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手を挙げる環境に身を置くこと



背伸びは続かない。

次第に足がプルプルし始めて、目に見えてそれが分かるようになる。そして、結局かかとをついてしまうのがオチである。

語学学校一ヶ月目の私が、まさにそれでした。


事前のテストで簡単な文法問題が解けたからなのか、実力に見合わない中級クラスに位置づけられてしまった私が入ったクラスの生徒の内訳は、50%がコロンビア、47%がトルコ、1%がチェコ、1%がウクライナ、残りの1%が日本でした。

中級クラスと言えど、みんなすこぶる喋る。まあとにかくよく喋る。そんな彼らが文法の間違いを気にも留めず話していたことを知ったのは、何人かとメッセージのやり取りをし始めてからのこと。自分より遥かに話せる人たちに囲まれた私は、文字通り圧倒されていました。

授業中に聞こえてきた単語をひとまずカタカナに変換してノートに書き留め、帰宅したらそれらをインターネットで調べる。100%は的中しなかったけれど、私はそうして少しずつ分かる単語数を増やしていきました。

けれど、それをしたからと言って授業についていくことは出来ませんでした。みんなが意地悪だとか冷たいだとかそんなことは全くなかったのに、私はその場で分からないことを聞くことが出来ませんでした。そのスピードに圧倒され、みんなが分かっているのであろう授業を止めてしまう勇気が出せませんでした。

私は、背伸びをしていたんです。
分かっている風に頷いて、振る舞って、笑っていました。だから正直、なーんにも身に付きませんでした。


1ヶ月後、私はJ-Shineという資格を取得する為のクラスに移りました。日本の小学校で英語を教える為の資格で、語学学校で取得できる資格の内、最も興味を持ったのがそれでした。

そのコースにはJ-Shineにプラスして、TECSOLという母国語が英語以外の子どもに英語を教える為の授業が設けられていました。その為、午前中は韓国・タイからの留学生も一緒にTECSOLを。午後は、日本人のみでJ-Shineの授業を受けるというスケジュールでした。

これが、もう、ものすごーく楽しかったんです。


楽しかった理由としては、授業内容が興味のあることに絞られていたこともありましたが、根本的な理由は、明るすぎるくらい明るいクラスの雰囲気と、自分の在り方が変わったことです。

クラスメイトは学校での英語教師経験のある人や、すでに母国で英会話教室を開いている人、2年間以上の留学経験がある人など、みんな少なくとも私より英語が堪能で、私がクラスで最も劣等生なことには変わりありませんでした。

敢えて劣等生ということばを使いますが、私は勉強において所謂劣等生になるシチュエーションが人生で初めてでした。算数が数学というものに変貌を遂げて以来その手の問題にはお手上げでしたが、その他の教科に関してはそこそこ勉強が好きでした。

しかし、今となっては大学進学しておけば良かったなと思うものの当時進学するつもりがなかった私は、先生が勧めてくれた進学校に進むこともせず、自転車で通えるという理由から最も近い高校に進みました。在学中は数学を除いてテストの順位も悪くはなかったですし、大した努力もしませんでした。

そんな私が、座学の勉強というものから10年程のブランクを経て、クラスメイトで一番の劣等生としてそこに座り、最も努力を必要とするシチュエーションに身を置いたのです。

最初の中級クラスでは、自身を劣等生だと認識しながらも、授業の進行を遅らせてしまうという遠慮や自分だけが分かっていない事実への焦りから、みんなの見えないところでどうにか自分の力で学ぼうとしていました。

しかし、後のクラスに移ってからの私は、背伸びをしませんでした。

その代わりに、手を挙げることを始めました。
迷惑をかけないように自分でどうにかしようとしていた私が、潔く人に頼ることを始めたのです。



授業中も授業外も、日本人だけの状況になっても常に英語で会話をしていた私たちですが、私は分からないところがあれば手を挙げて質問をしました。或いは今は授業や話の流れを止めたくないなと思った場合は、質問したいことを書き留め、調べても理解できない時は、後で先生やクラスメイトに尋ねました。

私は劣等生であることをまるで楽しむように、自らそれを晒してみせました。今は分からないけど、みんなより出来ないけど、でも、出来るようになりたいと思っている!という気持ちを、そのまま姿勢と行動に移しました。その姿を煙たがったり嘲笑ったりする人は誰もいませんでした。


自分が劣等生であるということはつまり、言い方を変えれば、自分よりもレベルの高い人に囲まれているということです。そんな環境に身を置けた私は、とてもラッキーだったなと思います。

しかし、ラッキーはそれだけではありませんでした。いくら自分よりもレベルの高い人に囲まれる環境でも、手を挙げることのできる空気・雰囲気でなければ、劣等生を謳歌することは出来なかったと思うのです。幸い、その教室にはそんな雰囲気を作ってくれる人たちが集まっていた。つまり、私は人に恵まれていたということです。

自分もそのレベルに追いつきたい!と思える環境は、成長を促します。成長を応援してくれて助けてくれる人が身近にいてこそ、達成できる目標や夢があります。私はみんなのおかげさまで、ひとつレベルの上がった修了証を受け取り、そのコースを修了することが出来ました。

他のクラスの生徒たちが足早に学校を後にして放課後をカフェで過ごす中、私たちは夜まで学校に残ってデモレッスンの準備に時間を費やしました。授業の構成を考え、台本やマテリアルを作成し練習に励んだ日々は、充実そのものでした。毎週デモレッスン終わりにみんなで行く打ち上げは、楽しいの一言に尽きました。

やっぱり英語力が足りなくてなかなか上手くいかないこともあったり、出来ないことが悔しくてこっそり泣いてしまうこともありましたが、頑張ることって楽しいな。頑張ることが好きだな。と思える時間を過ごしました。何かに一生懸命に取り組むことって、本当に面白い。そこに仲間や応援してくれる人がいれば尚更です。


目標だけがそこにあっても、エンジンがかかるとは限りません。目標は後で生まれたり、変わったりもします。あの頃の私にとっては、出来なくて悔しいと思える環境と、分からないことが多い私に思う存分手を挙げさせてくれた仲間の存在が、エンジンとなっていました。

残念ながら、当時のクラスメイトとは国内外問わずバラバラの場所に住んでいることもあって再会を果たせていませんが、あのタイミングであの場所に居なければ出逢えなかった仲間たちには、本当に感謝しています。


じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^