【読書感想】スマホ脳

アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』久山葉子訳、新潮社、2020.の感想です。今回はあまり肯定的な感想ではありませんので、この本が好きだ、と思って共感できる感想を探している方は読まない方がよろしいかと思います。

この本は書店で目にしていたことと、自身が最近スマホを使いすぎだと感じることが多いのでkindleで購入して読みました。スマホ脳をスマホ(正確にはiPadを利用しています)で読むというのも皮肉な図ではありますが、紙媒体の書籍は引っ越しの際やそもそも本棚の置く場所に困ることが多く、最近は図書館等で借りるもしくはkindleでの購入を読書の手段にすることが多いです。

この本では、第一章では「人間はスマホなしで歴史を作ってきた」ということを理由に、現代の人間が現代社会に適応していない、ということを述べています。第二章は、第一章の最後で人間は生来的にネガティブな感情を優先しているということを示したことに続き、「ストレス、恐怖、うつには役目がある」とされており、負の感情を人間が生来的に持ち合わせている、ということを述べています。そして第三章で読者の本命である「スマホは私たちの最新ドラッグである」それは何故か、という理由が語られ、帯で主張されている「IT企業トップは子供にスマホ与えない」理由とともにスマホの危険性が述べられています。第四章は、スマホの持つ危険性から集中力をピックアップし、「集中力こそ現代社会の貴重品」とされ、何をするにもスマホを隣に置く現代人の過度なマルチタスクの弊害について主張されています。第五章はスマホの危険性からもう一つピックアップされ、「スクリーンがメンタルヘルスや睡眠に与える影響」とされています、過度にスマホを利用している人の方がそうでない人々よりも精神的に鬱の傾向が強く睡眠時間が短くなりやすいそうです。第六章は「SNS 現代最強の「インフルエンサー」」とされています、スマホそのものよりも、スマホを介してSNSを利用することの危険性を訴えています。第七章は「バカになっていく子供たち」となっており、スマホと子供を切り離すことで子供の成績がよりよくなるという研究結果等から現代の子供は数十年前、つまり著者が子供だった頃に比べてIQが低くなっていると主張しています。第八章は「運動というスマートな対抗策」とされ、これまで示されてきたスマホの危険性を如何に対処するか、の方法として運動が取り上げられています。運動をした後は集中力が増すらしいです。第九章は「脳はスマホに適応するのか?」とされ、著者は「いや、脳はスマホに適応しないだろう」ということを主張しています、かの有名な反語表現です。そして第十章「おわりに」で現代社会で生きる上でのアドバイスをいくつか示しています。

内容自体は正直よくも悪くもなく、スマホをいじっている時間が長い自分、やばいな、と思っている読者の多くが共感するであろう内容が書かれています。別に新事実が載っているわけではありません。個人的に著者の意見の主張の仕方に胡散臭さを感じたことが致命的に本書の心的評価を下げているかもしれません。

一つ目は、まえがきの「ここ十数年で精神科へ通う若年患者が目に見えて増加しているのは、現代社会に原因があり、特にスマホが原因である」という主張です。私は、そもそも十数年前は精神科へ通うこと=ご近所さんから白い目で見られることであったり、自身がキチガイ(精神科へ通っている方をそのように捉えているわけではありませんが、十数年前は確かにそのようなイメージが根付いていたと思います。)を認めることであったりした事実を考慮すると、むしろSNSやインターネットの広まりにより精神科へ通っている人がたくさんいること、本当に人生に苦痛を覚えた時に相談できる場所があることが広く認知されたことがその根幹にあるのではないか、と思いました。それ以前は精神病患者がほとんどいなかったわけではないと思います、ただ口に出せなかっただけで。魔女狩り期には幻覚が見えたらそれこそ妖術師だと思われた可能性もあったでしょう、ナチス政権下では劣等人種として率先して淘汰される対象になり得たのではないでしょうか、ペスト流行下では限界まで精神を病んだ人々が舞踏病と呼ばれる精神病を発症しています。魔女狩りとその大元である異端審問やナチス政権については、同性愛者も似たような境遇に置かれていたはずです。現代社会ではかつてないほど異性愛者ではない人々が自らの性的嗜好をオープンにしています、これを現代社会で同性愛者が急激に増えたことが原因であると主張する人はそう多くはないでしょう。私は、精神病患者についてもそれと同じではないかと考えているため、著者の主張に疑問を覚えました。

二つ目は、第一章の「人類が現代に適応できない理由」で述べられている「例えばマリアは、常に危険に対する不安を感じ、危険を避けるために入念に計画を立てる。そうやって生き延びる確率を高めてきたのだ。(中略)今の安全な世界に暮らしていたとしても、マリアは常に破滅を想定する性格のせいで心を病み、今度はうつや恐怖症になってしまうだろう」(位置No.287/2464)という主張についてです。狩猟採集社会における人類が生き残るために身につけた術が現代社会では悪い方向へ作用しているという主張です、マリアは特別な女性というわけではなく例えがわかりやすいように与えられた仮名です。これは単純に主張自体が疑問なのですが、常に破滅を想定する性格のせいで心を病むのであればそれは古代か現代かは関係ないのではないでしょうか。これは現代社会に原因を求める主張としては的外れだと感じました。

三つ目は同章「感情があるのは生存のための戦略」より「つまり感情というのはもともと、キリンの長い首やシロクマの白い毛皮と同じように、生き延びるための戦略だった」(位置No.336/2464)という部分です。これは嘘です。以前読書感想を書いた『言語の起源』で感情についても触れられていますが、進化論的に考えても感情は生きるために必須の何かではありません。感情がないと生き延びられないのであれば他の動物は悉く絶滅して然るべきですが、現代でも多種多様な動物が生存しています。

長くなってしまうので私が納得できなかった例はこのくらいにしておきますが、以上のように主張の論拠が不正確であることが多く、現代社会の悪影響の全てをスマホを原因としているように思えました。第七章の「バカになっていく子供達」も、スマホが原因で子供たちの頭が悪くなっているというよりは所謂老害的な「今時の若者は!」という感想に見えてしまいます。スマホがない時代の子供達が全員頭が良かったかというとそうではないので。

彼自身も最終的にスマホと個々人の付き合い方が最も大きな問題であると考えてはいます。これについては私も賛成です。スマホのスクリーンタイムが長ければ長いほど、他のことをする時間が圧迫されることは確かであり、現代社会において運動する機会が目に見えて減っていることもまた確かです。盲目的に内容を信頼できるほど良い書ではありませんが、スマホを長時間利用しすぎることがよくない、ということを改めて考えるために読むのであればおすすめの一冊です。

私は本書を読んで、「Forest」という、時間を決めてその間スマホを操作できなくなるようにするアプリを入れてみました。どうせ操作できない、と思うと5分、10分と合間合間にスマホへ向く意識を完全に遮断することができます。向き不向きがあるとは思いますが、スマホのスクリーンタイムの長さに悩んでいる方は何かしら自分に合う対策を見つけられると良いですね。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,902件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?