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生きることを選んだ瞬間があった気がする。どんなことを考えていたのか?

なぜかよく記憶に残っている瞬間がある。

シティで一番大きな駅の横に何本もの線路をまたぐ高架があって、
そこはいつも風が強く吹いている
建物もあるのに独特のがらんとした雰囲気
なぜかこんなに重くなるほど持ってきたのかわからない荷物を背負い
車がたくさん通る高架の歩道を歩いていたときのこと。

海外で生活するという目的を達成したのにもかかわらず、
ただ生きるのに真面目で必死でギリギリを感じていて、緊張していた。
私はちょっとした虚無モードに入っていて、
既にたくさん歩いてきた足がだるい。

そんなムードの中、頭で考えていたのはシュレディンガーの猫の話。
こんな場所で前から走ってくる車の運転手さんの何人が私のことを認知するんだろうとか、これで私が私を認知しないとして、なんらかの世界のバグで物理的にもパッと消えてしまえたりして?とか

「今なら消えてもOKかもしれない」とか思い始めて、せめていろんなひとに感謝の念を送ろうとか、
念を送りながら歩いていたんです。

しばらくしたら、誰も認知していないってことはなんでもできるやんって
くるりとターンしてみたり、いつもならか細い声のところをしっかりとした声量で歌をうたってみたり。

そんなことをしてうちに、なんでもできる気分になってきて
「今消えるのは勿体無いのでは?」と思った。
その瞬間に、「消えてOK」「むしろ消えたら嬉しい」と思ってた自分を抱きしめてポロリと泣いた。

これが私の生きることを選んだ瞬間。
浸ってる思い出を掘り起こすの恥ずかしいけど、
こういう恥ずかしい瞬間って誰にでもあると思うから。

誰かが見ていなくても、私はずっと見ているんだよね。
これからも時間を超えて、その小躍りしている愛すべき背中を見つめることが何度かあると思う。

心に何かを起こしたその日、
どこかの方向へ分岐したそのポイント

その先の私はいつでも思い返して、戻って、歩く様子を眺めているんだから
私はシュレディンガーの猫ちゃんですらなかったのですよ。

𓆛   𓆜   𓆝   𓆞   𓆟  ‪𓆝  𓆜   𓆝   𓆞   𓆟  ‪𓆝  𓆛

知らない土地に旅に出ると、目新しいものにわっと気分が高揚する時間と
馴染みがない場所でどうしようもなく無力感というか、
ちっぽけな存在感というか。
言いようのない孤独感にどっぷりと沈む時間がある。
そういう瞬間があって、輝きが増すと思ってる。

どっか行きたいなぁ〜〜

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