AIが生成してくれた文章に100パーセントの納得がいっているわけではない. けれども, 近い将来にAIは人類にとって欠かすことのできないtoolになっているだろうから努めて使うようにしている.
こんにちは。宮澤大和です。
現在は《日詩》というプロジェクトを進行させています。
《日詩》はnisshiと読みます。
毎日、日誌をつけるみたいにして、日に一篇の詩を書いています。だから1年後には366つの詩ができあがっていることに——単純計算すれば——なるのかもしれませんが無理をして書く必要も義務もないことから、実際は366つよりも少ない詩集ができあがることになりそうです(抜けている日付に趣を感じることもできるかもしれない)。
前回noteにアップロードした『百年』ってタイトルの記事は《日詩》のなかにある詩をもとにして作成しました。というよりも、AIに生成してもらいました。詩を原液にして、薄めたカルピス(文章)をAIにつくってもらうような感じで。生成されたそれを人間である自分が最終調整しました。
まぁ、いくらか飲みこみやすい作品になってはいると思うのだけれど、どうでしょうか。作者としてはAIが生成した薄いカルピスよりも、原液のほうがよっぽどすばらしいって思ってしまうのですが。
原液である詩もいずれ公開したいのですが、諸事情もあり、1ヵ月以上先になりそうです。
AIと共同で作業する際の感想と挑戦
以前に『乗り物としての文体、あるいはChatGPT(AI)と書き手の問題』というタイトルでnoteを書いたことがありました。
実際、AIはプログラムされたデータやアルゴリズムに基づいて内容を生成するため、人間の創作物に見られるような感情的深みや独自性を持ちにくいことがあります。
AIが生成してくれた文章に100パーセントの納得がいっているわけではありません。けれども、近い将来にAIは人類にとって欠かすことのできない道具になっていることは確かでしょうから、われわれはそれを努めてつかうようにして今のうちから慣れておいて損はない、と思っています。
AIをつかうことで学べること
AIは新しい視点やアイデアを提供し、創作のプロセスを補助するツールとしてひじょうに有用です。
例えば、AIは異なる文体やジャンルのテキストを瞬時に生成することができ、これが創作者に新たなインスピレーションを与える場合もあります。
また、詩や小説の草稿を素早く形にするためのスケッチツールとして使うこともできるでしょう。
AIと接することで、AIの思考法を人間である自分自身にインストールしていくこともできます。面白い発見はなにごとも掛け合わせによって生じるものです。
AIとの共同作業においては、生成された内容を素材として扱い、そこに人間の創作者が感情や思いを加えることで、「心」を注ぐ作業が必要になります。このプロセス自体も、またひとつの創作活動と言えます。
次回の更新では、僕がどんなふうにしてAIに心を注いでいるのかについてを記事にしたいと考えています。次回の更新も楽しみにしていてください!
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。