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3月を振り返って②このまちでラグビーをするということ

もう少し11日のことを。

ラグビーでは、試合前日のチーム練習をキャプテンズランという。
戦略の確認、選手同士の連携、そしてチームとしての心構えを再確認する時間なのかと思う。この日も翌12日に控えたジャパンラグビーリーグワンの試合のキャプテンズランを行うことになっていた。

しかしこの日は、10時からのキャプテンズランの予定を変更し、チームミーティングが行われていた。選手からある方宛に「3月11日とチーム」についての話をしてほしいとのリクエストがあったのだ。

その方は、釜石ラグビーの淵源として、新日鉄ラグビー部が成し遂げた偉業から言葉を継ぎ始めた。釜石シーウェイブスRFCの誕生、釜石ラグビーが経験した震災とその後の復興への取り組み、そして2019年のワールドカップへと話を続けた。

会場最後列からその場に同席をさせていただいた。
大きな体にはやや小さいパイプ椅子に浅く腰掛けた何人かの聞き手が座りなおしていくのは、話が2011年3月11日に差し掛かった時だったと思う。

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「もうこのまちでラグビーはできないと思った」
「一生忘れられない日となった5月3日」
「釜石は、自分達がしたいからという理由だけでラグビーができる土地ではない。
地元の企業や市民の支えがあってこそラグビーができる場所」
「チームには何よりも勝利を期待する」

◆◆◆◆◆

チーム内外の様々な支えのもとでラグビーのある日常を再開できた。
そんな釜石の中で、さらに鵜住居にできたスタジアムで試合をする。している。

尽きせぬ想いがあるものの、選びながら話されている姿に言葉数以上のものを感じられた。

スポーツチームの存在がもたらすものは、
そのチームがシーズンで残す成績にとどまらない。
それでもなお、むしろだからこそチームには勝利を期待する。

ミーティングを終え、選手たちはスタジアムメインスタンドの裏手にある
「釜石ラグビー神社」に想いを込め、キャプテンズランへとグラウンドに向かった。

時計は11時を回っていた。

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