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映画の黎明期と邦題の変遷[前編]

映画キチガイの私。観るのはほとんど洋画。

「映画の都」と言えばハリウッドだが、映画を発明し、映画館で見せたのはフランス人だ。ルイとオーギュストのリュミエール兄弟は1895年にシネマトグラフを発明し、一般公開した。
ストーリーはなく、駅に蒸気機関車が入って来たり、工場から従業員がドッと出て来たりする、見世物的な興行だった。それでも人々を驚かすには十分で、汽車に轢かれると思い、観客は逃げ惑ったという。

世界初の劇映画を創ったのもフランス人だ。ジョルジュ・メリエス(1861~1938)の傑作『月世界旅行』はストーリーもあり、場面転換もあり、今見ても面白い。1902年、世界初のSF映画だ。

アメリカに話を移すと、年間を通じて雨が少なく、ロケ地として最適だったので、カリフォルニア州ロサンジェルスは映画の都となった。

アメリカ映画第1号は『大列車強盗』(1903)。今見ても凄い迫力。この世界初の西部劇の原題は "The Great Train Robbery"なので、そのままの和訳でバッチリだ。
でも、"The Tramp"は「放浪者、ルンペン」という意味なので、日本の映画配給会社は「これじゃあ売れない」と考えたのだろう。邦題は『チャップリンの失恋』。1915年の映画だ。
"Broken Blossoms"を『散り行く花』(1919)としたのはお見事。
"Dishonored(名誉を汚された)”は『間謀X27」』(1931)となった。見に行きたくなるのはどっちかな。

1927年、映画にとって画期的な出来事が起こった。
アメリカ映画『ジャズ・シンガー』で、映画は「音」を手に入れた。新しい時代の幕開けだ。"Singin' in the Rain" 邦題『雨に唄えば』(1952)ではこの頃のドタバタがうまく描かれている。

何とか人目に立ち、ヒットに繋げようと、宣伝部員は頭をひねる。
"Iron Man"が『鉄青年』(1931)とは吹き出してしまう。
"One Hundred Men and a Girl"は『オーケストラの少女』(1937)。
"My Darling Clementine"は『荒野の決闘』(1946)。
"Summertime"は『旅情』(1955)。 なるほど。
”ボニーとクライド”を『俺たちに明日はない』(1967)に、
”ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド”を『明日に向かって撃て!」(1969)としたのは素晴らしい。「アメリカン・ニューシネマ」がブームとなり大ヒットしたが、邦題のインパクトも手伝ったのではないか。

宣伝部の手抜きなのか、邦題は次第に、原題をカタカナに直しただけになっていく。
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)、『スタンド・バイ・ミー』(1986)、『イングリッシュ・ペイシェント』(1996)、『トレインスポッティング』(1996)と、長くてもお構いなしの不親切。

記憶に残った出来事がある。
或る日、映画館の前を歩いていたら、大学生と覚しきカップルの会話が耳に入った。
「ねえ、『ダンス・ウィズ・ウルブス』ってどういう意味?」
「そ・・・それは『ウルブスさんとダンスを』って意味だよ。」
ちょ、ちょっとー、「ウルヴズ」は「ウルフ」の複数形じゃん。先住民から「狼と踊る男」という名前をもらった主人公のことだよね。
やはり、宣伝部は頑張って、映画の内容を表したタイトルを付けた方がいいと思った。

ジョルジュ・メリエス監督『月世界旅行』より

[後編につづく]ーーー1400字を超えたので、ここでやめることにしま                 
           した。続きもぜひ見てくださいね。


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