらでも手段はあったし、もっと頑張れたのに。
そんな自分がとても情けなくて好きではなかったのですが、他人のせいにすることをやめて、いまのこの居場所がしっくり来ていないことを改めて思うと、どうしても「後悔」の気持ちが押し寄せてきてしまっていました。
私は一体、何をして過ごしてきたんだろう?いま両手に何を握っているだろう?他人に差しのべられる程の何かを持っているのだろうか?
そう考えたときに、『大丈夫』が浮かびました。
決して、最短でも最速でも直線でもないここまでの道は、うねうね曲がりくねって、そもそも前に進んでいるのか上に上がっているのかも分からない。
でも、ちゃんと歩いてきました。振り返れば、ちゃんと自分の足で、周りの人に支えてもらいながら、歩いてきた。この道の上で経験したちいさな成功と恥ずかしい失敗も、すべてが大切な経験で。
その経験から得たものが、無数の『大丈夫』だったなら。これからも、歳を重ねてこの道の先を想像しながら歩んでいくことが楽しみだなあと思えたんです。
そう思うようになってから、「失われた30年」、就職氷河期世代の「ロスジェネ」、コロナ禍において「失われた世代」ということばを使われることにとても違和感を感じるんです。勝手に決めつけんといて!と。可哀想な世代だなんて、ひとまとめにされるのは御免です。
生まれた時代の特徴はあれど、時代の波に乗るのも、時代に流されるのも、時代の風雲児になるのも、時代を変えるのも自由ですよね。
私は、ちいさな雨漏りのするボロボロと呼ばれる家で育った子供時代から、たくさんの『大丈夫』を拾い集めながらここまで歩いて来られました。自分の選択と、家族・周りの人の支えのおかげで。
これから先、アンパンマンがお腹の空いた誰かに自分の顔を分けるように、周りの人に分けられるだけの『大丈夫』をいつも心に持ち合わせて歩いて生きたいなあと思います。
じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^