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「ラ・ボエーム」 さすらい

フィギュアスケートのネイサン・チェン選手が北京オリンピックで優勝したことで、彼が情熱的に舞った、世界最高得点のショート・プログラム、「ラ・ボエーム」が多くの人の記憶に残ったのではないだろうか。

この曲を作曲し歌っているのは、世界屈指のシャンソン歌手、シャルル・アズナヴール(1924~2018)。ラジオから流れてきた「イザベル」にひと聴き惚れし、極貧の生活をしていたのに、無理して買ったアズナヴールのレコード。その中の1曲、「ラ・ボエーム」は詩もメロディーも最高で、私の生涯お気に入りの曲となった。

アズナヴールは日本でも大変人気があり、来日公演を何度もしている。私は鹿児島公演に行った。

「ラ・ボエーム」を歌うとき、彼は白いハンカチを使って、ステージで画家を演じる。歌い終えると、そのハンカチを舞台に捨てて去っていく。そのハンカチはゲットしてよいことになっている。だから、「ラ・ボエーム」の前奏が始まると、私は最前列の通路にしゃがみ込んで、「その時」を待った。彼がハンカチを捨て、立ち去ろうとした、まさにその時、私はさっとハンカチを掴んだ。客席にどよめきが起こった。「えっ、あれ、もらっていいの!?」という声が聞こえた。

後で、サイン会のとき、私は震えながらハンカチを差し出し、調べて丸暗記してきたフランス語で、「あなたのサインを頂けますか」と、お願いした。アズナヴールは「サートゥンリイ(いいですとも)」と言ってサインをしてくれた。「えっ、英語なの?」と、少し驚いたけれど、すぐ合点がいった。当時、アズナヴールが5か国語で歌った”She"が全英シングルチャートで1位となり、「アメリカでも大成功を」という野心に燃えていたときだったのだ。

94歳で成し遂げた日本公演が最後のステージとなったアズナヴール。フランスでは国葬。故国アルメニアでは英雄。こんなスゴイ歌手はもう二度と現れないだろう。亡くなっても、あの歌声は不変。音楽は人をその時代へ、すぐに連れていってくれる。聴いていると、熱いものが込み上げ、胸がいっぱいになる。

一日中、立ちっぱなしで働いて、ブラウス1枚買えず、百円玉を排水溝に落としただけで泣いていたあの頃が、「ラ・ボエーム」の貧しい芸術家達の歌詞と重なり、なつかしくさえ思えてくる。

#思い出の曲

シャルル・アズナヴール 心を込めて描きました

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